「出張で留守がちな父」から「長男」への「手紙」。

今月は第1週がシンガポール。第2&3週は、それぞれ2日ずつ大阪。

そこへ来て、先週の金曜日から次男が、今年3度目の入院。

そして、来週はシリコンバレー出張。

2人の子供(それも次男はまだ1歳4ヶ月)を育てるには、あまりに高齢の我々夫婦だけでなく、長男もストレスが溜まっているのだろう。

今朝は、ちょっとしたことで妻と口論になり、大粒の涙を流しながら学校へ出掛けて行った。

妻にしても、職場と病院を行き来し、体力的に限界に来ており、長男に朝からダダを捏ねられれば、穏やかにしていろというのは無理な注文である。

そういう僕は、大阪出張…。

長男のためにしてやれることは何か?と考えて、彼に「手紙」を書いた。

彼が自分で読めるよう、なるべく平仮名で書いたが、これがなかなか難しかった。

「手紙」という意味では、僕が大学生の頃、人生の意味を見出だせず、父に手紙を書いたことがあった。

忙しい父は、なかなか返事をくれなかったが、忘れた頃に「遅くなって申し訳ない」というお詫びと共に、丁寧な返事が届いた。

小学2年生の長男は、僕から手紙をもらったことは忘れてしまうだろうけど、僕の手紙が今の彼を少しでも勇気づけ、元気にできたのであれば、父親として、とても嬉しい。

そう言えば、今週の日曜日、父の日だからと言って、彼が自分で書いた絵に、僕へのお礼を書いたものをプレゼントしてくれた。

10年後、彼が高校生になった頃は、こんな関係ではなくなっているはずである・・・。

今を大切にしたい。

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「本番」はすでに始まっている。

長男の保育園友達のお母さんから誘われ、お気軽に始めたヒップホップだったが、本格的な発表会(公演)に「出演」することになった。

わざわざ「出演」と書いたのは、出演者として、パンフレットに顔写真と一緒に小学2年生の長男の名前が掲載されるからである。

そもそもは大人の人達がメインの発表会で、子供のクラスは彼らだけ。

練習も本格的で、ゴールデンウィークは、すべてリハーサル。

僕自身、子供の付き添いでリハーサルに来て初めて、その本格さを知り、驚いた。

振付けの先生、演出を担当される方などなど、さながらミュージカルの舞台裏を見に来たような感じである。

出演される方々はセミプロなのだろうか?普通の会社員とは思えないオーラがある。

みんな、真剣そのものであり、ダンスが好きだということが、見ている方にビシビシと伝わってくる。

現在、2度目の通しリハの最中だが、本番よりも、この瞬間にこそ、意味があるように思う。

結果がすべてというが、むしろ「プロセス」にこそ意味があるし、プロセスを「共有」することに「価値」があるのだろう。

僕らが実施しているシリコンバレーでのピッチコンテストでも、一緒に行ったメンバーの中に必ず、「同窓」意識のようなものが生まれている。

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次男の寝顔と MacBook Air。

2月下旬の時もそうだったが、出張前はどうしても仕事が立て込み、疲れがピークに達する。

今回も一昨日から体調が悪くなり、掛かりつけの医者に行った。

今日の深夜のフライトで米国に行くのだが、羽田から午前00:05分のサンフランシスコ便が就航するようになり、時間効率的には勿論、時差ぼけが酷い僕にとっては、現地に着いてからの体調がかなり楽になった。

ところで、2週間前に届いたMacBook Air をようやく開封した。

6年前に6年ぶりにMacに返り咲いた時ほどの感動はなかったが、それでも、やはり、Macには人の心を動かす何かがあると思う。

Jobs の偉大さを改めて感じる…。

そのMacBook Air に、MacBook Pro からデータを移行中で、実はMacが使えないw。

話は変わるが、2月に生まれた次男は、先月下旬から、かなり笑うようになった。

この4月から小学生になった長男は、端正な顔立ちをしているが、次男は、平石家の血筋を受け継いだようで、朴訥とした顔と体型をしている。

性格も全く違いそうだ。

長男は、顔立ちや体質は妻方で、性格は僕に似ている。
次男は、顔立ちや体質は僕似で、性格は妻に似ているような気がしている。

兄弟であっても、それぞれに「個性」がある。

本来、教育というのは、その子が持って生まれたものを引き出してあげるためのもののはずが、高度経済成長の弊害なのか?全く逆のことをしている側面がある。少なくとも、僕はそう思う。

ビルゲイツが言っているとおり、個々人に教育内容を合わせるべきにも関わらず、学ぶ人が教育内容に合わせている。

ドラッカーの言う「業績ギャップ」である。

その「業績ギャップ」も、テクノロジーの進歩で解決される日が来ると思う。

僕たちが、その解決に貢献できたら嬉しい。

さて、そろそろ、長男をヒップホップのレッスンに連れて行こう!

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カブトムシの幼虫。

昨日の午前中は、近所に住む友人夫妻に子供を預けて、僕たち夫婦は、とある用事で外出した。

偶然というには余りある幸運にとても感謝をしている。

ところで、今年の夏祭りで、カブトムシ(つがい)と金魚を2匹もらってきた。

町内会だったか商店街がスポンサーになり、子供たちにカブトムシを配り、金魚すくいの露店を出していた。

カブトムシは残念ながら死んでしまったが、金魚は思いの外、元気にしており、我が子がすくってきた時の倍ぐらいの大きさになっている。

夏祭りは7月下旬だったので、そろそろ2ヶ月になる。僕の経験では、こんなに長生きしている金魚は初めてだ。

我が家にやってきた金魚。専用の水槽を買ってもらい、浄水器のようなポンプが設置され、水草が浮かんでおり、水槽の底には砂利が敷いてある。

もう少し広い水槽に越したことはないが、まあ、快適な環境だろう。

ところで、死んでしまったがカブトムシだが、今朝、我が子が「幼虫」���いるのを発見した!

林試の森公園で取ってきた腐葉土をいれた水槽をそのままにしておいたのだが、僕の思ったとおり、メスが卵を産んでいたらしく、幼虫が生まれていた。

大喜びの我が子は、近所の公園に行き、メスを埋めた場所に行って報告をし、僕と一緒に東急東横店の屋上にあるペットショップに腐葉土を買いに行った。

帰宅して腐葉土を交換しようとして古い腐葉土を取り除こうとすると、土がモコモコと動いてる。

なんと、カブトムシの幼虫が5~6匹ぐらいはいるようだ。

福島県郡山市で生まれ育った僕は、小学校の夏休みは、カブトムシやクワガタを捕りに行くのが日課だったし、カブトムシの幼虫を何度も孵化させた記憶がある。

さすがに一戸建てのようにはいかないが(僕は子供の頃、自作のカブトムシ収容施設?を作って、縁側の外に置いておいた)、都会のマンション暮らしなりに、昆虫や金魚(生き物)との触れ合いのある少年時代を送らせてあげたいと思っている。

「自己効力感」と「達成体験」。

日曜日(昨日)は、僕たちの子供の「自転車の練習」で、代々木公園に出掛けた。

昨日の雨のせいで、地面はジトジトと湿っていたが、森林浴をしながら、昼前から3時間ほど自転車の練習をした。

先々週(僕は所用でいなかった)と先週、保育園繋がりのお父さんに自転車の練習に付き合ってもらったお陰で、だいぶ乗れるようにはなっていたが、今日の練習スタート時点では、まだ、それほど長い距離は乗れなかった。

最初は「なんでお父さんは、○○ちゃんのお父さんのように出来ないの!教えるのが下手なの!」と文句を言っていた我が子だったが、お父さんからお母さんに選手交代し、そこそこ乗れるようになると「喜色満面!」。

子供は分かりやすい(笑)。

その後は、僕が練習をみてあげていたが、人間は「誰かに見ていてもらえること(愛情を受けること)」と「自分はできる!」と思えること(達成体験をすること)が極めて大切だということを改めて感じた。

それにより、「自己効力感」が生まれてくるのである。

因みに、この「自己効力感」という概念は、法政大学経営大学院イノベーション・マネジメント研究科でご一緒させていただいている高田朝子先生(教授)に教わった。

そして、そのことを、僕が担当させていただいている、ある学生に説明したことがあるのだが、彼の研究テーマは(勿論、詳細は書けないが)、どうすれば「児童養護施設」に暮らす子供達に「自己効力感」を育んであげることができるか?というものである。

「児童養護施設」に暮らす子供達の中にも、やれば出来る子はたくさんいるはずである。

本人の責任ではなく、そういう境遇になってしまった子供達に、何とかして手を差し伸べようとしている彼を、僕は応援したいと思っている。

撮れていなかったタラコダンス。

朝から曇天の今日が嘘のように、狙い撃ちしたような「晴天」に恵まれた昨日、我が子が通う「保育園の運動会」があった。

今の保育園に移って始めての運動会である。

転園して暫くは、以前の保育園が恋しくて泣いてばかりだったが、2~3ヶ月前ぐらいから、迎えに行ってもすぐには帰らないようになった。

子供は「順応性」が高いというが、新しい環境に順応するまでに「数ヶ月(5~6ヶ月)」を要するということでもある。

ところで、その運動会だが、ちょっとしたハプニングがあった。

僕たちの子供は、おっとりした性格で、「かけっこ」で負けても、それほど悔しくはないらしいが、楽しみにしていた「タラコダンス」の「映像」を妻が取り損ねたことを知り、大粒の涙を流して抗議した。

後列の方にいた我が子を何とかレンズに収めようとして悪戦苦闘しており、録画ボタンを押したつもりが、逆に切っていたらしく、よりによって、肝心のタラコダンスの映像だけが撮れていなかった。

子供にとっては一大事なのは間違いなく、暫くは何を言っても収拾がつかなかったが、我が子ながら、そういう発想ができるのか?と思わせる発言があった。

彼は、僕たち夫婦が仲良くしている友人夫妻に「タラコダンス」の映像を見せると約束していたらしく、「家の中じゃなくて、どこか他でタラコダンスを踊って、それを撮ってもらって、それを見せる・・・」と言い出した。

妻が、泣き止まない我が子に「近くで踊っていたお友達のお母さんに、ビデオに撮っていたかを聞いてみるから・・・」と言ったことを受け、「もし、映っていなかったら・・・」ということで、そんなことを考えたようだ。

親バカながら、子供の発想の柔軟性というか、発想の転換に「ハッ」とさせられた瞬間だった。

子供の教育(将来)。

Twitter には書いたが、土曜日は渋谷区の小学校説明会に出掛けた。

保育園で一緒だったお父さん、お母さん達と一緒になり、説明会の後は昼食を食べながら、小学校教育のあり方について議論が白熱した。

旧友とその後も過ごしたいという子供のリクエストがあったこともあるが、ランチの後は、我が家に場所を移して、引き続き、教育問題に関する話をした。

いつの世も、親にとって子供の教育(将来)は、何にもまして大切なことだということを、自分がその立場になって初めて実感する。

そんなことがあったせいか、妻は昨晩、子供の教育のことを考えて、あまり眠れなかったそうで、今朝は保育園に子供を送り出した後、小学校の話になった。

地方都市出身の僕には、私立の小中学校に行くというのは考えられないことだったが、東京生まれで東京育ちの妻にとっては、自分自身が経験してきた現実的な問題なのである。

そこが、彼女と僕との大きな違いである。

尚、彼女は、父親が芸術家というと聞こえはいいが、収入が安定した家庭に育ったわけではなく、小中高と公立の学校を出ている。

子供には、出来る限りのことをしてあげたい。