すべての答えは「自分の中にある」。

曇り空の日曜日。

4歳児の我が子は、僕と思う存分「戦いごっこ」をしたり「かけっこ」をしたりできる、地面が「芝生」で覆われている「広い」場所がお気に入りで、今日は「新宿御苑」を指定してきた。

ということで、天気はいまひとつだったが、久しぶりに「新宿御苑」に出掛けた。

曇天の新宿御苑は、さすがに人の姿はまばらだったが、以前に来た時と較べると、芝生が伸びて青々としているのはよく分かった。

ひととおり遊んでお昼を食べて、公園を後にしようと出口に近づくと、売店のある休憩所で、外国人(東洋人)の小学生が騒いでおり、辺りを散らかしている光景に遭遇した。

売店のオバさんが、集団の中のひとりの女の子に注意をしていたが、その側から、他の男の子が水を入れた風船を「バシャッ!」と通路に打ちつけて辺りを水浸しにしたので、日本語は通じないのは承知の上で、僕は声を大きくして注意をした。

さすがに、僕に叱られたことは分かるわけで、下を向いて苦笑いをしていたが、周囲にその子達の親の姿は見えず、自分たちだけで遊びに来たのだろうか?

今日はたまたま外国人の子供たちだったが、これと同じことを異国の地で日本人の子供たちが行えば、同じことである(大人も同じである)。

話は変わるが、昨日のエントリーで、法政イノマネでの「プロジェクト指導担当」のことを書いたが、少し補足しておきたいと思う。

30代の学生の方々であれば、経験の差という意味で、僕が指導できることがあるかもしれないが、40代の方々に対しては、同年代の僕が「指導」するなどというのは、甚だ烏滸がましい。

自分自身の経験も含めて実感しているが、すべての答えは「自分の中にある」。

僕にできることは、彼・彼女たちの中にある「何か」に気づくための「きっかけ」を提供することであり、言ってみれば「ガイド」である。

また、彼らと正面から向き合い話をすることは、自分への「問いかけ」にもなり、僕自身のこれからの人生を考える機会にもなっている。

とてもありがたい機会を頂いていることに感謝をしたい。

ところで、話をまた今日のことに戻すと、新宿御苑の後、僕たち家族は、渋谷区営の「プール」に出掛けた。

今日は「浮き輪」を持ち込んで良い日だったので、「浮き輪」をつけた彼を持ち上げて「バシャッ!」と放り投げて、遊ばせていた。

実は、我が子は決してプール(水)が好きではなく、小学校に入ってからのことを妻が心配して、今から少しずつ、プールに慣らしておこう、というのが狙いである。

但し、親にできることは「水」を向けることであり、最後は「本人の意識」次第である。

そのことを常に忘れずに、可能な限りの「機会」を提供したいと思うし、それが「教育」だと思っている。

ところで、プールから出てくると「青空」が広がっていた。

「梅雨明け」が待ち遠しい。