謹賀新年~福島県郡山市で考えた「地方都市」の現実~

皆さん 新年明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。

大晦日の昼過ぎに恵比寿の家を出て、東京駅から東北新幹線に乗り、妻と子供と3人で、福島県郡山市にある僕の実家に向かった。昨日(1/3)の昼まで郡山で過ごし、午後4時前に東京に帰ってきた。

昨年は子供が小さく(生後3ヶ月)、寒いところ(東京の最低気温よりも郡山の最高気温は低い)に連れていくのは止めた方がよいということで東京で過ごしたし、一昨年は友達夫婦とタヒチに行っていたので、正月を郡山で過ごすのは、久しぶりだった。

「子供が生まれた」ことと「3度目の起業」をしたことにより、ここ一年は自分自身と向き合ったせいか、特に何か大きな出来事があったわけではないが、今回の滞在(3泊4日)は僕にとっては今までとは違ったものがあった。

僕らの父親は生前、地元の総合病院で事務長をしていたが、父の部下として働いて下さっていた方が、昨年の9月に亡くなった。今となってはあまり聞かなくなったが、父は10組ほどの仲人をしており、亡くなった方は、父が仲人をした方々のひとりだった(たしか最初の方だったと思う)。

実は、僕にとって今回の帰省の目的の半分は、その方のお宅にご焼香に伺うことだった。

訃報を聞いた時、須賀川市(郡山の隣の市)まで告別式に参列しに行こうかと思ったが、今の母と弟(次男)が行くので、そこまでしなくてもいいだろういうことで、お花と弔電を送り、足を運ぶことはしなかった。

その方は、とても義理堅い方で、父が亡くなった後も「必ず」、お盆と正月には焼香に来て下さっていた。そのことが、僕の頭に残っており、喪中の正月に焼香に伺うことに抵抗も感じたが、普段は東京にいる身に免じてもらおうと思い、1月2日に焼香に伺った。奥さんと長男の方が出迎えてくれた。

奥さんは僕の突然の訪問を歓迎してくれたが、ご主人のことを思い出してか目には涙が浮かんでいた。僕は、何故、もっと早く来なかったのかと、とても申し訳ない気持ちになった。考えてみれば、その方のお宅を訪ねたのは、今回が初めてだった。

今から2~3年前だろうか、その方が病(ガン)に倒れたと聞いて、東京に住んでいる末弟とふたりで、郡山の病院にその方を見舞いに行ったことがある。医者ではないが、事務長(父が亡くなった後、父と同じポジションに就いていた)として医療に関する知識は豊富であり、当然のことながらご自分の病気のことはよく理解されており、僕らが「頑張って下さい」と声をかけたところ、郡山弁で「頑張ってみっぱい」と返事をされたことが、とても印象に残っている。

一旦は元気になったと聞いていたので、父はもちろん僕たち家族がお世話になってきたことのお礼を込めて、ご挨拶に伺おうと思っていたが、「後悔、先に立たず」とは、こういうことを言うのだろう。

奥さんが仰るには、最初に見舞いに駆けつけたのが僕ら兄弟だったそうだ。ご焼香に伺って、その話しを聞き、少しは申し訳ない気持ちが薄らいだ。

ところで、その方のお宅には、郡山で弁護士をしている弟(次男)の車で連れていってもらった。行き帰りの車中で、彼と地元の経済のことについて話しをした。

弟が郡山で弁護士事務所を開業してから10年近くになるが、「ネットバブル」も何も関係なく、その間、景気は悪化の一途を辿るのみだという。彼が扱う仕事も、倒産や廃業などに絡む、後ろ向きなものが多いらしい。

特に、小泉さんにより「行財政改革」が推進された後は、地方の経済は「公共工事」で持っていたことを物語るかの如く、どんどん景気は悪くなり、力のない土木建築業者はバタバタと倒れていっているという。

そう言えば、2005年の秋、大阪工業大学にゲスト講師としてお招き頂いた際に乗ったタクシーの運転手の方が、「(東京と違って)景気は最悪ですよ・・・」と言っていたことを思い出す。あの大坂でさえもである。

東京で仕事をし、尚かつ、インターネット関連のビジネスに携わり、言ってみれば、社会の最先端にいると、そんなことは「全く」と言っていいほど関係ない話しであり、せいぜい、新聞記事で目にする程度だ。少なくとも、僕はそうだった。

昨年の6月、マクロミルの杉本さんと会った時に、彼が「平石さん、僕は最近、政治家の人達とも会う機会がありますけど、福島とか地方は切り捨てですよ」という話しをしてくれたことがある。僕が「僕の出身地は福島県ですよ」というと、「(そうと)知っているから言っているんですよ」と言っていた。

その時は「そうなのかな・・・」というふうにしか思わなかったが、久しぶりに「地元」で仕事をして暮らしている弟と話しをして、杉本さんが言っていた意味が少し理解できた。

「小泉改革」が問題なのではなく、今まで、中央集権で「地方の産業」を振興して来なかったのが問題なのだと思う。

恥ずかしい話しで、僕は政治は不勉強で実際のことは知らないが、日本の財政を考えた時、中央集権で「税金を地方都市に配分する」というシステム自体が破綻しつつあり、そのことにメスを入れたのが小泉改革ということなのだろう。郵政民営化がはたして良かったかどうかは別として。

郡山に限らず、他の地方都市も似たり寄ったりだと思うが、車社会を反映して、郊外に大規模な商業施設ができ、市街地が寂れるという現象が起きている。

一見すると、そのこと自体に問題はないような気もするが、それに連れて住宅街も外に広がっていき、それを支えるための「上下水道や電気・ガス」などのライフラインの整備が必要となり、市としての「支出」は増えることになる。しかし、税収は増えない。

また、高齢者は、車を運転することができない人が多いので、郊外では暮らしていけず、スラム化した「中心部」に住まざるを得ない。しかし、買い物ができる商店街は寂れている。

青森県青森市では、そのような問題を直視してコンパクトな街づくりを目指し、中心部の商店街に「人を呼び戻す」ための様々な工夫をしてきているそうだ。

弟が以前、仕事の絡みで青森市を訪れ、その商店街を視察に行ったらしいが、その時の感想は「これで人が戻ってきているのか・・・」というもので、つまり、それ以前は、どれほど寂れていたのか?という様相だったらしい。

八戸を日本のシリコンバレーにする!!!」プロジェクトの大谷さんの出身地である八戸市の隣の市である。

行き帰りの僅か30分程度の話しであるが、僕はいかに「日本の実態」を知らないで生活をしてきているかを知った。

今年3月で僕は「44才」になるが、これからの10年をどのように過ごすか?を考える際して、とても意味深い「30分」だった。

追伸:新年早々、重苦しい内容で恐縮であるが、僕のブログを読んで下さっている方々にも、日本の人口の「7割」を占める地方都市の現実に関心を持ってもらえれば幸いである。

10年後の社会と自分を考える。

僕にとって今年は「変化」の年だったということは昨日のブログで書いたが、ここ数日は年の瀬ということもあり、ここ数年の自分自身の生き方を振り返ると共に、年明け以降の仕事や社会構造の変化について考えていた。

昨日(12/29)の新聞に掲載されていた榊原英資氏の論説を読まれた方もいると思うが、僕も多くの視点をもらった「会社はこれからどうなるのか?(東大教授・岩井克人氏/2003年)」を榊原氏は引用し、ポスト産業資本主義の時代における「教育の重要性」を説いていた。

岩井氏は、ここ20年間(1978年から1998年)の米国の上場企業(金融機関を除く)の「資産構成」の変化を紹介し、今後の社会を「ポスト産業資本主義」と呼んだ。

1978年末には米国の上場企業(同上)の資産の「83%」が有形資産だったが、1998年には「31%」にまで減少しており、その間、上昇(17%→69%)したのは「無形資産」であり、また、これらの無形資産は何らかの意味で「知識」や「能力」と関連していることから「知識資産(Knowledge Assets)」と定義している。

「知識資産」の割合が増加するということは、人間の価値が上昇しているということだが、それは現代社会における「付加価値」を生み出す「能力」や「知識」を保有する人の価値が上がるということであり、それらを持たない人々(彼らの仕事は機会やコンピュータに代替あるいはより安い賃金で働く人に代替される)との間に「(所得)格差」が生じることをも意味している。

それが、マスコミ等で論点となっている「格差社会」という問題である。

この「格差社会」というイシューを取り上げる時に、もうひとつ、論じるべき問題がある。いわゆる「ニートやフリーター」と言われる人達である。

彼らの中には、潜在能力的には「知識資産(Knowledge Assets)」を生み出す側になれる人も少なくないと思うが、問題は「働く」あるいは「自己向上」ということに対する「意欲(モチベーション)」が低い点にある。

このふたつの問題点を挙げた後、「格差社会」と同時に「階層(クラス)社会」が到来しつつあることを榊原氏は指摘している。つまり、若いうちから人口の一定割合が「貧困層」として定着してしまうことである。ベストセラーとなった三浦展氏の「下流社会」の意味するところでもある。

榊原氏は「階層社会」という点では、政治の世界で二代目や三代目ばかりが目立つ点も挙げていたが、では、なぜ、このような問題が起きるのか?という疑問に対し、彼は「最大の原因は逆説的だが、能力差による格差を認めない悪平等主義が、戦後日本で、特に教育界で支配的になってしまったためと思える」と述べている。

また、ポスト産業資本主義の時代において、個人にとっても、企業、国家にとっても最も重要なのは、岩井氏の言う「知識資産」を蓄積することであり、そのためには「教育こそが社会の中心に据えられるべきである」とも述べている。

話しが長くなるので詳細な説明は省略するが、親の地位や財産に関係なく、子供にレベルの高い教育の機会を提供し、フェアな競争ができる環境を創る必要がある。そして、そこでは能力の格差は認めなくてはならない、というのが榊原氏の主張である。

僕は彼の論点と主張に対して、とても賛同できるし、そのとおりだと思う。

しかし、問題は「どのような教育を社会の中心に据えるのか?」ということである。

そのコンセプトが、今の日本の教育会には決定的に欠けているのではないかと思う。

岩井氏は「知識」や「能力」が価値の源泉となると書いているようだが(記憶が曖昧という意味)、僕は「知識」には然程の意味はなく(何故なら、Googleで検索すれば、最新の知識なり情報が得られるから)、月並みな話しであるが、重要なのは「考える力」であり「知恵」を生み出す能力を育むことだと思う。

僕がドリームビジョンで「人」にフォーカスし、「教育・職業(仕事)・事業開発・フィナンス」の領域でビジネスをしていきたいと思うのは、「自分らしい生き方とキャリアデザイン」を実現させていくためには、それらの要素が必要だと思っているからである。

Google は、テクノロジーですべてを解決できると思っているのかもしれないけど・・・。

追伸:「八戸を日本のシリコンバレーにする!!!」プロジェクトは、僕のビジョンを体現する場になると思っている。乞うご期待!!!

「学歴」では、人は判断できない。

とは言うものの、高学歴の人間が優秀であり仕事もできる「確率」が高いのは事実である。

いわゆる大企業が人材を採用をする際に、学歴でスクリーニングをするのは「確率論」的には正しいと思う。しかし、確率論で採用をすると「確率論で物事を判断する」人材が多くなると思う。

その弊害はどんなところに現れるか?

例えば、起業するということは、確率論で言えば、失敗する確率の方が圧倒的に高い。

100社のうち、1年後に残っているのは「30社」。3年後に残っているのは「10社」。10年後に残っているのは「3~4社」という。つまり、10年後に存続している「確率」は「3~4%」である。

因みに僕は、今までに「6社」の創業に携わり、ドリームビジョンは自分で経営する「3社目」である。

僕の実力というよりも、色々な人との出会いや協力に恵まれたことの賜物であるが、僕が創業に携わった会社も、自分で経営した会社も、今までに「1社も潰れていない」という事実は、コンマ何%の「確率」である。

オプトの鉢嶺氏が、僕らが運営している法政大学ビジネススクールでのオープン講座にゲストとして来てくれた時に言っていたことだが、統計的に考えたら、自分が興そうとしている会社が10年後に存続している「確率」は「3~4%」しかないわけで、「倒産することを前提に会社を創る必要がある」と考えて、彼は創業したという。それでも、創業したのである。結果的は、ジャスダックに上場し、今も素晴らしい成長を続けている。

では、その確率に挑む人は、はたして、優秀な人だろうか?

ところで、昨日の昼過ぎ、人材紹介の仕事で、ある方と面談をした。

彼は大学も出ていないし、いわゆる高学歴の人ではない。レジュメで普通にスクリーニングをしたら、面談の対象にはならないかもしれない。

でも、お会いして話しを聞いてみると、野心的で尚かつ堅実であり、精神的にもタフで、とても優秀な方だった。そして、この人のキャリアデザインを手伝いたいと思わせる「人間的魅力」を兼ね備えている人だった。

彼は、起業家(チャレンジ)精神が旺盛(なのだと思う)で、高校を卒業した後、語学を習得するために海外に渡り、現地で大学進学を考えていたらしいが、身内に不幸があり、経済的な事情だったのだろうが、日本に戻らざるを得ず、大学の進学も諦め、就職をした。

その後、いくつかの職場を経験しているが、学歴の問題等で、不遇なことも多々あったと言う。

高学歴でない人の中にも、優秀で仕事のできる人はいるし、世の中に埋もれている人材はたくさんいる。

こういう言い方をすると不遜な奴だと思われるかもしれないが、そういう人達に「チャレンジする機会」を提供できたらと思う。

でも、それは不遜とかいう問題ではなく、僕自身が一流大学を出ているわけでもなく、陽の当たらない東北地方の出身であり、エリートと呼ばれる人達とは異なる人生を歩んできたことに起因しているのだと思う。

大谷さんと一緒に「八戸を日本のシリコンバレーにしよう!!!」と思ったのも、同じような想いからだ。

NAKATA ルネッサンス

昨日の日経新聞に「NAKATA ルネッサンス」というコーナーがあった。サイクルは分からないが、定期的に掲載されている。

今回の記事で紹介されていた中田と前園による新しい試みに目がとまった。

ふたりが友情で繋がっていることは周知の事実であるが、興味深かったのは、ふたりがフル代表として同じピッチに立ったことは一度も無かったこと、そして、ふたりにとっても最も印象に残っている(楽しかった)試合は、ブラジルに奇跡的な勝利をしたオリンピックだったということである。

彼らがこれからやろうとしていることは、日本全国のサッカー少年の中から将来のプロ選手を発掘することなのだが、その思想とアプローチに共感を覚えた。

前園はインタビューに対して、「たまたま僻地に住んでいるとか、経済的に恵まれていないからとか、そういう理由で才能を開花させることができずにいる少年はたくさんいる。そういう少年たちにチャンスを提供したい。例えば、欧州のクラブが興味を示した場合、親が「留学費用」を負担するのではなく、すべて現地のクラブが負担する。そんな仕組みを創りたい」という趣旨の話しをしていた。

また、「監督やコーチになるだけがサッカー界に対する恩返しだとは思わない」という、ふたりの所属事務所サニーサイドアップの次原悦子社長の発言が紹介されていた。

前園は、彼の全盛期に、欧州のクラブからオファーがあったらしいが、当時は今と違って日本のクラブが選手を出したがらず、また、仕組みも整備されておらず、彼の「夢」は実現しなかったという。

彼は、そんな自分の経験も含めて、才能溢れる少年たちにステージを用意してあげたいと思っているのだろう。

将来は一般のビジネス界だけでなく、中田や前園のような思想の持ち主とも仕事をしてみたい。

9.11

「同時多発テロ」から丸5年が過ぎた昨日、各メディアでの報道が印象に残った。

僕は20代の頃、New York が大好きで、延べ20回近く訪れたことがある。もちろん、ワールドトレードセンターも何度か上ったことがある。因みに、僕が最後にNew Yorkに行ったのは、2001年の4月だった。

実は、僕の友人のある女性は、同時多発テロが起きたまさしくその瞬間、別の飛行機でマンハッタンの上空を飛んでいた。

彼女を乗せた成田行きの飛行機は、シカゴに緊急着陸をし、彼女はそこで約1週間に渡り、足止めを食らったそうである。入出国を厳重に管理されたからだ。

生死の分かれ目とは、こういうことを言うのだろう。

何事もなく日常を生きていることに感謝しなければと、改めて思った。

犠牲者の方々のご冥福を祈ります。

「所得の再配分」は誰が行うべきか?

世界第二位の富豪であるウォーレン・バフェット氏が、世界第一位の富豪であるビル・ゲイツ夫妻の財団に「約4兆3,000億円」を寄付した話しを知っている方は少なくないだろう。

バフェット氏は、「税金を払って財務省に任せるより、夫妻の財団はお金の効用を最大化してくれる」「貧しい暮らしを強いられている人々がいるのに『王家の冨』を築く考えはない」と述べているという(今日の日経新聞より)。

因みに、米国では、寄付は一切無税だそうである。

同じ投資家でも色んな人がいるということだ。考えさせられる出来事である。

「職員会議」の判断基準。

先日のエントリーで皆さんに報告をした「中学校での授業(講義)」の件ですが、その中学校での「職員会議」にて「市内の人の方がいい」ということで却下されたそうです。

今回の話しを僕に持ちかけられた「学校と社会」を繋ぐお仕事をされているNPO法人の方が昨日、とてもすまなそうに電話をして来られました。

その話しを聞いて、僕は単純な疑問を抱きました。

「市内の人の方がいい」=「市外の人は好ましくない」という「判断基準」はどこにあるのか?

純粋にその理由を知りたいと思いました。

何故なら、それを知ることで今の教育の現場を理解できるような気がしたからです。

そして、まだ1歳にもなっていないとは言え、子供を持つ親として、教育は社会全体の極めて重要なテーマであると考えているからです。

そのNPOの方は、更に、すまなそうに続けました。

「別の学校でも同じような話しがあります。今回のようなことがないよう事前に確認をして、また、お願いしたいと思いますが、その時はお受けして頂けますか?」。

僕はふたつ返事で「もちろんです」と答えました。

またの機会を楽しみに待ちたいと思います。