「人口構造の変化」と「既に起こった未来」。

長男のヒップホップのレッスン中は、溜まったメールの読み書きをしたり、仕事が捗る時間なのだが、先程のエントリーで書いたとおり、MacBook Pro から MacBook Air へのデータ移行中で、Mac が使えない。

そこで、何度か目のドラッカーの「イノベーションと企業家精神」を読み返している。

「イノベーションの第五の機会:人口構造の変化に着目する」に、こんなことが書いてあった。

「人口の増減、年齢構成、雇用、教育水準、所得など人口構造の変化ほど明白なものはない。いずれも見誤りようがない。それらの変化ぎもたらすものは予測が容易である。しかもリードタイムまで明らかである。

20年後の労働力はすでに生まれている。45年後に退職年齢に達する人たちはすべて、現在すでに労働力となっている。しかも多くの場合、現在と同じ職種で働いているはずである。さらに、現在20代の前半から半ばの人たちが働く今後40年間の職種も、これまで彼らが受けた教育によってほぼ規定されている」。

特に、最後の一文は、決定的である。

人生や仕事の成果は「持って生まれた才能 x 教育 x 本人の努力」という3つの変数で決まると言っていいだろう。

勿論、どこの国に生まれたかや、運を持っているかどうかも重要な変数だが、それらも「持って生まれた才能」に含めて考えれば、「幼少期や若い頃」に、どこで、どのような教育を受け、どんな組織で、どんな仕事をしたか?することができるか?は、その人の人生に大きな影響を及ぼす、ということだ。

現代社会の問題は、初期値でその後の人生が決まってしまう確率が高いということだ。

一言で言えば、教育には「カネ」がかかる、ということだ。

教育の成果は「経済的には測れない」。但し、教育に必要な資源はすべて、「経済的資源」である(ドラッカー)。

ミルトン・フリードマンが言う「教育のバウチャー制度」を含めて、教育のあり方を根本的に見直す必要がある。

僕のこの先の人生で手掛けたいと思っている。

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