創立記念日その2。

今日はインタースコープの11回目の創立記念日。

昨年の今日は、50人以上のインタースコープOBOGが集まり、10周年を祝った。

インタースコープという法人は永久保存してしまったが、マクロミルという組織に接ぎ木され、そのDNAは今も息づいているし、インタースコープからスピンオフした株式会社ALBERTとしても受け継がれている。

ところで、インタースコープ11回目の創立記念日の今日、僕は、人生で初めて創った会社を一緒に経営していた堀水と久しぶりに会食をした。

考えてみると、彼と知り合って今年で丸25年。四半世紀になる。

ここ数年はお互いに苦労をしたが、ようやく次の展開ができそうになり、健闘を誓い合った。

こうして、切磋琢磨できる仲間がいることは、とても幸せなことだ。

ところで、今月中にもう1回、創立記念日(人生で初めて創った会社のもの)がやってくる。

先日のエントリーで書いたとおり、今年は僕にとって起業20周年であり、そのことに感謝をすると共に、新たなチャレンジ開始の年にしたい。

創立記念日。

今日はドリームビジョンの創立記念日。

2006年にスタートしたので丸5年が経った。

誇るべき成果は殆どないが、勝負はまだまだこれから。

でも、創業年度に手掛けた法政大学経営大学院イノベーション・マネジメント研究科との共同講座は、今に繋がっており、結果として、良い「種蒔き」だったと言える。

先日のエントリーのとおり、3月は僕の人生にとって大きな意味を持っているけど、創立記念日という意味では、自分の原点である、最初の会社である株式会社クリードエクセキュートを設立した「3月27日」が最も意義深い。

来週の水曜日、3月9日は株式会社インタースコープ(現マクロミル)の創立記念日。

昨年は10周年を記念して、インタースコープ発祥の地、中目黒で盛大に宴会を開催した。

法人としての存在は無くなってしまったが、DNAは今も息づいていることを実感できて、とても嬉しかった。

さて、今日も新たな一歩を踏み出そう!

「希望」と「幸せ」の違い。The Stylistics

伝説のネットベンチャー「イエルネット」創業者の本間さんからメールがあり、明日(テクニカルには今日)の朝、都内の某ホテルで朝食をご一緒することになった。

本間さんとは、僕がインタースコープを創業して間もない頃、NPO法人ETIC主催のインターンに関するシンポジウムでのパネルディスカッションで初めてお会いした。

当時の彼は中央大学の学生。要するに学生ベンチャーの創業社長だった。

僕より10歳年下の彼の圧倒的な存在感に「こんな凄い奴がいるんだ・・・」と思ったことは今も鮮明に憶えている。

ところで、彼のfacebookへのポストに触発され、The Stylistics の名曲「I can’t give you anything, but my love…」を久しぶりに聴いた(歌詞を知りたい方はこちらも視聴されたし)。

1975年。その曲のプロモーションビデオのロケ地は今から36年前のNew York(因みに僕は、1986年に初めてNew Yorkを訪れ、そのカルチャーとスケール感に圧倒された)。

音楽がなければ、彼らは一生、貧しいままの人生だったに違いない。

でも、音楽というキラーコンテンツのお陰で、彼らはマンハッタンのビルの屋上でプロモーションビデオの撮影ができるようになった(何のエフェクトもなく極めてプリミティブでシンプルな映像だが、そこには躍動感がある!)。

僕はそういう人生を送れる人をひとりでも多く産み出せる社会にしたい。

そういう僕自身、高校受験に失敗し、仕方なく、二次募集で意にそぐわない高校に入学したものの、3ヶ月で「中退」。

翌年のリベンジを誓い予備校に通うも、受験日の2週間前に最愛の母が他界(享年46歳)。

母のお陰か、幸いにもリベンジには成功したが、地元有数の進学校の生活に馴染めず「落ちこぼれ」。中学時代から始めた音楽活動が心の支えだった。

三流大学に進学し、親の臑をかじりながらミュージシャンを夢見るが、幸いにして才能がないことに気づき、俳優志望に転身?。

ある劇団のオーディションに合格するも、またしても、その道で勝負する勇気を持てず、タレント年鑑の撮影をスッポカし、事実上、断念。

その年、父が他界(享年56歳)。

モラトリアムなサラリーマン生活をスタートしたにも関わらず、気がついたら起業。

実力がなかったのが最大の原因ではあるが、既得権の壁を実感し、鳴かず飛ばずの人生を送っていたところに「ネットバブル」が起こり、千載一遇のチャンスをゲット!

創業に参加したウェブクルーは2004年に東証マザーズに上場。

社長として創業したインタースコープはIPOは断念するも、2007年にYahoo! JAPANに売却。あのジェリー・ヤンに評価されたわけでもあり、身を粉にして働いた苦労は報われた。

「運」を実力と勘違いして創業したドリームビジョンは大失敗をしでかすも、理解のある温かい株主に支えられ、今もこうして何とかやっている。

「権力者」が「嫌い」で「挑戦者」が「好き」な理由は、そんな自分の生い立ちにある。

ところで昨晩、帰宅後、執拗に「I can’t give you anything…」を聴いている僕に痺れを切らし、「お父さん、どういう歌なの?」と子供が訊いていた。

「『僕は貧乏でプレゼントを買うお金もないけど、君のことが大好きだよ!』という歌なんだよ」という僕の説明の意味を理解できたかどうかは分からないが、彼が大人になって、人生に悩んだ時、相談したいと思ってもらえる父親でいたいし、彼の成長を見届けたいと思う。

ある時から、それが僕の人生にとって何よりも重要な目的であり、目標になった。

「モノより思い出」というコピーがあったが、「起業家としての自分より、父親としての自分」。

でも、起業家として挑戦する姿を見せ続けることで初めて、彼にとって「尊敬に値する父親」でいられるのだと思う。

人生はまだまだこれから・・・。

ところで、今日のエントリーの意図だが、「希望」とは現在が苦境にあっても今の苦労や努力が将来(の大きな花)に繋がると思える状態であり、「幸せ」とは「現在」の「満ち足りた状態」を指す。

つまり、「希望」を抱ける人は「前向き」になり「挑戦」を続けるが、「幸せ」を感じている人は「保守的」になる(それを維持しようとする)。

今が幸せではなく、将来への「希望も持てない『若者』が多い社会」は「最低」である。

甚だ微力ではあるが、そんな社会を打破したいと思っている。

今年は僕にとって「起業20周年」!!

今月から、新しい仕事を始めた。

たまたま今朝は僕が子供を保育園に送っていく当番だったので、最寄り駅に自転車を預け、スタバでコーヒーを買い、仕事場に向かった。

階段を上りながら、新しいルート、新しいルーティンが生まれるのか・・・と思うと、少しワクワクした。

実は、僕の人生で「大きな決断や出来事」はすべて例外無く、「3月」に起きている。

生まれたのは30日。人生で初めての会社を創った(登記日)のが27日。インタースコープの創業記念日は9日。ドリームビジョンは4日。

今回は1日。

そして、今年は僕にとって「起業20周年」である(1991年3月27日が起業家人生の初日!)。

「現役の起業家」として、30周年(57歳)、40周年(67歳)、そして、50周年?(77歳)を迎えたい。

仕事の内容は、近日中にリリース予定!!

我が家に「ピアノ」がやってくる!

批判的かつシニカルな内容の昨日とは打って変わって、今日は「昭和的」でメルヘンちっく?な話題。

先週末、井の頭線沿線のとある駅前にある「ピアノ工房」を訪ねた。

子供が通っているバイオリン教室の先生のご紹介で、「中古のピアノ」を買うことにした。

ご存知の方も多いと思うが、少子化の影響と電子ピアノの台頭により、国内のピアノ販売台数はピーク時の8割減!といった状況にある。

ピアノは場所を取るし、調律等の維持コストもかかる。それなりのモノを新品で買えば、100万円ぐらいはしてしまう。

安いものであれば、4~5万円で買え、場所も取らず、場合によってはヘッドホンで音を聴くこともできる等の理由から、日本の住宅事情にマッチしている電子ピアノに市場を取って替わられた。

最近は、僕が創業に携わったウェブクルーも手掛けている「中古ピアノの買取サービス」がたくさんあるが、それらの殆どは「海外へ輸出」される。

ところで、僕の実家には、今も「産みの母」が弾いていたピアノが置いてある。

母は当時、ピアノを買うために「積み立て」をしていた。現金では買えなかったのである。

その母が亡くなってから、先月の27日で32年が経った。

まさか自分の子供のためにピアノを買う日が来るとは思ってもいなかったが、先日訪れた「ピアノ工房」には、職人の方から伝わってくるピアノ(楽器)に対する「愛情」や上手く言葉にできない「夢」のようなものが満ちていた。

僕たちが買ったようなレベルのピアノを売っても、調律等にかかった手間暇を考えれば、実質的には赤字だろう。

でも、その方の顔には、満足感のようなものが感じられた。

食べていくのは大変かもしれないが、クラッシック音楽の世界で仕事をしていくことができれば、俗世間的なものとは違う「夢」や喜びがあるような気がした。

因みに、工房には、5,400,000円という値段がつけられたSteinway製(1951年)が置いてあった。

ところで、ジャックアタリは新著「国家債務危機」の執筆を通じて、「国家債務の膨張が手遅れとなる前に機敏に対応して破綻を回避した事例が、歴史的に見て稀であることを改めて痛感しました」という。

束の間の数年だけかもしれないが、ピアノを弾く我が子の姿を楽しみたいと思う。