「あの本を読めば、この本は読めない。読む価値のある本は、買う価値がある」。

アメブロでブログを書き始めたのは2006年4月16日だったので、ちょうど10年になる。先程、過去のエントリーを確認して、その事実に気がついた。

今の仕事を始めた2011年3月以降は書く頻度が激減し、2012年以降はせいぜい月に1~2回ほどの更新しかできなくなった。2015年は年間で僅か1回だった。

色々と心境の変化があり、また、心境だけでなく物理的な変化もあり、数週間前から、またブログを書くようになった。10年を意識したわけではないが、ある人に、Wordpress で僕のオリジナルブログページを作成してもらっており、近いうちにアメブロから引っ越す予定である。

何かをするには時間が要る。ブログを書くのにも同じように時間が必要だ。

年齢のせいするのは哀しいが、歳とともに体力は確実に衰え、長時間労働はできなくなる。しかし、やるべきこと、やりたいことは減るわけではない。となると、自ずと「何かを捨てる」必要が出てくる。

実は「書きかけ」のエントリーに、10代の頃のことを書いた。当時の僕は「あわよくば」ミュージシャンになりたい!と思っていた。でも、世の中、あわよくば・・・なんかではミュージシャンにはなれない。

本気でミュージシャンになりたいと思い、毎日毎日、死に物狂いで練習し、曲を書いてもなれない人が殆どであり、仮になれたとしても、ミュージシャンで食べていける人は極々一握りだろう。

あわよくば・・・なんかでなれてしまったら、そういう人達に失礼だ。

何事も「成功する保証はない」。二度と戻らない時間が過ぎ去った後でなければ、そのことが成功したか、それとも失敗したかは分からない。

つまりは「失敗しても構わない」と思えることでなければ、勝負はできない。

男は何かの勝負をする時、「負けることを覚悟する必要がある」と、僕が好きな「相田みつを」が書いていた。

ところで先日、facebook のポストで、セブン&アイ・ホールディングスの鈴木敏文会長の辞任に関してコメントするような経営に関する知見はないと書いたが、「老害」批判一色の報道やコメントには違和感を感じるところがある。

確かに、それこそ、いい大人が、記者会見の席でお家騒動の話を延々とするのは興冷めな話ではあるが、周囲の猛烈な反対を押し切ってセブン・イレブンを開業し、同様に猛烈な反対を押し切ってセブン銀行を立ち上げてきた功績に対する敬意を表さないのは、失礼な話だ。

また、僕はどのような方かは存じ上げないが、セブン・イレブンの井阪社長の交代人事提案に関しても、世の中が批判している「世襲」に関する噂は噂でしかないとしたら(という前提だとして)、鈴木敏文会長ならではの「嗅覚」があったのかもしれない。

あれだけの経営者が、最高益を更新している最中の会社の社長交代を提案するには、それなりの判断があったのではないか?という気もする。いずれにしても、後味の悪い結果だったことは間違いない。それも鈴木敏文会長の責任と言えばそれまでだが・・・。

話を元に戻すと、僕は「あわよくば」のミュージシャンを諦めた後は、また「あわよくば」で俳優を目指し、オーディションには受かったが、負けを覚悟してまで勝負する勇気は無かった。僕にとっては、それだけのことでしかなかったということだ。

あと7年という年月が過ぎれば、僕は還暦を迎える。インタースコープというベンチャー企業を立ち上げ、Yahoo! Japan に売却するまでの時間と同じである。

中学生の頃、地元(福島県郡山市)の本屋が、本を買った客に配っていたカバーには、こう書いてあった。

「あの本を読めば、この本は読めない。読む価値のある本は、買う価値がある」。

これからの7年間。「積読」というわけにはいかない。

「人生は短い」。