「乗り降り自由」な社会。

マクロミルとヤフーバリューインサイトの「経営統合(基本合意)」に関するリリースは、インターネットリサーチ業界関係者には衝撃的なニュースだった。

僕のところにも何人かの方からメールや質問があった。

インターネットリサーチ業界が形成されて10年。

結果的には10年という歳月を経て、上位3社がひとつの会社になることになった。

僕なりに思うところがあるが、現時点ではコメントは控えておこうと思う。

まずは、今後の展開を見守りたい。

ところで、2ヶ月ほど前になるが、採用関連の事業を営むジョブウェブというベンチャー企業を経営されている佐藤孝治さんから、ご自身の著書「<就活>廃止論」の献本を受けた。

今更という感もあるが、聞くところによると、献本を頂いた際には「書評」を書くのが礼儀だというので(初めて知った)、読後の感想を書いてみることにする。

まず、佐藤さんのメッセージを僕なりに要約すると、以下のとおりである。

・高度経済成長期に形成された「一斉就職(新卒入社=入口)」と「一斉退職(定年退職=出口)」という方程式は、日本経済の低成長(失われた15年)により「賞味期限切れ」となり、その結果、「乗り降り自由」な社会となった。

・企業の「人を育てる余力」が乏しくなった。

・有名企業に「所属」していることの意味(価値)が薄らいだ。自分で「価値」を生み出せない限り、安定はない。

・どんな時代においても「利益を生み出す新しい仕組みを創る独自の能力やスキル」だけが安定を保証する。

・「選考試験」は大学一年生からスタート(何度でも入社試験を受けられるよにする)。
・優秀者には複数年入社パスを発行。「適時入社と適時退職」。

・「松下幸之助」も「本田宗一郎」も「中内功」も、社会に出てから「学校」に通った。

・「独習」で何かを身に付けた経験がある人は強い。

・子供を「ヒマ」にさせる決意。自分で「考える」時間を与える。

・「目的意識」と「長期的視点」を持つこと。

・「畑を耕す人、競争社会で働く人」という役割分担の弊害。

・一隅を照らす、これすなわち国宝なり。(最澄)

・自分の子供に何を伝えるか?まずは、自分自身がしっかり「生きる」こと。

平たく言ってしまえば、子供のうちから「自分で考える」習慣を身に付けさせることが、社会に出てから活躍できる人間になることに繋がる、ということである。

それだけであれば、佐藤さんがご自身の著書で述べるまでもなく、たくさんの方が異口同音に提唱されていることだが、彼のメッセージの本質は「一斉就職」と「一斉退職」を止めるべきであり、個々人の個性と人生に対するスタンスによって「最適なタイミング」で就職し、退職すべきだという点である。

ドラッガーが言うように、現代社会は初めて、「個人の寿命」が「組織(企業)の寿命」よりも長くなるという、人類が今までに経験したことのない局面を迎えている。

「個人が軸の組織」を前提とし、それに最適な「採用(就職)」と「退職」の仕組みを考える必要があるというのが、佐藤さんの主張である。

また、僕が最も共感したのは、彼の「思考」の中心にあるのは、「自分の子供に何を伝えるべきか?」という「問い」にあるということ。

それは恐らく、佐藤さんも僕も「創業者」という共通項があることも関係しているように思う。

つまり、次世代に「どんなバトンを渡すのか?」ということである。

さて、書評とは言えないような内容になってしまったが、最後に「子育て」について最近、感じていることを書いておきたい。

子供が3歳ぐらいまでは、とにかく「手がかかる(面倒を看る)」ということが大変だったが、子供も4歳にもなると、そこそこ手がかからなくなる。

また、子供なりの「人格」というものが形成されつつあり、友人関係もはっきりし、得意不得意も明確になってくる。

そうなってくると「その子の人生」について、考えざるを得なくなる。

「肉体的」負担から「精神的」負担に、親の仕事が変わってくる。

それに絡んで佐藤さんの本に戻ると、こんなくだりがある。

「子供の頃の教育を担うはずの『家庭』では、お父さんは安定した職と給与と引き換えに、徹底した『会社人間』になってしまい、残業続きで『家庭のことは顧みない』」。

ハードとしての家庭は機能しているが、肝心のソフトが機能しておらず、奥さんがひとりで抱え込み、場合によっては育児ノイローゼになってしまったり・・・ということが、一時期、マスコミで報じられていたりしたと思う。

そういうことも含めて、「本来あるべき社会の構造」を考える必要があることを訴えている著作である。

ところで最近、知っている人の本を手にすることが多くなった。

僕の場合、ベンチャー系の人が多いが、自分の専門分野を10年も続けていると、そこで得たものを本にしてみては?というオファーが来るようになるのだろう。

僕も今から6年前になるが、「自分でできるネットリサーチ」という本を書いたことがある。

最近、前回とはまったく異なるテーマで、僕にとっては2冊目となる本を書きたいと思うようになった。

内容は整理しつつあるので、チャンスをつくって書こうと思っている。

日本の未来。

急性副鼻腔炎にも関わらず、土曜日は子供の保育園繋がりの友達家族と「筑波宇宙センター」に出掛けたり、日曜日は公園に遊びに行ったりとアクティブに活動していたせいか、今朝はかなり疲れが残っていた。

ところで今日は、ある方のお誘いで安倍元首相の昼食セミナーなる会合に参加させていただいた。

僕は安倍さんの支持者というわけでもないし自民党の支持者でもないが、講師の田原総一郎氏の話を聴きたいと思ったのが理由だった���

しかし、実際に出席してみると、予想に反して、とても勉強になった。

疲れが溜まっており集中力がないので、今日は詳細は割愛させていただくが、田原さんの話は「日本の近代史」。日本は「どこで間違ったか?」というもの。

田原さんが信頼しているという、近代史が専門の東大名誉教授「坂野潤治」氏に、「日本はどこで間違ったのか?」と質問をしたところ、その一年後(と言っていたと思う)に電話があり、日本は「満州事変」で間違えたという話だったそうである。

不勉強な僕は「満州事変」については中学で習っただけで、今は詳しいことは殆ど何も分からないが、それまでの日本は「アジアの植民地を欧州から解放する」ことを理念に外交をしてきたそうである。

日本が満州事変に突入した背景には当時、同盟関係にあった「イギリス」の支持が得られるだろうという目論みがあったそうだが、結果的にはイギリスに裏切られ(支持を得られず)、また、日本は「国際連盟」を脱退し、国際社会で「孤立」したという。

そこから、日本は「おかしくなった」そうである。

それを今日に置き換えると「日米同盟」ということになるのだろう。

ここから先は、田原さんの後を受けて挨拶をされた安倍さんの話だが、日米同盟の第五条には「米国の日本防衛義務」が記載されており、その代り、日本は「米軍に基地を提供する」ことが第六条に明記されているそうだ。

つまり、集団的自衛権を行使できない日本は、同盟国である米軍に「基地を提供する」ことで、辛うじて「対等」な立場を保っているということだ。

さらに言えば、日本に何かがあった場合、アメリカの「若い兵士」が命を懸けて戦うということを意味しているが、その逆はない、ということである。

昨年のいつだったか、あることで外務省の方と会った時、その方も同じことを言っていた。

にも関わらず、あたかも「日本から出て行け」と言わんばかりの鳩山政権(首相?)の対応は、アメリカにとっては「それでいて、困った時は助けてくれ」という虫のいい話は勘弁してくれと映っても仕方ないだろう。

オバマ大統領と僅か10分、それも正式な首脳会談ではない場での会話しかできなかった日本に対して、90分もの時間を割いてもらっている中国という構図が、今の日本の立場を如実に物語っているだろうし、このままでは、それこそ日本は国際社会で孤立しかねないと思う。

ところで、セミナー終了後、安倍さんと少しばかり話をさせていただく機会に恵まれたので、今日のような機会を「高校生や大学生、20代の社会人といった若い人にこそ是非、提供していただきたい」と提案したところ、真剣な表情で聞いて下さった。

欲を言えば、僕の話に「分かりました。そのような機会を是非、提供して下さい」と仰っていたことを、「そのような機会をつくります!」と言って欲しかった。

「票」にも「政治資金」にも繋がらないが、彼らこそ、日本の将来を担っていくわけで、彼らに「投資」しなければ、どこにも投資するところはないと思う。

話は変わるが、今日の夜はETICで、Mr. Jed Emerson という、米国初の「ベンチャーフィランソロピーファンド」設立者の話を伺った。

僕は彼のことは存じ上げなかったが、「Blended Value」なるコンセプトの起案者であり、簡単に言うと、利益を上げることと社会貢献的インパクトは両立するということを早くから提唱されている人らしい。

色々な意味で国際的に大きな転換期にあるのは間違いなく、その中で、自分がどんな役割を担うべきか?について、改めて考えさせられた一日だった。

貴重な機会を与えていただいたことに感謝したい。

追伸:ETICの宮城さんから、Mr. Jed Emersonとの懇親会にお誘いいただいたが、体調が優れず、丁重に辞退した。僕の信条として、縁がある人とは必ず、また会えると思っている。

「絵本」で「起業」。

一昨日のエントリーで激しい頭痛に見舞われたことを書いたが、その後、吐き気が酷くなり、昨日、CTを撮ったところ「急性副鼻腔炎」であることが判明。

アルコールのドクターストップがかかり、暫くは大人しく生活することになった。

そんなことで、昨日今日といくつかのアポをキャンセルせざるを得なかったのだが、今日のお昼、「絵本ナビ」というベンチャー企業を訪問した。

同社を経営されている金柿さんがTwitterで僕の発言に絡んでくれたことがきっかけで、彼らのウェブサイトを拝見したところ、グロービス(僕がインタースコープを経営していた時もグロービスから出資を受けていた)から出資を受けていることを知り、よりいっそう親近感が沸き、オフィスにお邪魔させていただいた。

グロービス繋がりということで、何となく従兄弟のような感じがした(笑)。

彼は元々、銀行系のシンクタンクでシステムエンジニアとして働いていたが、お嬢さんが生まれたことがきっかけで「絵本」を読み聞かせることになり、その「絵本」に関するウェブサイトを探していたが、これといったサイトがなく、「であれば、自分でつくってみようか・・・」と思ったことが起業のきっかけだったそうだ。

何事も「原体験」に基づくものはリアリティがある。

さて、その金柿さん、最初の頃はおカネもなく売上も思うように上がらず、でも、小さな子供がいるということで、自分は「昼夜」2食とも「きつねどん兵衛」で過ごしていた日々もあったらしい。

ところで、金柿さんは、なんと以前から僕のブログを読んでくれていて、苦しい時に励まされたという。

とても光栄であり、心から嬉しく思った。

そういう僕も1年半で夫婦での外食が「たったの1回」という貧乏な時代や、色々な意味で苦しかった時に、友人の何気ない「ひと言」やウェブや雑誌等で出会った「言葉」にどんなに助けられてきたか、数えられない。

そんなこともあり、それが僕のブログというのが照れくさいが、金柿さんの気持ちは痛いほどよく分かる。

極一部の例外を除き、起業した人はみんな、そういう苦労をしてきているのである。

ところで、現在の日本社会は、ライブドアショック以降、新興市場に対する風当たりが強くなり、市場の規制はどんどん厳しくなって、どこからどうみてもベンチャーに強烈な逆風が吹いているが、彼のような志の高い方が立ち上げたベンチャーは必ず成長していくと思う。

起業とは、そして、ベンチャーとは何か?何が大切か?

色々なことを考え直すきっかけになり、心地よい刺激と示唆を与えていただいたアポイントだった。

金柿さんに感謝である。

「急性副鼻腔炎」ごときでダウンしている場合じゃない!!

酷い場合は手術らしいので、そうならなかっただけでもラッキーである。

でも、マジメな話、昨日は生きた心地がしなかった(笑)。

「マスターズ」に想う「仕事」と「家族」。

昨日は急な気温の変化が原因なのか?午後から激しい頭痛に見舞われ、昨夜は夕食もそこそこに20時前に床に就いた。

午前零時を回った頃、起きてきてメールの返事を書いていたうちに、マスターズのハイライトを見過ごしてしまった。

ところで、実は先週末あたりから体調を壊してしまったこともあり、ブログの更新が滞ってしまった。

いつも書きたいことはたくさんあるが、その瞬間を過ぎると、その想いは過去のものとなり、後になって書こうとすると、どうもしっくりこない。

今日は頭痛もあり集中力がないが、更新が滞るのはあまり好きではないので、思いつくままに書き綴っておこう。

まずは、子供のこと。

何日か前のエントリーだったかTwitterだったか忘れたが、以前の保育園の友達たちと一緒に始めたサッカー教室は初日で脱落。無理矢理させても良い結果は得られないだろうと思い、それは善しとした。

しかし、自分から習いたいと言って通い始めたバイオリンも最近はあまりマジメに練習しなくなっているらしく、妻がぼやき気味。

これも何度か書いたことだが、今年から保育園が変わり、新しい環境に馴染めず、精神的に不安定な状態が続いていたこともあり、少々甘やかしてしまったのかもしれないと、夫婦で反省している。

現在の保育園に対しては色々と思うところはあるが、そのことはもう暫く様子を見てから書きたいと思う。

次は、仕事のこと。

4月から法政大学ビジネススクール・イノベーションマネジメント研究科で非常勤講師として仕事を始めたことは数日前のエントリーで書いたとおりだが、学生の方からの提案で、来月初旬に学生の方々(全員だと100名を優に超える!)と教職員との懇親会をすることになった。

ビジネススクールで客員教授をしたり、ゲスト講師を仰せつかったことは過去にもあったが、今回のように学生の方々と密接に?関わるのは初めてのことで、楽しみである。

考えてみると、インタースコープを一緒に創業した山川さんは明治大学のビジネススクールで非常勤講師をしており、創業時にお世話になった熊平さんは日本教育大学院大学の学長になり、僕の周りの親しい方々は何かしらの形で教育に関わっている。

自分が当事者として遮二無二ベンチャーを立ち上げてきた僕たちもそれなりの年齢になり、後進の育成に努める立場になってきたのかもしれない。

自分自身でも何かに挑戦し続けていきたい想いはあるが、社会人の方の成長を支援するということも、それも単発ではなく、自分が担当するクラスや学生の方々を持ってというのは、僕にとっては「新しい取り組み」であり「挑戦」でもあるのも事実。

今までは自分のアイデンティティを変えることに抵抗があったが、これからは、自分に与えられた役割を素直に受け入れていこうと思っている。

最後はマスターズ。

最終日の朝、1時間ほどテレビ見たが、充実したミケルソンの表情が印象的だった。

個人的にはタイガーウッズの劇的な復活優勝を期待していたが、やはり、精神面での優劣が結果を左右したように思う。

「仕事(公)」で良い結果を出すためには、「家族(私)」との関係が大切だということを実感した。

僕たちの子供も気がついたら4歳半。あと2年も経たないうちに小学生である。

40代最後の3年間を公私共に充実した時間にしたい。

追伸:ミケルソンの帽子のピンクリボンが印象的だった。

「したいけど、できない。できるけど、したくない」。

今日は、この4月から非常勤講師としてお世話になることになった法政大学経営大学院(MBA)でのガイダンスがあった。

僕の担当は「プロジェクト」と呼ばれている「事業計画」策定(一般的な大学院でいう修士論文に該当するもの)の指導。

この経営大学院は「イノベーション・マネジメント研究科(通称イノマネ)」というところで、より実践的なカリキュラムになっている。

因みに、法政大学にはもうひとつ経営大学院があるが、そちらはもう少しアカデミックな内容で、昨年度の下半期は、そちらで客員教授を仰せつかっていた。

僕には、今回の経営大学院の方が向いていると思う。

ところで、今日のガイダンスで、初めて、イノマネの「教育理念」を聞いた。

「先端知識(Technical Skill)」「豊かな教養(Human Skill)」「知識の活用と構想力(Conceptual Skill)」により、「革新的なコンセプトを構築できる能力」を育成することが、イノマネの目的である。

上記の理念は、あまり驚きはなく、至極、納得の行くものだったが、僕にとって「大きな発見」だったことは、補足説明の方にあった。

(イノマネが育成したいのは)「社会」が求めている「問題」に気づき、

– 原因を分析・究明し、
– 現実的な解決策を立案し、
– 提案・実行・検証・改善できる人

という説明文があった。

僕が心を動かされたのは「社会が求めている問題」というフレーズである。

つまり、自分にとっての問題ではなく、社会にとっての問題を解決する、ということだ。

そんなの当たり前でしょ!!と言われてしまいそうだが、僕はある時まで、自分では「社会的な問題」を解決するためにビジネスをしてきたつもりだったが、それは確かに社会的な問題ではあるものの、僕がそれに取り組んでいるのは、「自分にとっての問題」であるからということに気づいた。

だから「自分にとっての問題」が解決されれば、あるいは「その分野での勝者にはなれない」ことに気づくと、それでも取り組もうという気にはなれなくなってしまうのだろう。

故に「人生は全て次の二つから成り立っている。したいけど、できない。できるけど、したくない」ということになる。

因みに、これは「ゲーテ」の言葉だそうだ。

話は変わるが、これは以前にもご紹介した孫さんの2時間以上に及ぶ講演(孫正義LIVE 2011)で知ったことだが、西郷隆盛は「名も要らない、金も地位も名誉も要らない。命さえ要らない。そんなやっかいな奴でないと大事は成し遂げられない」と言ったそうだ。

結局は、自分の「エゴ」を満たすために仕事をしているうちは「大事は成し遂げられない」ということである。

僕に、どれだけのことができるか分からないが、1年3ヶ月、こうして自分と向き合って来れたことが、人材紹介業から撤退したことで得た最大のメリットかもしれない。

さらに言えば、その「気づき」を今後の人生に活かせて、初めて、メリットだったと言えるのだろうけど・・・。

頑張ろう!!

「オルタナ3周年記念パーティ」と「揺るぎない信念」。

朝が最高気温で11時頃から寒くなり、小雨も降り出した今日は、僕が超マイナー株主として応援している「オルタナ」というビジネス誌の3周年記念パーティがあった。

創業者で社長兼編集長の森さんのことを知ったのは3年ぐらい前で、新丸ビルで行われた何かのセミナーの時だった。

個性がハッキリしていて人間として魅力がある人だなと思い、名刺交換をしようかと思ったが、縁がある人とは必ずまた会えるはずだという「信念」の僕は、その日はそのまま会場を後にした。

たぶん、その半年後ぐらいだったと思うが、オルタナが第三者割当増資をすることを知り、その説明会に出掛けたのが、森さんとの再会だった。

ご存知でない方のために簡単に説明すると、オルタナという雑誌は「環境とCSRと『志』」をテーマとしたビジネス誌だ。

文字どおり、その「志」ゆえに創刊当初から注目を集め、それなりに読者を増やしてきたが、いわゆるリーマンショック後は「広告スポンサー」の激減により、経営的には大打撃を受けた。

僕は、ひとりのマイナー株主に過ぎないが、森さんとは波長が合い、共同で新規事業を立ち上げようかという話をしていたが、まずは、オルタナの経営を軌道に載せることが先決でしょう!と言い、そのプランは見送ったという経緯がある。

オルタナの3年間(僕が知っているのは2年間)は、文字どおり、「茨の道」だった。

常識的に見れば、もうダメなんじゃないか・・・と思う危機的状況ををことごとく乗り越え、こうして3周年を迎えることができたのは、優秀な編集スタッフと外部協力者、そして、ロイヤリティの高い読者あってのことだが、どん底に合ってなお、オルタナの発行を諦めない、森さんの「強い想い」抜きにはあり得なかったと思う。

3周年記念パーティにお邪魔しながら、元アップル日本代表(現リアルディア社長)の前刀さんに言われた「揺るぎない信念」という言葉を思い出した。

人材紹介業から撤退し、身ひとつになってから1年3ヶ月。

僕はずっとそのことを考え続けてきたが、今日は、そのことの「意味」を目の当たりにした。

最後の最後に頼れるのは、「それしかない」。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★創業者で社長兼編集長の森さん

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★3周年パーティ会場内の様子

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★編集スタッフの吉田さん

「授業妨害」。

さて、ここのところ、僕の実体験をもとに、教育のあり方に関する「批判」めいたことを書いてきたが、今日は僕が受けた「ポジティブな影響」の話をしようと思う。

「誰が担任だったか?」ということが非常に重要だという話を書いたが、僕が中学2&3年の時の担任の先生は、とても素晴らしい方だった。

タイプは異なるが「金八先生」のような人で、僕たちのクラスは学年で最も「求心力」があった。

「遠藤和男」というその方は美術の先生で、そのことも影響していたのか、生徒を型にはめるということは一切なく、それぞれの「個性」に目を向けて接してくれた。

その遠藤先生のお陰で、僕の中学生活は、とても楽しい時間だった。

ところで、こうしていざ、遠藤先生のことを書き始めてみると、とても素晴らしかったということ以外、具体的なエピソードでブログに書いておもしろいと思えるものがないことに気がついた。

性格にも依るのだろうが、人間は楽しかったことは忘れてしまい、心に傷を負ったことは憶えているのだろう。

「心に傷」ということで言うと、僕が高校受験に失敗した話は何度も書いてきたが、その翌年、再受験の2週間前に、母親が亡くなった。

その時、遠藤先生が僕の自宅に弔問に訪れ、母の遺体の前に座って、泣き崩れるように僕の受験合格を祈ってくれたことを今でもよく憶えている。

それだけ、生徒の人生を自分のこととして受け止め、真剣に対応してくれていた方だった。

中学時代の僕はどんな生徒だったかというと、勉強はそこそこできて学級委員長をし、尚かつ、いわゆる不良少年達と付き合ってタバコは吸うは家出はするはと、フツーの先生にとっては、手に負えない厄介な存在だった。

ある時、ある科目の先生で、授業が退屈というか、1年生の時に教わっていたその科目の先生と較べると、教え方自体も人間的魅力も、どうしても劣ると感じてしまう先生がいて、僕は半ば「授業妨害」のような態度を取っていた。

その先生が職員室で「4組(僕たちのクラス)の授業はしたくない」とこぼしていたらしく、その原因が僕にあり、遠藤先生が「なぜ、そういうことをするんだ?」と訊いてきたので、正直にその理由を話たところ、そのことには理解を示した上で、「でもな、一生懸命に勉強しようとしている他の友達に迷惑じゃないか?」と言って、僕を諭してくれたことがあった。

遠藤先生にそう指摘されて、僕は自分のしていることの意味に気づき、それ以降、授業妨害のような態度は取らなくなった。

何事も決して頭ごなしに怒るということはなく、生徒との対話を誰よりも大切にする方だった。

でも、今にして思うと、他の先生達からは相当に煙たがられていただろうし、職員室ではきっと「居心地が悪かった」のではないかと思う。

教師としては間違いなく、「異端」だった。

小学校はそうでもなかったが、僕にとって高校は最悪で、でも、中学時代の楽しい想い出があったお陰で、何とかやってこれたように思う。

親や教師に限らず、その人の一生を左右するほどの影響力を持つ人がいる。

人間は「環境の動物」である。