「結果」を出すには「練習」もしないとね。

「ドライバーでまっすぐ飛ばそうと思えば思うほど曲がってしまう。バンカーから出そうとすればするほど、バンカーから出なくなる。絶対に入れたい50センチのパットほど、なかなか入らない」。

数日前、辻俊彦さんが書いたエントリーの一節である。

実は、最近の僕はドライバーが絶不調で、とにかくスライスする。

アイアンは距離も精度もかなり上がってきて、ドライバーでフェアウェイをキープできた時はパーを取れる確率がかなり上がってきた。

そのせいもあるのか、ドライバーを持つと「欲」がスイングを乱しているのだろう。

辻さんのエントリー同様、「結果を求めない(プロセスに集中する)」という姿勢が大切なのは重々理解しているのだが、煩悩の塊の「心」が邪魔をする。

さて、どうするか?

僕の好きな青木功プロが言っていることだが、「体力があって初めて技を磨けて、技があって初めて平静な心を保てる。心技体ではなく『体技心』である」。

「心」の問題もあるが、「技術」の問題もある。

「結果」を出すには「練習」もしないとね。

何が一番大切なのか?

今日は法政での授業の後、ETICが主催する「イノベーション・グラント」なるソーシャルビジネスのビジネスプランコンテストの最終選考会に、コメンテーターとしてお招きいただいた。

「児童養護施設」で暮らす少年少女達の「勉強」を支援する活動をされていた大学4年生の女性が印象に残った。

就職せずに、その活動を続けるという。

志の高い人である。

ところで、外出続きでマスコミの報道は見ていないが、今日も鳩山首相の辞任と次の首相選びに関する話題が多かったのだろう。

特に政治に詳しいわけでもない僕がこの件でしつこくブログを書く必要はないと思うが、ひとつ、紹介しておきたい記事がある。

日経ビジネスOnlineで読んだ「辞任なんかじゃ許されない、鳩山首相が落とした“影”」というコラムのことだ。

僕は正直、この彼女の主張にはあまり好感を覚えなかった。

「理論的」には筋が通っているが、そこに「現場感覚」が感じられなかったことがその理由である。

但し、ひとつだけ、考えさせられたことがある。

~「何が一番大切なのか?」さえ明確になれば、リーダーとしてなすべきことが必然的に決まる。~

という一文である。

一国の首相に限った話ではなく、誰にでも当てはまることだ。

もちろん、僕自身にも。

「生き方」の根源である。

「首相」は「選挙の看板」か?

鳩山首相が辞意を表明した。

因みに僕は、Twitterでその事実を知った。

今日のエントリーは「法人税率と国民感情」というテーマで書くつもりだったが、思いがけない展開に、内容を変えることにした。

昨日のエントリーで「事実追求」という「百度(Baidu)」のカルチャーと、その解説文である「事実は傾きが生じるものであるが、常に『事実の根源』に戻ろうとする。すなわちそれは、事実を求めるために」という文章を紹介したが、今回の「首相辞任」という「事実の根源」は何だろう?

マスコミの報道のとおり、鳩山首相のままでは「参院選」に「勝てない」からというのが「事実の根源」だとすれば、選挙に勝てるのであれば「首相は誰でも構わない」ということになる。

政策でも理念でも国のためでもなく、「自分の当選のために首相を選ぶ」のだとすれば、あまりに有権者を蔑ろにしているとしか言いようがない。

鳩山首相率いる民主党では選挙に勝てないというのなら、民主党を離党して「無所属」で出るというのはどうだろう?

それこそ、誰に気兼ねすることなく、自分の「理念」や「政策」を訴えられる。

僕は鳩山首相を支持していたわけではないし、鳩山首相の指導力には問題が多々あったと思うが、自分達が所属する組織の長を尊敬できなければ、その組織は上手くいく筈がない。

選挙に勝たなければ理念も政策も実現できないという「現実」は分かるが、それにしても「首相は選挙の看板ではない」はずだ。

「寄り合い所帯」である民主党の求心力は「政権を獲る」だけだったわけで、そもそも共通の「理念」や「政策」があったのか?という問題もある。

ところで、ある人がTwitterで「国民がバカだから、首相がコロコロ変わるんだよ」と書いていたが、そのとおりかもしれない。

僕ももっともっと社会に関心を持ち、世の中を良い方向に変えることに繋がる発言ができるよう、勉強を続けたい。

「百度(Baidu)」の「文化」。

Googleが中国市場から撤退したニュースは衝撃的だったが、変化の速いネットの世界では、その出来事すら既に風化されつつある。

宿敵?Googleが撤退したことで競合がいなくなった「百度(Baidu)」だが、とても素晴らしいカルチャーの会社らしい。

5つの領域において「百度(Baidu)カルチャー」が制定されているが、そのひとつをご紹介したい。

「事実追求」。

「事実に即して率直に議論し、誠実に取り組みます」。

そのポスターには、こんな解説が書いてある。

「事実は傾きが生じるものであるが、常に事実の根源に戻ろうとする。
すなわちそれは、事実を求めるために」。

なるほど、確かにそうである。

また、百度(Baidu)では、「インターンも机を叩く?」らしい。

「Baidu では権威などなく、ただ事実があるのみ。事実の前ではみんなが平等なのです」。

素晴らしい会社である。

今はYahoo! JAPANの子会社となった、どこかの会社の当時と似ている(笑)。

僕や山川さんに対しても、ビシビシと厳しい意見や批判が飛んで来た。

創業者だろうが社長だろうが関係なく、事実の前では平等だった。

さて「自民党」という事実から「民主党」という事実に傾いた日本。

近い将来、「事実の根源」に戻れるだろうか?

そして、事実の前では、相手が幹事長だろうが誰だろうが、「平等」に議論できる「政治」を実現できるだろうか?

期待したい。

追伸:中国では検索することを「百度する」というらしい。「百度」が「動詞」になったということだ。