Progress Part-2. 同調圧力ノムコウ。

それが英語だったからなのか、それとも他の言語でも同じ結果になったのかは分からない。僕は中学1年生で初めて「英語の授業」を受けた時、「世の中に、こんなにおもしろいものがあったのか!」という衝撃を受けた。今までの人生で、あの時の衝撃というか感動を超える出来事には出会ったことがない。

強いて言えば、大学生の頃、初めてNew York を訪問した時のことは今も鮮明に憶えている。地下鉄の車両に乗っているのが、白人だけでも、黒人だけでも、もちろん、東洋人だけのわけはなく、とにかく人種の坩堝だったことに衝撃を受けた。

インフィニティ国際学院の第一期生、長野県出身の「フランシス聖(以下、フランシス)」は、カナダ人の父親と日本人の母親を持つ、日本でいうところの「ハーフ」だ。でも、海外の僕の知り合いは、そういう彼・彼女たちを「ダブル」と呼んだりする。

フランシスは日本の公立小学校に通っていたが、型に嵌められる教育カリキュラムに馴染めず、私立に転校する。理解のある先生に恵まれ、一時はモチベーションが高まるものの、担任の先生が変わり、不登校になる。そして、父親と一緒にカナダに移住する。

小学校を卒業し、入学した中学校は、すべての授業が「フランス語」で行われる学校だった。きっとケベック州等、東海岸の学校だったのだろう。最初はまったく授業についていけなかったが、徐々にフランス語を習得。様々な国籍や移民の子どもたちがいるその学校は、まさに日本とは「別世界」で、学校生活は楽しくて仕方がなかったそうだ。でも、ある時、とても仲が良かった友人が家族の都合でカナダを離れ、ヨルダンに帰ることになる。号泣した彼女だったが、それがきっかけでフランスに3ヶ月、留学。カナダとは違った世界を知る。そして、日本に帰国した。

僕が中学生の時、交換留学制度の説明があった。僕は是非、行ってみたいと思ったが、当時の担任の先生は「高校生や大学生になってからでも遅くない。中学で行くのは止めた方がいい」と言った。交換留学制度があることを説明しておきながら、矛盾した話だ。あの時、交換留学に行っていたら、どう変わったかは別として、僕の人生は大きく変わっていたことは間違いない。

英語という言語に触れて以来、僕はバイリンガルになることが夢であり目標だった。留学をしたり、海外で仕事をしたいと思っていた。その夢は未だに実現できていない。

でも、一度も海外に住んだことはないけど、海外で英語で講演をしたり、パネルディスカッションに呼ばれるようになった。こう見えて?、結構、努力している。

そんなこともあり、僕は、フランシスのように、生まれながらにして「自分の中」に「異文化」を持つ人に対する憧れがある。

話は変わるが、洋楽一辺倒だった僕は、子供たちの影響で邦楽を聴くようになるまで、殆ど、J-POPは聴かなかった。そんなこともあり、SMAPが歌った「夜空ノムコウ」は、スガシカオが歌詞を書いたことさえ知らなかった。

実際に聴いてみると、才能溢れる、たくさんのアーティストがいて、僕は邦楽が好きになった。もっと言うと「日本語の歌詞」が・・・。

英語の歌詞にも心の琴線に触れるものがあるけど、ネイティブスピーカーじゃない僕には、当たり前だけど、僕が日本語の歌詞を感じるようには、悔しいけど、理解できない。

でも、フランシスのような子には、分かるんだろうな…。

僕が見ているこの景色は、彼女にはどんなふうに見えるのだろう? 彼女のような人にしか見えない何かがあるはずだ。相手を型に嵌めることしか出来ないつまらない大人には、想像さえできないようなね。

そんな努力しても手に入らないものを開花させてあげないなんて、どうかしてる。それは嫉妬? それとも、同じもの以外は認められない単一民族の性なのか。

フラン、夜空ノムコウには明日が待っているよ! 大丈夫、頑張れ!!

追伸:東京芸大出身の「川村結花」が書いた曲に、ある音楽愛好家が「現代最高の吟遊詩人」と評した「スガシカオ」が詩を書き、キムタクがリードボーカルでSMAPが歌う。嫉妬を超えて、憧れるよw。神様はズルいね!

Progress. 弱虫な自分を振り切れるか?

小学生の時も中学生の時も、僕は先生に嫌われていた。正確に言うと、僕のことを支持してくれていた先生もいたが、授業中に「平石、お前なんか大嫌いだ」とクラスメイトの前で公然とディスられたこともあった。何年生の時かは忘れたが、中学生の時だった。皮肉にも、その先生の息子とは、高校を中退して通っていた予備校で一緒だった。

小学校の時は、高学年の時の担任の先生から偏見を持たれていた。何が原因だったのかは今も分からないが、彼女は僕がいつも掃除をサボっていると思っていたらしく、ある学期の最終日に、隣のクラスの担任の先生に「平石は掃除をサボっていたでしょう?」と訊いていた。隣のクラスの担任の先生は山田先生と仰ったが、「いえ、そんなことはありません。平石くんはちゃんと掃除をしていましたよ」と返事をしたにも関わらず、「そんなハズはないでしょう」と否定してみせた。僕の目の前でだ。

そんなこともあってか、インフィニティ国際学院「第一期生の二人」の話は、57歳にもなった僕にも訴えてくるものがあった。波紋が広がるように。

ミネルバ大学のようなその高校は、僕の盟友(と僕が勝手にそう言っているのだが)「大谷真樹」さんが一年前に立ち上げた、メチャクチャぶっ飛んだ高校だ。

世界を旅しながら学び、世界の難関大学等を目指す、国際進路特化型の画期的なインターナショナルスクール。一年目はフィリピンで徹底的に英語を習得。また、深センなど近隣の都市を訪問。2年目からは、欧州、アジア諸国、そして、アフリカ大陸にも渡り、自分の目と足と心で、その場所の歴史と文化と社会と経済を学ぶはずだった彼らは、新型コロナウイルスという予想外の出来事により、オンラインでの学びにピボットすることになった。

一期生の彼らにとって予想外だったのは勿論だが、インフィニティ国際学院の創設者であり学院長の大谷さんにとっては、心臓が止まりそうな衝撃があったに違いない。そんな素振りは何一つ見せないけれど・・・。しかし、予想外を予想外のままにしておくわけにはいかず、根っからの起業家である大谷さんは、危機になればなるほど、その本領を発揮する人で、人並み外れた決断力と実行力で、僅か一ヶ月足らずで、すべてのカリキュラムをオンラインにシフトした。尚且つ、インフィニティ世界塾オンラインなる塾までスタートした!恐ろしい人だ。

そのインフィニティ国際学院の第二期生募集に伴い、一期生の彼らがこの一年で何を学んできたのか? 「シゲ」と「祥真」の二人が、小学校、中学校時代を振り返りながら、Youtube で公開した説明会で、飾らない自分の言葉で語ってくれた。

それぞれ理由は異なるが、小学校や中学校で、既存の枠組みに適応できなかった二人は、自己肯定感を持てず、その先の人生の将来展望を描けずにいたという。その二人に転機をもたらしたのが、インフィニティ国際学院なのだが、驚いたのは、彼らがこの学院に入学するきっかけは、彼らの母親からの勧めだったということだ。

詳しくは是非、Youtubeのアーカイブを見てみて欲しいが、この一年で学んだのは「自分という人間をより良く知ることができたこと」という、高校2年生の二人が口にした言葉は、大人の想像を超えていた。

ところで、休校で学校に行けず、運動不足の小3の次男を連れ出し、駒沢公園や林試の森まで、自転車で出掛けることが日課になった。それに加えて、ほぼ毎日、ジョギングをしている。約4kmのコースは、アップダウンが激しく、いい運動になる。

ジョギングの最中に聴いている、ここ最近のお気に入りの曲がある。

ギターのリフから始まるその曲は「Progress」という、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」という番組の主題歌だったことは知っていたが、それがスガシカオの曲だとは知らなかった。

その曲の歌詞を聴きながら、考えたことがある。大谷さんと僕は何が違うのだろう?

大谷さんは欲張りではなく、見栄も張らず、高級車にも興味はなく、他人の評価を気にせず、名誉欲もない。そして、これだ!と思ったことに、躊躇すること無く、邁進する。

自分が目指すものを実現するに際して、重要ではないものは、何の躊躇もなく、バサッと捨てていく。思いっ切り、振り切っているのだ。

一方の僕は、八方美人で、皆にいい顔をしたいし、他人に迷惑を掛けたくないし、嫌われたくないし、捨てることができない。それでは、大きなことができるわけがない。

そんな僕だからか、スガシカオの「赤裸々な歌詞」は訴えるものがある。

「ずっと探していた理想の自分って、もうちょっとカッコ良かったけれど、ぼくが歩いてきた日々と道のりをホントは”ジブン”っていうらしい」。

「ねぇ ぼくらがユメ見たのって誰かと同じ色の未来じゃない。誰も知らない世界へ向かっていく勇気を”ミライ”っていうらしい」。

“あと一歩だけ、前に進もう”。

シゲと祥真は、カッコいいよね!