桜咲く。人生はすべて必然。

マイナーコードの曲が好きなのは、自分自身を「夢破れた人」と認識しているからなのかもしれない。でも、そこに希望を見い出しているのは、今風に言えば、まだワンチャンあると思っているからだろう。でも、残された時間は決して多くはない。人生は短い。正確に言うなら、時間はあっと言う間に過ぎ去る。花の命は短い。

忘れないように書いておくと、他力本願かもしれないが、中学高校時代の「教師や環境」が大きく影響していると思う。皮肉かもしれないが、それが僕が教育に関心を持つようになった理由でもある。

人生はすべて必然」というのは、僕の自作の座右の銘の2番目の言葉だ。

長男と次男のダブル受験は無事終了。今年の2月は我々家族にとって忘れられない季節になった。

長男は第一志望の国立大学の第二志望の学部には合格したが、第一志望の学部の合格は手にすることができず、私立の第一志望、全体では第二志望の大学に行くことにした。合格した国立大学は難関校なのは事実であり、その大学に合格したことは、彼にとってはコンプレックスを払拭する材料になったという。そんなこともあり、自分の興味に合致する第二志望の私立大学に行くことを前向きに捉えている。素晴らしいことだ。

次男のことは「梅の花は咲いたけど・・・」で書いたが、都立の中高一貫校に進学することになった。彼はバランス感覚に優れた人間で、長男のようなコンプレックスを抱えているわけでもなく、一定水準以上の学校に行ければ問題はないと考えていたようだ。合格に対して、長男ほどの高揚感は見せず、むしろ、喜んでいたのは親の方だった。

One Broadway, Cambridge MA

ところで、武蔵野大学アントレプレナーシップ学部(通称:EMC=Entrepreneurship Musashino Campus)の仕事で、選抜された学生5人(女子4人!+男子1人)を連れて、3/3 (日)に成田を出発、ボストン、ケンブリッジ、そしてニューヨークを訪問し、3/9 (土)に現地を発ち、3/10 (日)に帰国した。

僕と懇意にしてくれている方はご存じのとおり、EMCという日本で初めての「アントレプレナーシップ学部」の創設に参画した。声を掛けてくれた羊一さんに感謝である。

EMCは学部名のとおり、起業家精神(entrepreneurship)を育むことを目的とした学部であり、教員は僕自身を含めて、ほぼ全員、実務家だ。起業家、投資家、新規事業責任者、NPO経営者、デザイナーなど多様である。

今年はボストン大学バブソンカレッジで授業を見学させていただいただけでなく、5人の学生たちが自分自身の問題意識や起業アイディアについてプレゼンし、それに対して教授や学生たちからのフィードバックをいただき、Q&Aを行った。

プレゼンもQ&Aも当然、英語。プレゼンは事前に用意していたものの、英語は殆ど話せない学生もいて、Q&Aは僕が手伝った。印象に残っているのは、ボストン大学でのプレゼンで、ある学生のQ&Aで、彼女が目に涙を浮かべながら真剣に答えようとしていた瞬間。彼女は留学経験があり、英語は堪能だが、異国の地で自分自身と向き合うことになり、感極まったのだろう。さらに僕が驚いた(とても嬉しく思った)のは翌朝、ホテルで朝食を摂りに降りて行ったところ、彼女がロビーでプレゼンスライドをスクラッチから作り直していたことだ。その前向きな姿勢がとても嬉しかった!

5人とも頑張っていたが、もう一人、紹介したいのは、唯一の男子として参加した多田采広(ただ あやひろ)という学生のこと。彼は小学校から高校2年生まで、サッカーづくめの人生を送って来ており、プロのクラブから、それも2つのクラブから声を掛けられるほど才能に恵まれていた。しかし、プロ契約をするにあたり、身体検査を受けたところ、脳にとある障害が見つかり、そのままサッカーを続けると命の危険があるということでドクターストップが掛かり、彼のサッカー人生は幕を閉じた。

彼にとって、どれほどの喪失感だったかは想像に難くない・・・。

EMCに入ってきても、彼は自分が情熱を傾ける対象を見つけられず、もがいていた。おそらく、そんな自分が嫌で終止符を打ちたかったのだろう。殆ど英語も話せないにも関わらず、今回の選抜プログラムに応募してきた。

学部長の羊一さん、同僚の津吹さん、そして僕の3人で議論を尽くした結果、彼を今回の研修に参加させることにした。ところが、それから3ヶ月、彼は本当に参加するのだろうか・・・と思わせるような状況に陥った。でも、彼を選抜して本当に良かった。5人それぞれにレポート(noteで公表)を書いてもらったので、宜しければ是非、読んでみて欲しい。

Rie さんを囲んで彼女の今までの人生とNYCでの生活について話を聞く at セントラルパーク。

ところで、ボストンからNew Yorkに移動した翌朝、古くからの友人であるRieさんという日本人女性起業家と学生5人を会わせるため、セントラルパークで待ち合わせをした。

New Yorkは、一週間いると、ここは自分の街だと思えるようになる街だ」と彼女は言っていたが、僕にとって6-7年ぶりのNYCは「帰ってきた・・・」という感じがした。

大学4年生の時、New York 郊外の友人宅に約1ヶ月滞在させてもらい、アメリカ人の学生たちと交流した経験は、その後の僕の人生に大きな影響をもたらした。NYCはもちろん、アメリカは初めてだったが、僕にとっての「着火剤」になった。それ以来、かれこれ、30回ぐらい、NYCを訪れている。でも、その火をもっと大きく育てて来るべきだった・・・と後悔している。

もちろん、何事にも「トレードオフ」はあるわけで、その分、経験して来たこと、得てきたことはたくさんあるわけだが、選択しなかった「B面」に未練というか消化不良を感じている。年齢のことを話すのが本当に嫌な年齢になったが、還暦を迎えた今からでも遅くないし(2週間後は61歳だ!Time flies always!)、できることはあるので、何らかの形で具現化しようと思っている。

このまま終わるわけにはいかない・・・!

Times Square, New York, NY
911 memorial, New York NY

梅の花は咲いたけど・・・。

環七を走りながら、去年の今頃も羽根木公園に「梅の花」を見に行ったことを思い出した。6ヶ月ぐらい前にしか感じなかったけど。

学生時代の僕は下北沢に住んでいたこともあり、電車で二駅の羽根木公園の「梅祭り」には何度か行ったことがあった。あの頃と違うのは、昨年も今年も、その目的というか動機だった。

次男の受験は上手くいき、我が子ながら、そう簡単ではない都立の中高一貫校に合格したのは喜ばしいのだが(特に親の経済事情的には)、人生は思うようにはいかない。どうにも気持ちの整理がつかないことがあり、そうだ、京都に行こう!とできれば良いのだが、残念ながらそうはいかず、クルマで15分も走れば到着する羽根木公園に梅の花を見に行った。

昨年はInfarm の日本市場からの撤退、つまり、日本法人を解散することになり、これからますます子供たちにおカネが掛かるというタイミングで、いったい、どうするんだ・・・ということが直接の原因だった。

齢を取ったせいか、桜と較べると地味な梅の花は、心を落ち着かせるのにはちょうどいい。桜の花は華やかで、こういう気分の時には、too much だ。

今日は次男の小学校の授業参観(最近は学校公開と言うらしい)で、1時間目の体育の授業を観に行った。家に帰った後、屋上で洗濯物を干していたところ、何かの気配を感じて振り返ると、なんと、山鳩が屋上の柵に止まって来た。僕は鳥が嫌い(怖い)で、追い払おうと思って、カバーを掛けてあるBBQ用のテーブル越しに足を一歩踏み込んだのだが、それでも逃げない。英語で「Jesus!」と叫んだら、飛んでいった。

僕たち家族の住まいは東京都目黒区にあり、決して田舎ではないのだが、目黒区には「林試の森」という広い公園があり、そこに住んでいるのか、山鳩を頻繁に見かける。山鳩は街にいっぱいいる鳩と違い、人を避けるはずなのだが、あの山鳩は何故か、僕を見つめて、逃げようとせず、むしろ、自分から僕に近寄って来たように思う。

神様が山鳩を使って僕に何かメッセージを届けようとしたのか? そんなことを考えた後、羽根木公園に向かった。

実は先月下旬(1/27)、武蔵野EMCの公式行事として「EMC SUMMIT」なる発表会を開催したその時も、とあることで塞ぎ込んでおり、審査員を仰せつかっているにも関わらず、塞ぎ込んだ顔はできないし、でも、不器用な僕は笑顔を振りまくこともできないし・・・と、会場に向かう電車の中で思い悩んでいた。でも、会場に着き、学生たちと挨拶を交わすうちに、自然と気持ちが晴れていった。

今このブログは、とあるお洒落な場所で書いているんだけど、EMC公式Slackを開けたところ、EMC SUMMITにも登壇した2期生の「鈴木瑠花」が自分の「note」を紹介していた。彼女のnoteを読んでいるうちに、目頭が熱くなり、僕も頑張るか!!という気持ちになった。嘘じゃなくて・・・。

凄いね!EMC!!

「野党」と「人間の死亡率は100%」。

僕の場合、ブログを書くにはエネルギーがいる・・・。

ここ数ヶ月は書きたいことがたくさんあったが、溜まっている仕事があり、僕のリアクションを待たせている中、ブログを書くのは申し訳ないという気持ちがあり、遠慮していたが、何とか一段落したこともあり、久しぶりに書いてみた。

facebook の3年前のこの日・・・とかいう機能はいいね。なるほど・・・あれから、もう3年も経つのか?と、自分の軌跡を振り返ることができるし、忘れていた大切なことや人たちを思い出させてくれる。

僕たち兄弟の母は、僕が15歳の時、45歳の若さで亡くなった。父は僕が24歳の時、55歳で亡くなった。僕も含めて、人間はいつかはこの世を去る。

僕が20代の時に務めていたODSという会社の創業者(山口さん)は生前、元ソニーCEOの出井さんと親しくしており、山口さんのお別れ会は出井さんが音頭を取って開催された。そこでの出井さんのスピーチが印象的だった。

「人間の死亡率は100%ですから・・・(あれほどエネルギーに満ち溢れていた山口さんでも亡くなるということです)」。

ドラッカーは「人は一年でできることを過大評価する一方、5年あれば(実現)できることを過小評価する」と言っていた。

今から思えば、どう考えても無謀であり、当時の僕の実力では成功するはずがないことに挑戦し、見事に玉砕したのが2008年。晴耕雨読ならぬ「晴『読』雨読」生活を送っていた2009年から数えると7年が経った。

修士すら出ていない僕が「法政大学」の「経営大学院(MBA)」の客員教授になり、Allenとの再会がきっかけでサンブリッジにジョインし、会社分割でサンブリッジ グローバルベンチャーズを設立。投資先の大半は「海外」のスタートアップになった。

2011年5月20日にベンチャーナウの竹内さんと一緒に立ち上げた「Innovation Weekend」は海外で開催するようになり、僕は「London Tech City Global Fellow」になった。要するに、ロンドンのスタートアップのグローバル化を手伝う顧問だ。自分でも笑ってしまう。ロンドンどころか、一度も海外に住んだこともないのにだ・・・。おまけに昨年、ロンドン市長 Boris Johnson 氏が初来日した際の英国大使館のレセプションではパネルディスカッションに登壇させていただき、その時の僕の発言をJapan Times が掲載してくれた・・・。Boris Johnson 氏を囲む昼食会までご一緒させていただき、幸運にも隣の隣の席だった。

NOKKOはいいね。YOUTUBEでしか見たことはないけど、解散コンサートの「フレンズ」は最高だ!願わくば、GLOBALに売れて欲しかった!彼女たちに限らず、僕の大好きなチャーにしても、その才能からすれば、GLOBALに成功してもおかしくない人が日本人にはたくさんいる!

東洋人だからか、母国語が日本語だからか、その理由はともかく、とてももどかしい・・・。

高校生の頃、日比谷の野外音楽堂でライブをやって、満員の観客からアンコールをもらったら、その場で死んでもいいと思っていたけれど、やっぱりミュージシャンは最高だ!極々一握りの才能がある人たちだけではあるけれど、こんなにも人の心を揺さぶって、頑張ろう!って気にすることができるのだから・・・。

この週末+明日は、法政大学MBAでの仕事。一般的な大学院の修士論文に相当する「プロジェクト」と言われるビジネスプランの最終発表会。自分が発表するよりも、担当する学生の発表を待つ方が緊張する。人を指導するのは難しい・・・。自分が未熟だということを思い知らされる。でも、勉強になる。

プロジェクト発表会が終わると大阪。今年は2/17(水)、HackOsakaというカンファレンスがある。僕は3年前から、大阪Global Innovation創出支援事業(略して大阪GI)のスーパープロデューサーなる、どうにもカッコ悪い役職の仕事を仰せつかっている。

正直に言って、大阪にスタートアップのコミュニティを創るのは至難の業だ。東京にざくっと年間約1,000億円のVC投資があるのに対して、大阪には70~80億円ほどしかない。最近の東京のイケてるスタートアップなら2~3社でその額を集めてしまう。自分でベンチャーを立ちあげたい、起業したいという、優秀でやる気がある人たちは殆どと言っていいぐらい、東京に行く。おカネだけではなく、仲間も情報も必要なノウハウもすべてが東京にあるからだ。

ある人に質問されたことがある。
Ikuo, do you think you can reverse the tide? 
「常識の範疇」のことをやっているだけでは、「潮の流れ」は「変えられない」。
京都や福岡ほどこじんまりをまとまっているわけではなし、総合力では東京に勝てっこない。「これなら大阪だ!」という何かが必要だが、まだ、それは見えていない。
2013年2月14日。500startups創業者のDave McClureが演台をバン!と叩き、「お前らにイノベーションなんて起こせないだろう!!(その覚悟があるのか?)」と言ったのは単なるパフォーマンスではない。

この期に及んで雇用を守れ・・・。痛みを覚悟せず、改革ができるというのだろうか?

「新しい産業」に羽ばたかせてあげる良い機会だ!という考え方はできないのか?何とも情け無い、と思うのは、僕だけだろうか?

その大阪も少しずつ変わってきた。関西の雄、阪急電鉄の高岸さんという方は今から5年ちょっと前、とあるセミナーで知り合ったAllen Miner(サンブリッジ創業者)をあの手この手で誘惑?し、阪急の古いビルを利用して、梅田にインキュベーションオフィスを立ち上げた。そして、2015年3月には、2億円と金額は小さいが、僕たちと一緒にファンドまで立ち上げた!阪急電鉄にとっては前代未聞(前例はない)のことらしい。大組織も、本当に何かを変えたいと思う「熱い」想いをもった一人の人間がいれば変えられる、ということだ。

また、阪急関連の公益財団法人 都市活力研究所の大谷さん(一児の母)は、財団の仕事として、Innovation Weekend World Tour を応援してくれている。お嬢さんの面倒を見てもらうべく、実家のお母さんを呼び寄せてまで、New York, London, Paris, Boston, Singapore, Berlin・・・と同行してくれており、事実上、運営スタッフの一員である。彼女のエネルギーが、Ripple effect をもたらすことを期待したい。

今年のHackOsakaでは、ソフトバンクも出資する tokopedia, founder & CEO, William、弊社の投資先でもあるPeatix Co-founder 竹村さん、「ユニコーン(時価総額1Billion USD以上の未公開企業)」の一社であるWeWorkのDaniel, 欧州を代表するシード・アクセラレーター startupbootcamp, Co-founder &CEOのAlex, 500startups Japan のトップに就任したJames等、多忙なスケジュールの合間を塗って駆けつけてくれている。単なるイベントではなく、彼らの好意に応えるためにも、何かを起こす責任がある。

ところで、いつだったか、ブロゴスかアゴラの記事で、誰かが「民主党の岡田さん」を指して、あの方は本来は「与党」の人だ、と言っていた。だから、発言に「キレがない」と。要するに、政策が自民党と大差なく、そもそも自民党を批判すること自体が難しい。なるほどな・・・と思った。

そういう意味で僕は、基本的に「野党の人生」なんだろうな・・・。一度は与党チックになった気もするが、ドリームビジョンで大コケし、また野党に逆戻り・・・。

でも、それが僕の原動力なのも事実だし、いざ、与党になったら、大変だろう。野党は「批判する」のが仕事かもしれないが、与党は「世の中」を「治める」必要がある。安倍さんも大変なわけだ。

でも、少数政党として、連立与党の一角になってみたい気もする。一生に一度ぐらいは。

来月で53歳。あと5年したら、58歳・・・。

今年は、シリコンバレーで、とある大きなことをしよう思っている・・・。準備はまだまだこれからだけど、まあ、書いてしまおう。そうすれば、引っ込みがつかないし、「予言は自己実現する」というからね・・・。

追伸:ブログの写真は、ちょうど10年前。さすがに若い。そろそろ代えないと・・・。

「友人の訃報」と「スティーブ・ジョブズ」

このエントリーは、2/14(金)、バレンタインデーに途中まで書いたまま、続きが書けずにいたものだ。

大阪市の仕事でシリコンバレーにきており、こちらの時間で今日(2/28)、無事に一週間のプログラムが終わり、ホテルの部屋で続きを書くことにした。

(ここからが続き)

先週金曜日、法政大学経営大学院で今年度の最終発表会の最中、facebook メッセージで友人の訃報が届いた。

自分と同年代の友人が亡くなるというのは、さすがにショックだった。

彼女とは、仕事を通じて知り合った別の女友達を介して知り合い、その彼女とは、某商社の仕事を通じて知り合った。

そして、その仕事の担当者だった男性と僕を含めた4人での付き合いが始まった。

僕がインタースコープというネットベンチャーを創業した頃で、全員30代だった。

その4人の集まりを僕は勝手に、Tokyo 30s と称していたが、時間と共に、Tokyo30s40sになり、Tokyo40sになり、Tokyo40s50sになり、遂にTokyo50sになった矢先だった。

三流大学にしか行けなかった僕は、愛校心の欠片も、大学時代の友人も殆どなく、この4人での付き合いは、とても大切なものだった。

その中の1人がいなくなったということだ。

そう。人間は必ず、いつかはこの世を去る日が来る。

ところで、僕のブログを読んでくれている方々の中にも、故スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学でのスピーチをYOU TUBE で見たことがある人がいると思う。

毎朝、鏡の前に立ち、もし、今日が人生で最後の日だったとしたら、今日の予定は本当にやりたいことだろうか?と思って毎日を過ごすうちに、本当に人生最後の日がやってくる。

「これは、人生最後の日にやりたいことではない」と感じることが多くなったら、そろそろ何かを変えるべき時だというサインである。とジョブズが言っていた。

35歳になった時、20歳から今までの時間がもう一度、僕の人生に訪れると、僕は50歳になるという事実に気づき、ハンマーで頭を殴られたような衝撃を覚えたことを今でもよく憶えているが、昨年の3月30日、ついにその日が現実となった。

今の仕事をバリバリやれるのは、あと10年である。

冗談でも何でもなく、僕は9年1か月後、60歳になる。

でも、ここ数年で、確実に、僕が「なりたい」と思っていた自分に近づいていっていることを実感している。

60歳になった時、それまでの自分を自分で褒められるように(有森裕子さんの言葉)、周囲に遠慮するのはやめて、自分に正直に生きていこうと思う。

子供たちのためにも、活躍している父親の姿を見せたいからね。それが最大の教育だと思うから。

そして、それが今の僕の最大のモチベーションである。

親しい友人の訃報で、ジョブズのスピーチを思い出した。

iPhoneからの投稿@シリコンバレー

「バイオリンの発表会」と「ドラッカー」の教え。

今日は上の子が3歳の時から習い始めたバイオリンとピアノの発表会があった。

横浜ベイクォーターで聴いたジャズのバイオリンに興味を持ち、それから3カ月、習いたいと言い続けていた。

続けられるのか?と思い、聞き流していた妻も根負けし、3歳になった冬から、近所の先生のところに通うことにした。

レッスンに通う以外は殆ど練習をしないので上達はしないが、自分から言い出しただけあってか、3年以上、続いている。

バイオリンはともかく、音楽は大好きで、家にいる時は、何をしている時も大きな声で歌をうたっている。

僕に似たのか、飲み込みは早いが基本をきちんと勉強しようとせず、感性に任せて自己流でやろうとする傾向がある。

しかし、何かを極めようとするなら、基礎が疎かでは覚束ない。

30代半ばで英語を学び直し、40歳を過ぎてからゴルフのレッスンに通うようになったが、効果は的面に表れている。

そして、何事も継続は力なりである。

そういえば、ドラッカーはこう言っている。

「成果をあげる者は時間と戦わない。ゆっくり進む」。

こうも言っている。

「(成果をあげる者は)一度にひとつのことしかしない」。

イノベーションには、コミットメントが必要不可欠ということだ。

色々と浮気しては、成果は期待できない。思い切って「捨てる」ことが必要だ。

「人生は短い」。

しかし、何かを成し遂げるには「時間」が必要である。

そして、時間は「保存できず」、「若さ」という「賞味期限」がある。

ドラッカーは、こうも問う。

人生を終える時、何と「記憶」されたいか?

50歳になってもこの問に答えられなければ、時間を無駄に過ごしたことになる。

さて、50歳まで、あと一年、悔いの無いように頑張ろう!

追伸:小さいながらも満員のホールで、我が子の演奏に固唾を呑む「真剣な聴衆」。人に何かを教えるというのは、素晴らしい職業だと思った。

僕は「起業とは何か?イノベーションとは何か?」「それらには何が必要か?」を自ら実践し、それを若い人達に伝えていこう。

iPhoneからの投稿

何かを諦める。

今月は頑張ってブログを書こうと思っていたが時間が取れず、前回のエントリーから一週間が空いてしまった。

正確に言うと、時間が無くはなかったが、物事の優先順位を考えた時、他のことを優先せざるを得なかった。

ところで、facebook と twitter に書き込んだが、僕も何度か取材をして頂いたことのあるVentureNow主催のVentureNow Live 4 に来ており、会場でこのエントリーを書いている。

先程まで、元価格コム社長のアキタさんとビデオジャーナリストの神田さんのトークセッションがあったが、アキタさんの話は相変わらず飾りっ気がなく面白かった。

話は変わるが、昨日は行きつけの美容室で髪の毛を切った。

通い始めて今年で20年になる「アクア(僕が通い始めた頃は、オペラとという名前だった)」は、ひと頃の「カリスマ美容師」ブームの火付け役だった綾小路さんが立ち上げた美容室だが、彼とは僕が最初の会社を立ち上げた28歳の頃、たまたま、ある雑誌の取材で知り合った。

ここ数年は、綾小路さんは店に出る日数が限られており、最近は、彼のアシスタントだった角(すみ)さんという方に切ってもらうことが多い。

その角さん、初めて会った時は、まだ21~22歳だったが、今やアクアの主要メンバーのひとりである。

最近は(今年は4度目の年男ということもあり、特に)年齢を意識することが多くなったが、他人の年齢を考えると、時間の経過をより一層、実感する。

綾小路さんが担当していた幼稚園児は大学生になり、ビットバレーで盛り上がっていた2000年生まれの子供は今年で11歳、小学校5年生になる。

持って生まれた才能や能力には差があっても、時間だけは、すべての人に「平等」に与えられている。

何かを形にするには、最低でも4~5年はかかる。

それは、運も含めて色々な要素が上手く噛み合っての話であり、実際には10年はかかるだろう。

あれもやりたい、これもオモシロイと思っても、自分はひとりしかいない。

Jリーガー兼プロ野球選手という人はいないわけで、何かを選ぶということは、何かを諦めるということだ。

「3度目の年男(インタースコープを立ち上げた)」の時も、同じことを考えたことを思い出す。

あれからほぼ12年。「人生は短い」。

iPhoneからの投稿

「劣後順位」:僕の場合は「YOUTUBE」。

昨日は「子守り」のためにアメリカから長期帰国している叔母に会うために、妻方の従姉妹の家に遊びに行った。

途中で消されてしまったが、たまたま見たテレビで、元プロ野球の「衣笠祥雄」選手の現役時代を振り返り、彼の「名言」を紹介する番組が放送されていた。

「大きな喜びは決して色褪せない。だから人間は、大きな喜びを経験すると、もう一度、その喜びを味わいたくなり、困難にもメゲズに頑張るのである」。

一言一句は別として、彼のそんな言葉が紹介されていた。

ところで、一昨日のエントリーで「今年は読書100冊!」と書いたが、達成できるか?と言われると、正直、自信はない。

でも、どこまでやれるかやってみようと思っている。

「捕らぬ狸の皮算用」は、こういうことだ。

僕は読むスピードが遅く、本の内容やその時の体調にもよるが、30分に「15~20ページ」つまり、一時間に読めるのは「30~40ページ」である。

となると、300ページのビジネス書を読了するには、読書に一日3時間強を確保できたとして3日を要することになる。

すると、一週間で何とか2冊。一ヶ月で8冊。12ヶ月 X 8冊=96冊となる。

週末は子供の相手や家庭の用事があるので、本を読むことに使える時間は平日に限られるため、会食や何やのと夜の予定が入ることを考えると、上記の方程式は甚だ心許ない。

まあせいぜい「50冊」がいいところだろう。

でも、目標は高く!ということで、どこまでやれるか頑張ってみよう。

そのためには、物事の優先順位をつけ、優先順位の低いものをバサッと捨てる必要がある。

さらに言えば、これもドラッカーの教えだが、優先順位よりも「劣後順位(しないことの順位)」が大切だ。

僕の場合、その筆頭格が「YOUTUBE」。

実は、一昨日の晩、テクニカルには昨日の深夜、02:30amまで、YOUTUBEを見ていた(聴いていた)。

あと78日で48歳の身体は正直で、昨日も今日も、集中力にやや欠ける。

山川さんの推薦で年末から読み始めた「いまこそ、ケインズとシュンペーターに学べ」は、読了まで「あと20ページ」。

さて、今日はこの後、昨年末に読んだ「ハーバードの『世界を動かす授業』」の著者:リチャード・ヴィートー教授の講演会がある。

その後は、お酒とYOUTUBEの誘惑を断ち切って、残り20ページを片付けたい・・・。