女性にとって、子育てと起業は両立するか?

先週の土曜日に開催されたETICのインターンシップに関するイベントに、インターン受け入れ先のベンチャー企業の経営者のひとりとして参加してきた。

そこに、ETICインターンOGであり、つい先日、ワーク・ライフバランスという会社を立ち上げた小室淑恵さんが、「伝説のインターン」のひとりとして参加されていた。

印象的だったのは、まだ、生後4~5ヶ月のお子さんを連れてきていたことで、尚かつ、ワーク・ライフバランスを一緒に立ち上げた大塚さんという方が、小室さんが講演をされている時に、その子をあやしていた姿である。

僕は、自分のブログのタイトルにしているとおり、初めての「子育て」と3度目の起業の両立に格闘しているのでよく分かるが、「子育て」と「起業」の両立は、大塚さんのような方の支援があってはじめて成り立つことである。ましてや、僕と違って小室さんは「母親」なのである。

その小室さんを今日の夜、法政大学のビジネススクールとドリームビジョンとの提携講座(オープン講座)にゲスト講師としてお招きし、子育てとキャリアの両立について講演して頂くと共に、同じ「子育てアントレプレナー」として僕との対談(Q&Aセッション)を予定している。

少子化の改善に少しでもお役に立てればと思う。

井の頭公園

昨日(日曜日)は、悠生を連れて、久しぶりに井の頭公園に行った。

悠生を連れて行くのは今回が初めてだったが、日頃、東京のど真ん中で暮らしているせいか、井の頭公園の緑や池は新鮮だったようで、キョロキョロと周囲を見渡していた。

僕らは結婚して最初の数年間は久我山に住んでいた。

久我山生活の最後の頃はとても貧乏で、時間はたっぷりあるがお金がない生活をしており、久我山から2駅ないし3駅電車に乗り、井の頭公園に行っては時間を潰すということをよくしていた。

当時は、将来に対する不安が先立ち、井の頭公園に足を運んでも、その緑や池を心から楽しむことはできず、ましてや、その何年か後に自分たちの子供を連れて散歩に来ることなど考えたこともなかった。

そんな井の頭公園を、昨日はとても幸せな気持ちで散歩をした。

今の生活は、新しい会社を立ち上げたばかりで、決して安定しているわけではなく、インタースコープの頃と比べれば、むしろ、経済的には厳しくなっているが、それでも、将来はきっと上手くいくと思えている。

きっとそれは、心の底から自分が信じていることをしているからだと思う。

話しは変わるが、今日は、ジースタイラスという会社が運営する「逆求人フェア」というイベントに参加してきた。

興味のある企業のブースに大学生が足を運んで説明を聴くというものではなく、企業側(採用担当者)が興味を持った学生のところに話しを聴きに行くというものである。

そこで出会ったある学生にアドバイスしたことは、強い自分になろうと頑張るのではなく、強い自分も弱い自分も含めて「ありのままの自分を受け入れること」ということだ。

半分ぐらいは自分に言っているようなものだった。

とても貧乏な生活を経て、億単位のお金を集���てインタースコープを立ち上げ、ある種のムーブメントを創り上げた後、再び、スクラッチから会社を立ち上げることにチャレンジしている今は、ありのままの自分を受け入れることが、だいぶできるようになった。

常に、こういう精神状態を保てるようになりたいと思う。

あの頃の自分。

今週の日曜日から火曜日まで、ほんの短い時間だったが、子供を連れて久しぶりに実家に行っていた。弟夫妻と彼らの子供も来ていて、とても賑やかで、楽しい夏のひと時を過ごすことができた。
悠生inPool郡山in2006夏

帰省中、我々兄弟の産みの両親と父方の祖父母の墓参りに行った。

その途中、車の窓から見える景色に懐かしさを覚えたと共に、子供が大きくなるにつれて、自分が辿って来た道を、もう一度、疑似体験することができるような気がした。

ドブ川でザリガニを捕ったこと、家の周りを自転車で走り回ったこと、朝早くに起きてカブトムシやクワガタを捕りにいったこと等、子供が大きくなると共に、自分が幼少の頃に経験してきたことを「もう一度」、彼の行動を通じて経験できそうな気がしている。もちろん、今の子供特有の遊びは別として。

そういう意味でも、自然の豊かなところに住みたいと思うようになった。

妻には反対されているが、将来、葉山辺りに一戸建てを建てて住みたいという想いがより一層強くなった。問題は、そのお金を作ることだが・・・(笑)。

でも、「夢は実現する」という信条のとおり、本気でそのことを願い、行動に移せば、必ず実現できると思っている。

自分の子供と一緒にクワガタを捕りに行けたら、幸せだろうと思う。

家族が織りなす温かさ

数日前から喉をやられてしまい、今朝は掛かり付けの近所のお医者さんに行った。

久しぶりに、悠生と妻と僕の3人(家族全員)で行ったのだが、そこに、ある親子連れがやってきた。

お父さんはアメリカ人(らしい)、お母さんは日本人、長女は日本人(ぽい)、次女はハーフ(アメリカではダブルとも言う)。長女はおそらく、以前の旦那さんとの間に生まれたのだと思うが、父親によくなついていた。とても微笑ましい家族だった。

この家族が入ってきた時、お母さんがネットからプリントしたと思われる「地図」のようなものを握りしめていたので、わざわざ探してきたことは分かったが、日本に住所はなく、広尾にある「ニュー山王ホテル」に泊まっているらしかった。そのホテルは、米軍関係者用で、僕も知り合いのアメリカ人に連れられて何度か行ったことがある。

小さな病院(医院)なので、診察室から、僕らがいつも看てもらっているお医者さんの息子さん(2代目)とアメリカ人のお父さんが、何やら「英語」で話しをしているのが聞こえてきた。

ここの息子さんは、ハーバードに留学経験があり、流暢な英語を話していた。ニュー山王ホテルで、英語が話せるお医者さんのいる病院や医院を紹介しているんだろう。それで、お母さんが地図を片手に探してきたということだと思う。

そんなことはどうでもよいのだが、診察が終わって待合室で会計を待っている時、日本人と思われる上の女の子が悠生の指先を触ったりして遊んでくれた(日本語はあまり話せないと言っていた)。大人だったら、決してそんなことはするはずがないし出来ないが、子供は子供が好きで、知らない相手でも無邪気にその瞬間の友達として遊ぶことができる。ステキなことだ。

子供のそういう純真さは、実は、僕たち大人にも恩恵をもたらしてくれる。

僕らが住んでいるマンションでも、小さな子供がいる夫婦同士は自然と仲良くなっていき、ロビーや駐車場等で楽しく談笑している人達が多い。

僕達は結婚してから11年間はふたりだけの生活をしてきたので、家族の温もりというような感覚を忘れていたが、悠生が生まれてから、夫婦二人では感じられなかった、言葉にはできない「温かさ」を感じている。

僕は、仕事が好きだし、何よりも「創業」することが好きであり、ビジネスで成功したいと強く思っているが、こうした何気ない日常の幸せを大切にしたいと思う。

洗濯物

妻が朝から大学院に行くときは、僕が洗濯物を干すことになっている。自分たちの物は別として、悠生の物を干す時は、その時々で何かしら感じることがある。

今朝、洗濯物を干していて、「ふっ」と目に留まったのは、襟の内側のタグのところに縫い付けてあった「こばやしだいき」という文字だった。それもとてもカッコ良く。

以前のポストでも書いた梅原(旧姓)さんからもらった、ベビー服のひとつだ。

その「タグ」を見つけて僕は、梅原さんが愛情を込めて育ててきた「だいきくん」が着ていた服なわけで、僕らはその愛情も引き継いでいるんだなと思った。

僕らはだいぶ年がいってから子供ができたので、周囲の友達から洋服以外も含めてたくさんの貰い物をしており、お陰で出費がとても少なくて済んでいる。

妻はプチバブルな僕とは違い、物凄く「コストコンシャス」な人で、悠生が生まれる前から彼女の友達から色々なお下がりを戴いていた。

でも、僕らが友達から戴いたものは、「お下がり」ということを超越して、みんなが自分の子供に注いできた愛情も含めてもらっているんだと思い、なんとも言えない「やわらかい気持ち」になった。そして、モノを大切にするということは、そういうことなんだろうと思った。

今日は、その梅原さん達と一緒に、僕らが大変お世話になっている方のご昇進のお祝い(会食)をしてきたのだが、家に帰ったら必ず、この話しを書こうと決めていた。

以前の僕は、家事の中でも「洗濯物を干す」のが一番嫌いだったが、これからは、少しは楽しんでできそうだ(笑)。

何事もちょっとしたきっかけで、変わるんだろう。とても嫌いなことでもね。

ドブ川の匂い

今日の午後3時過ぎ、僕が社外取締役を務めるラソナでの経営会議を終えて、渋谷区役所の恵比寿出張所に向かうために明治通りと並行して流れるドブ川を渡った。季節柄か、橋の上を通ると生臭い匂いがした。

その匂いは一般的には良い匂いではないと思うが、僕はその匂いを嗅いで、子供の頃のことを思い出した。それは、近所のドブ川で「ザリガニ獲り」をしていた時に、いつも嗅いでいた匂いだった。そして、その瞬間、悠生(僕らの子供)のことを思い出した。

あと数年もしたら、一緒に野外で遊ぶようになるのかと思うと、言葉には表せない感情が沸き上がってきて、胸が詰まった。悠生が生まれなかったら、その川を渡っても、その「匂い」には気づかなかったと思う。

子供の頃は、毎日遅くまで、日が暮れるのも忘れて遊んでいて、一日がとても長く感じられたことを思い出した。あれから、30年もの時間が経過しているにも係らず、なぜか、つい昨日のような気がする。

年齢は43才になっているが、僕はその頃に感じた「感情」を今も鮮明に覚えている。精神年齢が変わっていないのかもしれない。

20代の時に勤めていたODSというコンサルティング会社の社長に、「あなたは理想主義者だ。あなたが40才になっても、今と変わらずにいることが出来たら、その時、僕は初めてあなたを尊敬する」という「嫌み」を言われたことがある。その時は、それが「嫌み」だとは気づかないほどに精神的に幼稚だった。

しかし、結果的には、僕は、その時と何も変わっていない気がする。

話しは変わるが、昨日、2001年から通っている代官山にある「セラピア」というリラクゼーションのお店に行った。以前は毎週必ず通っていたが、今は諸事情により毎週は通えないが、それでも月に2~3回のペースで通っている。そこの鈴木さんという人に整体でお世話になっているのだが、彼がこんなことを言っていた。

「(以前の)平石さんの身体は、何か『怒っている』のがヒシヒシと伝わってきましたが、今はそういうものが無くなって、不思議と力が抜けていますね」。

確かに、あの頃は色々なことが大変で、常に精神的に「緊張」を強いられていたし、自分らしさを出せていないところが多々あった。人間の身体とは正直なもので、精神的なストレスが身体にも表れるということだろう。

子供が生まれ、インタースコープを退任し、新しい会社を立ち上げている最中で、経済的には極めて不透明な状況にあるにも係らず、今の方が、精神肉体ともにリラックスしているということなのだろう。

それで、ドブ川の匂いで子供の頃のことを思い出したのかもしれない。

ドブ川を渡りながら、もうひとつ、思い出したことがある。それは、「ヒート」というハリウッド映画のワンシーンだ。

ご覧になった方も多いと思うが、「ヒート」は「アル・パチーノ」と「ロバート・デニーロ」の共演によるものだ。

僕が思い出したシーンというのは、警察との銃撃戦で負傷したヴァル・キルマーが、警察に追われているのを承知の上で妻と子供が警察に匿われている家の近くにやってきて、子供を抱きながらベランダに立っていた妻の顔をみて、何とも表現できない嬉しそうな表情を見せたシーンだ。そして、妻は「囮(おとり)」として、わざとベランダに立って(立たされて)いたのだが、夫の顔を見て目に涙を浮かべながら、右手の人差し指を右に振り、「これは囮(おとり)捜査よ」と教えたシーンだ。

そこには、切ない「家族の愛情」が描かれていて、それが「ヒート」という映画を単なるアクション映画に終わらせていない所以だと思う。

以前のポストにも書いたが、電通の和田さんという女性が、「平石さん、子供を産むのを諦めてまでする仕事は無いよ」と言ったことや、ここ数年親しくしている、ある欧州系の著名企業の社長を退任し、苦労しながら自分でビジネスを立ち上げている米国人が、「自分にとって仕事はとても大切なものだが、家族に勝るものはない」と言っていたことの意味が、今は実感として理解できる気がする。

悠生は残念なことに、僕の産みの両親とも、妻の両親とも会うことは適わないわけだが、もし、双方の両親が生きていたらと思うことがある。

年齢的にギリギリのところで子供を授かった僕らは、幸せである。

そして、その悠生のためにも、「3度目の起業」を絶対に成功させたいと思う。

追伸:サッカー日本代表の初戦は残念だった。最後まで諦めずに頑張って欲しい!!!

THE BIG ISSUE JAPAN (ビッグイシュー日本版)

今日はドリームビジョンの事業戦略会議を行った。

メンバーは、ドリームビジョンの3人と、学生時代にインタースコープでインターンをしていた2人、そして、創業メンバーである安田くんの幼なじみの友人の計6人だった。

ここ3ヶ月は、ドリームビジョンの理念を曲げることなく、どのようなビジネスモデルが考えられるか?ということを、現在の我々が得られる範囲の情報をもとに、議論を重ねてきたが、今日は我々内部で策定したビジネスモデル(ドラフト)をベースにして、その成功確率を高めるにはどうすればよいか?また、我々が見えていないオポチュニティはないか?といった点に関して議論をした。

結果的には新たな事業機会というものは見出せなかったが、我々が策定した事業内容をどうすればテイクオフさせることができるか?という点で、有意義な議論ができたと思う。

やはり、それなりのレベルで尚かつ持っている知見が異なる人間が集まって議論をすると、自分たちだけでは見えなかった視点を提供してもらうことができ、新たなアプローチを考えられることを再認識した。そういう意味で、土曜日にも係らず集まってくれたメンバーには、心からお礼を申し上げたい。

ところで、会議を終えて、保育園に悠生を迎えに行き、慌ただしく帰宅すると、ポストに「THE BIG ISSUE JAPAN (ビッグイシュー日本版)」という雑誌(見本誌)が入っていた。

今日は、妻が大学院の授業で遅くなる日だったので、僕が保育園に迎えに行き、悠生を連れて帰ってきた後、妻が今朝、出掛ける前に用意しておいてくれた「説明書」をもとに、悠生に「離乳食」を食べさせた。そんなこともあり、とても慌ただしい一日だった。

ところで、「THE BIG ISSUE JAPAN (ビッグイシュー日本版)」は、ホームレスの人だけが「販売員」になれる「雑誌」である。200円の販売価格のうち、110円が「販売員(ホームレス)」に支払われる仕組みになっている。

僕のような人間は、こういう「社会的意義のある事業」に弱い。自分でも「やりたい」と思ってしまう。

でも、実際には着手しないだろう。

具体的に言うと、その事業がもたらす「社会的価値(結果)」や「意義(結果)」には強く惹かれるものの、自分がそのための「苦労(プロセス)」をするか?というと、しないだろうということだ。

何故なら、それはとても大変な仕事であり、その労力と社会的価値の割に「(僕が望むレベルの)利益を生まない」ということを、理解できるようになったからだ。

以前であれば、その「矛盾」や自分自身の「本質」を理解できておらず、ややもすると「霞を食ってでも」的なところが多々あったが、ここ10年間で、自分にとっては物凄い苦労(貧乏)と、その逆にそれなりの経済的メリットも享受し、陽と陰の両方を経験したことによって、「理想と現実」ということを、遅まきながら理解したからだろう。

そして、資本主義のメリットを享受したいという意識が、僕の心の中にあるからだと思う。

インタースコープ時代は、良くも悪くも「(最先端)イノベイティブ」なことを指向してきた。

しかし、ドリームビジョンでは、理念や思想の上ではイノベイティブであり続けたいと思っているが、社会的ニーズが確認できているもので、尚かつ、成功確率がある程度読めるもの以外は、実際にビジネスとして取り組むことはしないだろうと思う。インターネットリサーチで言えば、マクロミル的戦略を取ると思う。

マクロミルの優れているところは、リサーチという極めて「属人的スキル」に依存する事業を、そのサービス領域を「限定」することで、業務フローを徹底的に「標準化」し、システム化することで、アウトプットレベルの「均質化」を実現したことだ。

ドリームビジョンは、その理念を考えた時、I.T.を徹底活用しサービスをコモディティ化する、逆に言えば、コモディティ化できる事業「だけ」に取り組むということはしないし、できないと考えているが、社会に対して影響力を行使できる会社になるためには、何らかの形で「コモディティ化」を考える必要があると思っている。

今日の会議での議論と、THE BIG ISSUE JAPAN (ビッグイシュー日本版)を手に取っての思索と、慌ただしい子育てにより、そんなことを考えた一日だった。

ところで、僕の周囲には何故か、金融業界に転じる人が増えている。

村上ファンド等の問題はあるにしても、ファイナンシャルなメカニズムの点においても、世の中は確実に変わってきていると感じている。

僕自身も近い将来、何らかのやり方で、ファイナンシャルなビジネスに取り組みたいと考えている。その根底には、やはり、「大きな利益を上げられる可能性がある」という理由があることは否定できないと思う。

今日の会議に出席いただいた外部メンバーの皆さん、本当にありがとうございました。
これからもドリームビジョンを宜しくお願いします。