「知識社会」と「人生」の「シフトチェンジ」。

今日は先週に引き続き、渋谷区の公開授業参観に出掛けた。

今日の小学校(1年生)は、先週の小学校とは打って変わって、国語も算数も、かなり高度な授業をしていた。

国語では、昆虫の「保護色」を説明し、それを児童に読ませて理解を深めた後、児童に「質問文」を作らせて、他の児童に答えさせる、という授業をしていた。

例えば、こんな感じである。「私は誰でしょう。羽の色が茶色です」。

算数は、足し算、引き算の基本的理解が済んでいたようで、最初に先生が説明をした後は、問題用紙を配り、児童に回答させ、出来た順に、児童が先生のところに問題用紙を持っていく、という授業を行っていた。

但し、驚いたのは、1時間目の途中で、先生に断りもせず席を立ち、トイレに行く子供が何人もいたことだ。

聞くところによると、色々な家庭の子供がいて、中には(親の問題だと思うが)朝食を食べてこない子供やトイレを済ませて来ない子供がいるらしく、仕方がないとのこと。

でも、である。僕が小学校1年生の頃、そんなことは無かった。

先週の小学校は「規律」はとてもしっかりしていたが(授業中にトイレに立つ子はもちろん皆無)、授業のレベルはあまりに低次元であり、今週の小学校は「授業のレベル」は素晴らしいと思ったが、規律に関しては、お粗末と言わざるを得ない。

その両方を満足させようと思うと、結局は「私立」ということにならざるを得ないのが現実なのだろう。

当事者になって初めて、そういう現実を理解した。

ところで、今週は「法政ビジネススクール(イノマネ)」での「面談ウィーク」だった。

何度も説明しているが、一般的なMBAの修士論文に相当する「プロジェクト」なる「事業計画書」作成が「イノマネ」のセールスポイントで、その「指導担当」を決めるための面談が今月半ばから続いている。

学生の方々との面談を通じて思うのは、それぞれのプロジェクトの「テーマ」には、その人の「人生観」が表れているということ。

20代30代の方であれば、まだまだ様々な選択肢があるし、方向転換も比較的容易だと思うが、40代になると、さすがに、この先の「人生」を決める必要があるし、例外は別として一般的には、方向転換をするにしても「最後のチャンス」だと思う。

となると当然、その選択には相当の「決断」が求められるだろうし、それを指導する(という表現は偉そうで好きではないが)立場にも、責任がある。

ドラッガーの言う「知識社会」では、産業の新陳代謝が早くなり、組織の寿命よりも、自分の職業人生の時間の方が長くなり、否応無しに、人生のどこかで「新しい仕事」にチャレンジすることが求められる。

以前であれば、それなりの規模の会社に就職すれば、そのまま一生、その会社での仕事を通じて学習し、成長していくことができたかもしれないが、今の時代のように、途中でシフトチェンジを余儀なくされる場合、新たな知識やスキルを身に付けるためには、それが必ずしもビジネススクールかどうかは別として、勤務する会社以外での学習が必要となるのは間違いない。

そして、これもドラッガーの言うとおり、実務を経験してからの方が「より効果的に学べる領域」がたくさんある。

また、小学校だろうが大学だろうがビジネススクールだろうが、その教育の「質」を決めるのは、文科省や教育委員会等の指導要綱やガイドラインはあるにしても、「教える人(教師)」の資質と努力のウエイトが大きいのは間違いない。

学生の方々の「貴重な時間とおカネ」が「最大限の投資効果」を生むよう、僕自身が「新たな知識とスキル」を身に付けるよう努力をする必要がある。

そういう自負を持って仕事をしていこうと思っている。