ひとりの教師の存在が、その子の将来に大きな影響を及ぼす。

先週土曜日の午後。

恐らく、これがこの夏、最後のプールになるだろうと思い、目黒区のプールに出かけた。

海の日の3連休に3連続で行った時と較べると、暑さもトーンダウンしていて、混雑も緩和されており、夏の終わりを感じさせた。

ところで、それが悪かったのかどうかは分からないが、土曜の夜中、またしても、妻が激しい目眩と吐き気に襲われた。

日曜日に救急で診てもらおうと思ったのだが、命には別状のない病気のためか、どこの病院にも耳鼻科の医師は出勤しておらず、今朝、本人がひとりで病院に行った。

どうやら、メニエル病のようだ。

そんなこともあり、昨日は、僕が子供を連れて、約束のお店に出掛けた。

「約束のお店」というのは、以前の保育園で一緒だった友達のお父さんがやっている店で、たまたま僕の行きつけだった(何という偶然!)のだが、そこに旧友家族で集まろうということだった。

子供も4歳にもなると人格が形成され、また、保育園ごとに「カルチャー」もあり、個人差もあるのだろうが、後から入った子供と最初からいる子供との交流には限界があるらしく、今の保育園の友達とは、以前の保育園で一緒だった友達とのようには仲良くなれずにいる。

以前の保育園は、保育士の先生達が、意識的に子供達を全員で遊ばせたり、また、男の子と女の子を一緒に遊ばせたりしていたが、今の保育園は、人数が多く、そこまでは手が回らないのかもしれないが、意識的に子供達を交流させようとはしておらず、自然とグループに分かれているようだ。

また、子供達自身もそうだが、親同士が仲良くなるかどうかという点も、大きな要素だと思う。

僕は、自分が中学生になった時のことを思い出した。

僕が卒業した小学校は、僕が小学校3年生の時に「新設」された学校で、学区でいうと、2つか3つの地域(小学校)から集まって始まった、いわば「合衆校」だった。

今にして思うと、とても伸び伸びとした校風で、恵まれた環境で育ったと思う。

その新設小学校を卒業し、中学校に入学した時、僕はとても大きなカルチャーショックを覚えた。

小学校の頃は、授業中に先生が質問をすると、児童たちが我先に「ハイ!」と言って手を挙げて、当てられた子は、喜んで答えていた。

ところがである。中学校に入ると、先生が質問をしても「誰も」手を挙げないのである。

僕は、みんな分からないのだろうか・・・と思ったが、先生が当てると、ちゃんと答えるのである。

資本主義国から共産主義国に来たかというぐらい、あまりの違いに驚いた。

つまり、僕が最初に通った小学校から来た生徒達は、そういうカルチャー(自己主張は良くない)で育ったということだ。

僕は、そのカルチャーが嫌でたまらなかった。

でも、2年生になってクラスが変わり、僕たちクラスは、学年で一番「自由闊達」で有名になった。

「担任の先生」の価値観が大きかった。

さて、話を元に戻すと、久しぶりに会った友達たちとの時間が名残惜しかったのだと思うが、自分はサッカーはしないのに(正確には、一度、チャレンジはしたが、一日でドロップオフしたのに)、お店を出た後、友達たちが通っているサッカー教室を見に行くと言い出した。

サッカー教室は、16時から18時まで。

僕は、妻の容態が気になって、とにかく家に帰りたかったのだが、彼は、なかなか帰ろうとしない。

それを見かけた、あるお母さんが「帰りに送って行きますよ」ということになり、僕だけ先に帰ることにした。

妻は、思ったよりは回復していたが、前の晩、あまり眠れなかったせいで、僕自身も疲れており、子供が帰ってくるまで仮眠をした。

ところで、今の保育園のことで、僕が素晴らしいなと思うことがひとつある。

ある先生(正規の先生ではなく、補助の先生らしい)は、僕が迎えに行くと必ず、「さあ、○○くん、皆さんに挨拶をしましょうね」と言い、我が子が「皆さん、さようなら」と言うと、友達が「○○くん、さようなら」と返してくる。

学校や保育園全体の問題というものもあるが、結局は、先生個々人の問題が大きいようにも思う。

Twitter経由で知り合った海外生活15年の帰国子女のある女性は、ヨーロッパに住んでいた時のことを振り返り、「私の場合は、たまたま担任だった先生が良かったので、窮屈な思いをしなくて済みました。でも、中学(だったと記憶している)に行くと『何じゃこりゃ』って感じでした」と言っていた。

僕が充実した中学生活を送れたのも、遠藤先生という担任の先生のお陰が大きいと思うし、その先生のお陰か?級友も男女ともにおもしろい人間ばかりだった。

ひとりの教師の存在が、大勢の人間の将来(人生)に大きな影響を及ぼす。

なんちゃって・・・の域を出てはいないが、曲がりなりにも学生の方々を指導する立場になった今、自分の経験をもう一度、思い出し、肝に銘じたいと思う。

もう暫く、猛暑の夏を楽しもう!!

今日の東京は暑かった・・・。

東京と較べれば涼しい郡山から帰ってきたせいか、フライパンの上にでもいるようで、「熱い」と形容した方がよいぐらいだった。

ところで、毎週火曜日は、妻の仕事の関係で、僕がクルマを出し、まずは子供を保育園に送り、そのまま妻を仕事場まで送っている。

以前なら、楽しかった休みの後は必ずと言っていいぐらい、保育園の前でダダを捏ねていた我が子が、今日は、クルマから降りると、保育園の門まで走っていった。

その後ろ姿を見ながら「成長したんだな・・・」と思い、親バカながら、我が子を逞しく思った。

・・・もう暫く、猛暑の夏を楽しもう!!

「明治神宮」と「七五三」。

今朝は投資先のイミオでの経営会議の後、青山のオフィスまで歩いた。

乃木坂から青山墓地を通って、約15分ほどの道のり。

途中で地図を広げている西洋人の女性が目に留まったので声をかけると、根津美術館へ行くという。夏休みで個人旅行の外国人が日本に来ているのだろう。

ところで、今日は「七五三」の予約会で、明治神宮へ行った。

予約会というのは、要するに子供の「衣装合わせ」のこと。

たくさんの衣装の中から気に入った「2着」まで試着できることになっており、我が子に着せてもらった。

初めて袖を通す「着物」が照れくさかったのか、彼は最後まではしゃいでいた。

子供に着物を着せながら、今から42年前、父に連れられて、郡山の安積国造陣社に行ったことを思い出した。

子供ができても、自分の子供の「七五三」のお祝いをするなど、想像したこともなかった。

何とも言えない不思議な感覚である。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」

予約の諸手続きが終った後は、拝殿に入り、お参りをした。

境内に入った時から気になっていたが、以前に来た時よりも、中国語を話す人達がたくさんいた。

今の国際情勢を如実に物語っている。

我が子が成人する15年後の日本は、いったいどんな国になっているのだろう。

すべてを受け入れるしかない。

iPadを買ったお陰で、久しぶりに、子供がまだ1歳から2歳の頃の写真を見る機会があった。

まだまだ小さいと思っていた僕たちの子供も、来月で5歳。

長かったような短かったような言葉に表せない5年間だった。

ところで、子供も5歳にもなると、それぞれの人格が出てくる。

両親から受け継いだ遺伝子と日々の生活環境から後天的に影響を受けたことが合わさって、その子の性格が形成される。

一人っ子の僕たちの子供は、兄弟との競争や理不尽な力関係等を経験することがなく、兄弟のいる子と較べると、どうしても、我侭になりがちである。

子育ては、数学や自然科学と違い、その子が持って生まれたものや育つ環境がそれぞれ違うわけで、これが唯一絶対の正解というものがない。

自分たちがよかれと思ってしていることの結果を見るのは少なくとも何年か先であり、その結果を見ながら試行錯誤するということにも限界がある。

とても難しく、とてもクリエイティブな行為である。

話は変わるが、今週の日曜日、TBSのニュースキャスターなる番組で、23歳の母親が子供を虐待、というか、放置して死なせてしまったというニュースを見た。

学歴はないかもしれないが、お世辞抜きにキレイな顔をした、性格も決して悪いとは思えない女性だった。

離婚して女親一人で子供を育てるストレスから、3歳と1歳の子供を真夏の部屋に放置し、当然のことながら、その子達は亡くなった。

何ともやりきれない思いがした。

そのニュースの中で、同じように女親ひとりで子供を育てている母親のインタビューが紹介されていた。

「自分もそうなってもおかしくはない。紙一重だと思う」という発言に、もちろん、その紙一重を越えてしまった母親を許すことはできないが、かと言って、間違いを犯してしまった彼女達を責めればそれでいいかと言われると、問題はそんなに単純ではないように思う。

子供の虐待に関する研究結果によると、人は、自分が育てられたようにしか子供を育てられないらしい。

そして、子供を虐待してしまう母親の大半(正確な数字は憶えていない)は、自分も幼少期に、親からの虐待を経験しているという。

典型的な「負の連鎖」である。

そういう僕は、両親からの虐待を受けたことはないが、父方の祖父からは、理不尽な扱いを受けた。

すぐ下の弟は頭のいい奴で、僕とケンカをしていて形勢が悪くなると、僕が何もしていないのに、わざと泣き出した(泣いたふりをした)。

それを見た祖父は「大きいもの(者)が悪い」と言って、僕はいつも「ゲンコツ」を食らった。

あれから40年も経った今でも覚えているほど、子供ながらに「なんて理不尽なんだ」と思っていた。

僕の我が子への接し方は、はたして、間違っていないだろうか?

いつも、そのことを考えている。

因みに、それは子育てに限らず、経営者の社員に対する接し方でも同じことが言えると思う。

僕にとって、20代の頃に働いていた会社での経験が滅茶苦茶インパクトがあり、その会社と同じように、社員に事細かにルールを押し付けたり、規則を設けることを極端に嫌う傾向がある。

よく言えば自主性を重んじるということだが、悪く言えば、放任主義とも言える。

僕は、自分が人から管理されることはもちろん、人を管理することも嫌いである。

それがいい人もいれば、そうでない人もいる。

その処方箋は、誰をバスに乗せるか?ということになる。

しかし、子供はそうはいかない。

生まれて来るまで、その子の性格は分からないし、自分の主義に合わないからといって、バスに乗せないわけにも、バスから降ろすわけにもいかない。

すべてを受け入れるしかない。

それが愛情というものなのかもしれない。

追伸:インタースコープの個人株主のひとりだったある人から、僕のブログの縛りとして、「ところで」と「話は変わるが」を使わないというのはどう?というメールが来た。その表現を多用することは知っていたが、それを止めるとなると、ブログが書けなくなる。今日のエントリーでも多用させていただいている。僕の文章の「個性」として。

「ゆとり教育」の現場。

先週土曜日は、公開「授業参観」なる小学校の催しに参加した。

他の区でもやっているのかどうかは知らないが、渋谷区では、年に1回(たぶん)、授業参観日を地域の住民にも公開しており、未就学の子供を持つ親が、どんな授業をしているのか?を見学しに行くようだ。

ということで、僕たち夫婦も子供連れで見学に行った。

渋谷区では、自分たちの「学区」で決められた小学校でなくても、区内の小学校であれば、どこでも入学することができる。

但し、学区外の小学校の場合、定員オーバーとなった場合は「抽選」となる。

そのような制度ということもあり、御多分に漏れず、我々も含めて、自分たちの学区以外の小学校にも見学に行く人が多いようだ。

さて、その授業参観であるが、僕たち夫婦は「ゆとり教育」の現実がどういうことかを初めて理解した。

「国語」と「算数」の授業を見学したのだが、「4歳児」でも既にできることを、懇切丁寧に教えているのである。

例えば、ひらがなの書き方であるが、どこがどこよりも長いとダメだとか、そんなことは「知能の発達」に関係ないだろうということを、時間をかけて教えているのである。

因みに、僕が小学校に入学した時は、かなりの子供たちが「ひらがな」を書けていたと思う。

算数に関しても、5-2=3 というようなことを、金魚の絵を使ったり、積み木のようなものを使ったりと、何度も何度も教えている。

「できる子」にしてみれば、退屈極まりない授業だろう。

ついていけない子を出さないという考え方は分かるが、「才能を伸ばす」という思想がなく、「これでは、日本の学力は落ちるはずだよな・・・」と思った。

僕は、日本の教育がどのような仕組みで運営されているのかをきちんと理解していないが、「文部科学省」「教育委員会」「日教組」と、いくつもの組織が、それぞれの役割と権限で活動をしており、それらが「統合」されていないと聞く。

どういう思想や理念のもとに「教育カリキュラム」が改訂されていくのかは知らないが、大人の議論によって出された結論で、被害を被るのは「子供達」である。

保育園仲間のご両親たちと一緒に見学に行ったのだが、その帰りの「昼食会?」では、当然のことながら、小学校をどうするか?の話題で持ち切りだった。

あの授業を見せられたら、経済力がある家庭は、小学校から「私立」に行かせたいと思うはずである。

尚、誤解のないように書いておくが、これは現場の先生方の責任ではない。

「教育カリキュラム(学習主導要領)」をつくっている人間(組織)の責任である。

僕たちの子供が小学校に入学するまでに、今のカリキュラムが改訂されることを切に望みたい。

「子供の発熱」と「役割分担」。

今日は天気予報よりも早めに雨が上がり、真夏のような太陽が顔を出した。

久しぶりに夏がやってきたという感じがした。

ここ数年は、あまりの暑さに夏は嫌いになっていたが、今年は今のところ、本格的な夏の到来を楽しみにしている。

子供の頃の夏休みを思い出す。

ところで、その「子供」であるが、昨日の夜、僕らの子供が急に発熱した。

昨夜は妻の仕事の関係で僕が子供を保育園に迎えに行き、一緒に夕食を食べ、お風呂に入り、寝かせようとしたところ、彼の身体がちょっと熱いな・・・と思い、熱を測ると37.9度。

こちらが心配すると本人も心配するので「大丈夫だよ」と言いつつ、今日のアポのことが気になっていた。

23時頃だっただろうか、妻が帰ってきたので、ベッドから起き出してリビングに行き、子供の具合を説明し、再度、熱を測ると39.1度。

今までに何度も書いているのでご存知の方もいるかと思うが、妻の仕事は「臨床心理士」で、少々特殊な仕事なため、急な面談のキャンセルがし難いという事情がある。

そういう僕は、午前中はラソナの経営会議が入っており、午後は、この4月からお世話になっている法政ビジネススクールでとあるアポがあり、それらのことが気になって、昨夜はあまりよく眠れなかった。

今朝起きて、子供の熱を測ると38度。保育園は無理だ。

妻と相談をし、結局は僕の予定を調整することにした。

朝早くから関係各者に電話をし、お詫びをしたり、予定を再調整していただいたり・・・。

やはり、どちらかの両親が近くに住んでいたり、どちらかが仕事をしていない状況でないと、子供を育てていくのは大変である。

こういうことが起こる度に「病児保育」を検討しようかという話もするが、普段からそういうサービスや施設を利用していれば話は別かもしれないし、個人差もあると思うが、具合が悪く、ただでさえ精神的にナーバスになっている子供が、見知らぬ人や施設に預けられることをすんなりと受け入れるとは思えない。

彼がまだ1歳ちょっとの頃、どうにもならず、病児保育に一度だけ預けたことがあるが、38度以上の熱があるにも関わらず、僕らが迎えに行くまでに一睡もしなかったらしく、その数日後、肺炎になったことがある。

また、それから暫くは情緒不安定な日々が続いていて、僕はそのことが頭から離れなかった。

そんなことを考えると、経済的なことはさておき、2人目を・・・なんてことは非現実的である。

因みに、僕たち3人兄弟は、一緒に住んでいた父方の祖父母に育てられたわけであり、また、隣りの市に住んでいた叔母は、彼女の子供を僕らの祖父母に預けて仕事に行っていたりと、そういう環境が整っていたわけである。

特に、都会での子育ては経済的な負担が大きいのは事実だが、「子供手当」を支給することが「子育て環境」の「改善」に繋がるかというと、そうではないだろう。

「では、どうすればいいか?」と言われると、明確な解はないが、高度経済成長を通じて、様々な分野で進んだ「役割分担」のあり方を、これからの時代を見据えて、見直すことが必要なのだろう。

仕事のことでご迷惑をかけた方々にこの場を借りてお詫びを申し上げると共に、これからの「社会のあり方」を改めて考えたいと思う。

「息子を溺愛する母親」が・・・。

今日は、僕が非常勤でお世話になっている法政で学生の方との面談があり、授業はなかったが学校に向かった。

代々木で総武線に乗り換えて市ヶ谷に向かう途中、高校生と思われる身体の大きい男子と細身で50代前半と思われる女性(母親)が乗ってきた。

僕の横の席が空いており、その身体の大きい男子が座り、母親が彼の前に立った。

母親を立たせて座った高校生はけしからんと思うが、僕の価値観では、そうやって「甘やかして」息子を育ててきた母親の責任だと思う。

いかにも「木偶の坊」という感じの少年は、締まりのない身体と緊張感のない表情をしていた。

「息子を溺愛する母親」と「娘を溺愛する父親」が、日本をダメにする。

と僕は思う。