どんな時も「希望」を捨ててはいけない。

未曾有の大震災から一週間。

戦後最大の危機に直面した日本は今、間違いなく「歴史の転換期」にある。

悲惨な現実をこの目で見ていない僕には、トイレットペーパーが買えなかろうが、お米が買えなかろうが、未だに「現実感」がなく、それこそ「狐につままれた」ような気がしている。

ただ、出身地でもある福島県の原発問題で、実家の弟や東京に住む末弟と連絡を取り合う日々が続いており、何一つ被災していないにも関わらず、心身ともに疲労感が増してきているのも事実。

東京に住む僕でさえ、こんな調子なわけだから、被災地に住む人達はどんなに大変なことか・・・。

この一週間は色々なことを考えさせられたし、自分の器が試されているのだろうとも思った。

そんな中、福島県産の牛乳(原乳)と茨城県産のほうれん草に、食品衛生法の基準値を上回る放射線量が検出されたという、ショッキングなニュースが出た。

上記の牛乳を日本人の平均的な「一年間の摂取量」を飲んだとしても「CTスキャン1回分」の被曝量に過ぎず、健康には影響ないというが、世界唯一の被爆国に住む日本人は「放射線」には極めて神経質であり、こうなると、福島県と茨城県の酪農と農業は壊滅的だろう。

それだけに留まらない。観光産業も打撃を受けるのは間違いない。

県民の多くは、その農業、酪農、観光業等で生計を立てているのである。

ところで、僕はこの一週間、様々なネット上の情報に目を通し、この現実をどう理解するべきか?を自分なりに考えていたが、ある意味で最もインパクトがあったのは「インスタントな正義感」と題された「おちまさと」さんのブログ。

是非、読んでみて欲しい。

「おちさん」とは「ドリームビジョン」の投資先である「イミオ」を介して知り合い、何度か話をしたことがあるが、ダテに様々なテレビ番組の企画やヒット商品の開発に携わってきているわけではなく、平易な言葉で語られてはいるが、物事の本質をついている。

「疑心暗鬼」。それが負のスパイラルを産む。おちさんは、ブログでそう指摘している。

また、「インスタントな正義感は人の命を奪う」可能性があるという事も肝に銘じた方がいい気がする、とも書いているが、僕も人の事は言えない。

「中途半端な知識で物事を語ってはいけない」ということだ。

(前略)

今回の敵は
今までの敵とは違う。

知らない人間は
無闇に語らない

ようにしないと
ならないのではないだろうか。

物資が届きにくい理由に
「放射線の恐怖」
を素人が勝手に煽っている
ことも一つにあるような気がする。

それが証拠に
もはや福島への宅配を
断る業者も現れているらしい。

(中略)

妻が昨日ポツリと言った
一言が耳から離れない。

「何で被災地では分け合ってるのに
東京では取りあってるんだろう」

東京は何をしてるんだろう。

(後略)

1963年3月30日。僕は福島県郡山市に生まれた。

小学生の頃に発生した「オイルショック」で「トイレットペーパー」がスーパーから無くなる経験もしたが、高度経済成長の恩恵に与り、高度な教育を受け、こうして知的職業に従事している僕たち世代には、日本をこの惨状から「復興」させる責任があると思うようになった。

ところで先程、テレビで「EXILE」の歌を聴いた。

一週間ぶりに、明るい前向きなメロディーと歌詞を聴き、久しぶりに心が高揚するのを感じた。

どんな時も「希望」を捨ててはいけない。