Steve Jobs が亡くなったことに対する僕たちの子供の反応について書いたエントリーに、かれこれ14年の付き合になる友人からメールがあった。
ここのところ、公私ともに忙しくしており、返事も書けないままだったので、そのお詫びを兼ねて、このエントリーを書くことにした。
因みに彼は、僕がアメブロでブログを書き始めてから、ひとつのエントリーの例外もなく、皆勤賞で僕のブログを読んでくれているという。
ありがたい話である。
ところで彼は、やはり、Steve Jobs について書かれた大学時代の研究室仲間の方のブログに対して、ソフトバンクの孫さんが言うように、「100年後の人々は、Steve Jobs とレオナルド・ダ・ヴィンチ並び称するだろう」とコメントを残している。
また、Macは使ったことがなく、Windows 派の彼は、ビル・ゲイツは、ダ・ヴィンチではなく、ロックフェラーやカーネギーと並び称されるだろうともコメントしていた。
たしかに、芸術家と事業家という違いが、その生き方からも感じられるように思う。
ところで、ブランド論で有名な片平先生が、ある講演で言っていたことが頭に残っている。
それは、「合理的に突き詰めていけば、同じような結論に至る」ということ。
そして、「合理は語れない。非合理は『ストーリー』になる」と仰っていた。
自ら創業した会社を追われ、一度は失意のどん底に落ちた Steve Jobs に頼らざるを得なかったアップルは、彼の復帰と共にパソコン(Macintosh)依存を打破し、時価総額世界一の企業になった。
何が合理的(理に適う)かは、その人の価値観によって異なるわけで、世の中一般的には非合理でも、自分にとって合理的ならそれでいい。
たとえカッコ悪くても、Stay Yourself!
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