G線上のアリア。

初めて聴いたのがいつだったか?は憶えていないが、あまりに忙しかったり、気持ちがハイになっていたり、イライラしている時、この曲を聴くと、何故か気持ちがすぅ~っと凪いでいく…。

長男のヒップホップのレッスンに行けば、テンションが上がり、やる気が湧いて来る。

音楽の力は大きいね。

阪急系の某ホテルの「いつもの部屋(毎週泊まる僕のために同じ部屋を抑えてくれている)」で、iTunes で「G線上のアリア」を検索すると、何曲か表示された。

アレンジによって、それぞれに趣きが異なる。

僕は3曲、購入してみた。

ところで、先程のエントリーを読んだと言って、New York に住む友人が facebook でメッセージをくれた。

とても嬉しかった。

イヤフォンで「G線上のアリア」聴いていると、睡魔が襲って来た…。

Life is beautiful…。お休みなさい。

iPhoneからの投稿

たまには「道草」。

僕自身もそうだが、僕のブログを読んでくれている方々も、いい加減、政治ネタには飽き飽きしていると思うので、今日は息抜きに軽めの話。

今年8月にちょっとしたことで腰を痛めてから、年齢のせいもあり、なかなかよくならず、週に1~2度、中目黒の整形外科にリハビリに通っている。

自宅からその整形外科までは徒歩20分の距離。2~3週間前から運動を兼ねて歩いている。

下の写真は、リハビリからの帰り道の途中、道草をして立ち寄った公園からの眺め。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」

中目黒界隈にかれこれ10年も住んでいながら、初めて立ち寄った公園であり、初めて見た景色。

こんなふうに中目黒を一望できる場所はあるとは知らなかった。

クルマで通り過ぎていては気づかない景色がある。

人生もたまには道草が必要・・・かも。

「目的」と「手段」。

10日ぐらい前のことだが、インタースコープの設立にも携わってくれたある人から、何年かぶりのメールが届いた。

「ようやく楽になりましたか(笑)」と題したそのメールを読んで、気持ちがとても楽になった。

「平石さんが好きなことをして、平石さんが好きなことを書けばいいんです。読者はそれを最も望んでいるはずです」。彼のメールには、そう書いてあった。

因みに、ブログを書き始めて、かれこれ4~5年になるが、ある時から、僕にとってそれは、公開で行う自分との対話だということに気がついた。

もちろん、公開なので、書けることと書けないことがあるが、書くことで自分の気持ちの整理がつき、挫けそうになる自分を励ますことができたり、自分が大切にしているものを再確認することができる。

ところで、ゲーテは「歴史を書くのは、過去を脱却する一つの方法である」と言っている。

僕が、ちょっと前から「落ちこぼれ」というテーマで、自分の「過去」のことを書き始めたのは、この先の人生を考えるに際し、今までの自分を振り返り、消化するものは消化し、捨てるものは捨て、滋養として心と身体に取り込むものは取り込み、自分というアイデンティティを再構築するために始めたことのように思う。

実際、昔のことを振り返り、色々なことを書き始めたお陰で、忘れていたことに気がついたり、新しいことを発見したりと、その効用を感じている。

最も大きな収穫は、僕にとって「起業は手段」であり、目的ではなかった、ということを、10数年ぶりに思い出したこと。

人間は、いつの間にか、手段が目的と化すことがある。

そのことに気づくことができた。

では、僕にとっての「目的」は何だったのか?

その話は、いずれまた。

今でもマイケルジャクソン、そしてビートルズ。

昨日は、妻の仕事の都合で、僕が子供を保育園に迎えに行き、夕食を一緒に食べ、お風呂に入り、子供を寝かしつけながら、一緒に眠ってしまった。

妻が帰ってきてドアが開く音で目が覚めた。

そのまま寝ようかと思ったが、目が覚めてしまい、メールをチェックし、返事を書き、テレビを見た。

NHKの再放送で、マイケルジャクソンビートルズの軌跡を追った番組をやっていた。

マイケルジャクソンのものは以前にも見たが、ビートルズのそれは、初めて見た。

マイケルジャクソンの軌跡を見ていて思ったのは、「天才とは、1%の閃きと、99%の努力」という言葉。

彼が天才なのは間違いないけど、持って生まれた天賦の才をあそこまで開花させるには、想像を絶する「努力」があったことが伝わってくる。

あれだけストイックな努力を続けられた人が、他にいただろうか?

自分が持って生まれたものを開花させる「努力を続けることができる精神力」こそが「天才的」である。

そのことを改めて認識させられた。

一方、ビートルズの4人に関しては、持って生まれた天賦の才を「自然体」で開花させたという気がした。

敢えて言えば、プロデューサーに恵まれたように思う。

どんなプロデューサーかと言うと、彼らの「良さ」を挽き出すことに腐心してくれたプロデューサー。

一昨日のエントリーで書いた「子育て」の話と同じで、矯正するのではなく、本人が持っている才能を発見し、それを伸ばす、ということなのだろう。

ところで、僕はブログを書き始めてから、せっかく読んでくれる人のために、少しでも「参考になる」ことを書こうと思い、努力をしてきたが、これからは、必要以上に、そのことを意識するのは止めようと思う。

仕事としておカネを頂いているのであれば、顧客の求めること、顧客満足が第一なのは間違いないが、僕のブログは「僕のつぶやき(だいぶ長いけど)」であり、基本的には、自分が日々の生活の中で感じたことを綴っているものであり、仕事ではない。

「いい子ぶる」のは自分を疲れさせるだけだ。

ただ、僕の書く文章が、結果として、読んでくれる人にとって、何かのヒントになったり、参考になるようであれば、とても嬉しく思う。

でも、僕がなぜ、こうしてブログを更新することを続けていられるかというと、それは表現することが好きだということと、文章を書くことが好きだということである。

もちろん、前者は、下手くそなギターを弾いていた少年時代から自覚しているが、後者は、ここ数年で気がついたことだ。

僕に「文章」を書く才能がどれだけあるかは別として、続けられることは、好きなことだし、好きなことでなければ続けられない。

そういう意味で、自分が好きなことでおカネを稼げる人は幸せである。

保育園の「連絡帳」。

嫌なことがあり、自分の気持ちを消化できないまま、夜遅くに帰ってきても、保育園の「連絡帳」で我が子の様子を読むと、心が柔らかくなる。

そういう時は、お風呂に入って気持ちを解きほぐし、ビールを飲んで寝てしまおう。

悩もうが何しようが、今すぐには解決できないことは仕方が無い。

生真面目過ぎるのは、疲れるだけだから。

ジョン・レノン

毎月1回のラソナセンシュウの経営会議の後、近所のカレー屋さんに入り、昼食を食べた。

真剣な議論をした直後で、まだ緊張モードが続いていたその時、「ジョン・レノン」の「ウーマン」が流れた。

彼の何とも言えない優しい声とメロディーラインを耳にして、心が「ふわっ」と軽くなった。

人を勇気づけたり、今日のように緊張を解いてくれたり、悲しみに暮れる人に希望を与えたり、音楽の持つ力は素晴らしい。

人間とは「心の生き物」だということを、改めて実感した。

僕が、そういう傾向が顕著な人間ということかもしれないけど・・・。