「カナディアン・カヌー」と「温泉旅館」。

さて、ブログの更新が少々滞ってしまいましたが、連休を利用して、日光方面に旅行に行っておりました。現地で感じたことを振り返りながら、久しぶりのエントリーを書いてみようと思います。

9月は、僕たちの子供の誕生月ということもあり、10年来の付き合いの友人夫婦と一緒に、日光・鬼怒川方面に出掛けた。

東京から約200キロ。僕の実家がある福島県郡山市までと同じような距離だ。

実は、日光からちょっと外れたところに、塩谷町というところがあるが、そこは、僕の父親や父方の祖父母が生まれた場所である。

祖父の仕事の関係で何度か転勤をした後、僕が生まれる何年か前に郡山に移り住んだらしい。

そんなこともあり、子供の頃は、祖母の実家にしばしば連れて行ってもらっていた。

その頃、よく耳にした地名に、鬼怒川や今市というものがあったが、今回は、鬼怒川温泉街を通り抜け、那須塩原方面に通じる峠を登ったところにある鬼怒川高原のコテージに泊まった。

鬼怒川や今市あたりより約5~6度ほど気温が低く、この時期でも肌寒いほどだった。

ところで、鬼怒川温泉と山を挟んで、川治温泉というところがある。

そこを流れる川で、カヌーに乗った。

川治温泉の中心街から、ダムとダムの間でほとんど流れがないところを、約2時間をかけて往復した。

川の上には鉄橋が掛かっており、1時間に1~2本しか通らない単線の電車を見上げながら、初めてのカヌーを楽しんだ。

僕たちが乗ったカヌーは、日本で主流のカヤックではなく、カナディアンカヌーと呼ばれるものだったが、思ったよりも簡単で、手軽に自然を楽しめた。

最初はピンと来なかった僕たちの子供も、途中から、とても楽しんでいた。

僕たちが往復した川沿いには、いくつかの滝が流れ込んでおり、その近くに行くと涼しい風が吹いており、マイナスイオンが発生している。天然クーラーのようなものだ。

そんな川面を、動力を一切使わず、腕の力でパドルを漕ぐだけで前へ進んでいると、まるで時間が止まったような感覚さえ覚える。

デジタルデバイスで慌ただしい日常を送っている都会人には是非、お勧めしたいアクティビティである。

さて、そんな日光方面(今回は東照宮や中禅寺湖には行かなかった)、鬼怒川、川治であるが、ひと言で表すなら、寂れていた。

僕が子供の頃、日本の高度経済成長期、1ドル360円や308円の固定相場時代を経て、第一次オイルショックのあたりまでの「海外旅行が憧れ」だった時代には、鬼怒川や川治に限らず、日本国内の観光地や温泉街は大勢の観光客で賑わっていたであろうことを物語る大規模旅館(ホテル)が、まばらな人影と共に、あちらこちらにたっていた。

不勉強な僕は責任をもった発言はできないが、規制緩和を徹底し、割高な国内線(飛行機)を是正したりすれば、もっと客を呼べる観光地もあるように思う。

因みに、今回の旅行で最も繁盛していたのは、「古民家」を改造した「蕎麦屋」だった。

欧米が憧れだった時代は過ぎ去り、日本古来の文化に「新鮮さ」を感じるのが、今の日本とも言える。

すべてにおいて、過去の延長線上ではなく、新しい日本を創っていく必要があるのだろう。僕自身の人生も含めて・・・。

祖父母や父の生まれ故郷で感じたことである。

その場所を選んでくれた友人夫妻に感謝。