自分が受け取れるものは、自分の器以上にはならない。

今朝は久しぶりに子供を保育園に送り、帰り道にあるスタバに立ち寄った。

幸運にもお気に入りの席が空いており、そこに座ると、この前、来た時にも聴いたバーバラ・ストライザンドの曲が流れていた。

Shazamという、流れている曲を聴き取り、何という曲かを教えてくれるアプリで、彼女の曲だということを知った。

ところで、年間100冊という無謀な読書目標を立てたことは以前のエントリーで書いたが、1月に読めたのは「2冊」。

時間を捻出することが如何に大変かを痛感する。

現在読書中なのは「イノベーションへの解」。

とても勉強になる本である。

もっと早くに読んでいれば…とも思うが、仮にそうだったとしても、理解力が伴ったかどうかは分からない。

事実として、2年前、自宅にあったドラッカーの本を読もうと思った時、途中までとはいえ、まさか以前に読んだことがあったとは考えてもみなかった。

読んだどころか、ご丁寧に「マーカー」までひいてあった。

スポーツで技術を磨きたければ、まずは基礎体力をつける必要があるのと同じで、仕事や勉強においても、基本的な能力が無ければ、得るものは少ないということだ。

実務を経験した後ではバカバカしくて勉強できないものもあるが、実務を経験していないと、その本質(意味)を理解できないこともある。

「リカレントな教育(学習)」が必要な所以である。

特に、職業人としての寿命の方が、今の自分が所属している組織や産業のそれよりも長くなった今日においては…。

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