「投資先の経営者」の「結婚披露宴」で想ったこと。

昨日は、イミオドリームビジョンの投資先)の倉林さんの結婚披露宴があった。

10年前には、投資先の経営者の結婚披露宴に出席させてもらう日が来るなど、想像すらしたことがなかった。

彼は筑波大付属駒場高校からストレートで東京大学に合格した、いわゆるエリートだが、披露宴で紹介された少年時代の映像は、暴走族そのものというか、金髪にヒゲを生やし、いったいコイツ、何者なんだ?という感じだった。

その頃の彼に会ってみたかった。

新婦は、滝川クリステル似の知的で芯の強そうな女性で、彼女なら、彼の類い稀な才能を引き出してくれるだろう。

ところで、倉林さんと出会ったのは2005年。ETICが運営するNEC起業塾という、社会起業家を育成するプログラムの最終選考会だった。

当時の彼は、パキスタンで「フェアトレード」で製造したサッカーボールを販売するグローバルトレーディングという会社を経営していた。

第一印象は「才能はあるけど、イマイチ、本気じゃないな・・・」という感じで、僕はそれほど積極的に関わろうとはしなかったが、その1年半後の2006年の秋、「株式公開を目指して頑張るので相談にのって欲しい」というメールが送られてきた。

その時の彼は、決意表明の代わりに頭を丸坊主にし、黒のスーツを着て、神妙な顔つきで僕のオフィスにやってきた。

要するに、勝負をかけるための軍資金が必要で、投資家を紹介して欲しい、ということだった。

一通り、彼の話を聞いた後、「紹介できるところはたくさんあるけど、迷惑でなければ、僕にも出資させて欲しい」と言ったことが、倉林さんとの付き合いの始まりだった。

500万円や1,000万円のお金を出せる人や会社は掃いて捨てるほどあるわけで、その中で、僕を選んでくれたことに、とても感謝をしている。

ところで、イミオとして、まだリリースは出していない(自社のウェブサイトに記載はするとしても、特に、リリースを出す必要性はないだろう)が、未公開のベンチャー企業だし、問題ないだろうということで、このエントリーで書いてしまうが、つい先日、増資を行った。

それを引き受けてくれたのは、僕の知り合いのベンチャー企業とその経営者だが、彼が、さすがだな・・・ということを言っていた。

「みんなは、どうして、倉林さんと一緒にやっているわけ?イミオの求心力は何なの?」

また、僕が彼に増資を引き受けてもらえるかどうかの感触を確認するメールを送ったところ、「筑波大付属駒場高校からストレートで東大に合格し、イミオも1年前ぐらいまでは順調に来たわけですけど、ここ最近の苦労で、無謀とも思えるような突破力というか、勢いに任せて突き進むという、彼の良さが失われないといいんですけど・・・。それが懸念材料です」という返事が返ってきた。

僕のブログを丁寧に読んで下さっている方はご記憶にあるかもしれないが、その主は「元パチプロ」の方である。

たった1~2度の面談で、その人物の本質を見抜く能力を持っている人だ。

それに対して僕は「新しくイミオのメンバーに加わった上田さんは、とても緻密且つストラテジックな思考の持ち主なので、倉林さんが苦手なところは、彼に任せて、二人三脚でやっていって欲しいと思っています」と答えた。

ところで、東京大学を卒業した彼は、外資系のコンサルティング会社を蹴って、まだ、上場前のDeNAに就職をした。

その時の上司が、南場さんの後を継いで社長に就任された「守安さん」だった。

そして、せっかく入社したDeNAを、彼はものの数ヶ月で退職してしまう。

そんな元部下にも関わらず、守安さんは多忙なスケジュールの合間を縫って、彼の披露宴に出席されていた。

倉林さんの最大の才能は、色々な人を惹き付ける、その人間的魅力である。

そして、僕も彼の魅力に惹き付けられたひとりである。

話は変わるが、最近、僕の周りには、優秀な若い人が多い。これは、とても幸せなことだ。

インタースコープを経営していた頃、僕たちはETICを通じて、計50人ぐらいのインターンを採用したが、みんな、滅茶苦茶、優秀だった!

ある時、共同創業者の山川さんが「最近の学生はみんな優秀なんだと思っていたけど、そうじゃなかったんだ・・・」と言って、ETICから紹介される学生の人達は、並外れて優秀な人達だということに気づいたことがあったが、今年になってから、あの頃のことを思い出すような出会いが多くなった。

本当は実名を出したいところが、敢えて匿名で紹介させていただくが、サンブリッジで机を並べて一緒に仕事をしている慶応大学SFCのある学生は、極めて優秀で、尚かつ、精神的に大人である。

その彼が、とあることで社内に回したメールに、こんなことが書いてあった。

「私事ですが、この土日に実家に帰ったため、父親母親の前で大学院の塾や入試代などの話をしましたが、両親の顔を見ていると、何事も『僕のためを思って』やってくれているのだとつくづく感じました。

しかし、中学高校時代は、(この大人しそうな僕でさえw)反抗期はありましたし、その時期には親の言う事なんて全く聞きたくないと思って、自分の好きなことをやっていたように思います。

僕がロールモデルになれるかはわかりませんが、少なくともT先生やサンブリッジの方々のように面白い方々とお会いできているのは、そのときに『自分の好きなこと』をやらせてもらって、自分の中で『試行錯誤』できたからだと思っています」。

僕は、彼のメールを読んで、目頭が熱くなった。

あの歳にして、親に対する「感謝」の心を持っており、身勝手だった自分と、その自分を信じて、試行錯誤する姿を見守ってくれていた(いる)両親の心情を理解しているのである。

出来ることなら、学生だった頃の自分に会わせてやりたいぐらいだ。

第一次反抗期になった自分たちの子供を見ていると、こいつの将来は大丈夫だろうか?と心配にもなるが、我が子が高校生や大学生になり、訳の分からないことを言い出した時は、彼に説教をしてもらおうと思う。

倉林さんやインターンの彼を含めて、そういう前途有望な若者達の将来に「ツケ」を回してはいけない。

GDPの2倍にも膨れ上がった公的債務は必ず、将来の日本を苦しめる。

食事をするのは我々で、その支払いは「子供たちとその孫たち」ということは、絶対にあってはならない。

放漫経営を続けてきた(従業員は、その恩恵に与ってきた)挙げ句の果ての倒産にも関わらず、年金の支給額引き下げを渋ったり、整理解雇に反対した人達が僕には理解できないが、どこかのエアラインに限らず、今までの日本は、そういう体質(他人や組織への依存体質)だったということだ。

法政大学経営大学院でお世話になっている小川教授に頂戴した「柳井 正の希望を持とう」にも書いてあるとおり、人は「希望」が無ければ生きていけないし、希望を持つには、人生は「自分が主人公」だと信念を持ち、「自分に期待する」ことが何よりも大切である。

優秀な若人達が思いっきり才能を発揮し、グローバルに活躍し、僕たちの子供達の世代に「輝いている日本」を継承するためにも、僕たち世代がまだまだ頑張らないと!!

「捨て石」になる覚悟で・・・。