僕には、まだまだ「捨てるもの」がありそうだ。

我が家のベランダからは、樹齢30~40年と思しき欅が見える。

つい先日まで枯れ木のようだったのが嘘のように、鮮やかな黄緑色の葉をつけている。

ベランダに出ると、欅以外にも鮮やかな黄緑色の樹木が目に飛び込んできて、季節が変わったことを実感する。

ニーチェ曰く、「日常の生活や仕事のなかで、ふと振り返ったり、遠くを眺めたときに、山々や森林の連なりや遥かなる水平線や地平線といった確かな安定した線を持っていることは、とても大切だ」という。

「それらは、単なる見慣れた風景に過ぎないかもしれないが、その風景の中にあるしっかりと安定した線が、人間の内面に落ち着きや充足、安堵や深い信頼というものを与えてくれる」。

「そして、誰でもそのことを『本能的』に知っているから、窓からの風景を重視したり、セカンドハウスの場所を自然に近いところに選んでいる」と言っている。

確かに、心が疲れた時、都会とは思えない我が家のベランダ越しの「借景」は、僕の心のビタミン剤のような働きをしてくれているように思う。

ところで、アメブロを書き始めて以来、平均すると毎月20~22のエントリーを書いてきたが、こ���3月から、思うところがあり、今までのように頑張って書くことを止めた。

それは、少しずつではあるが、色々なものが吹っ切れてきたことと関係しているのだけど、一方、時々、不安に駆られたりもする。

これまたニーチェの言葉から学んだことだが、「不必要なものは自然と自分から離れていく」らしい。

「人生はそれほど長いものではない。その限られた時間の中で何かをなす以上、何かから離れたり、何かをきっぱりと捨てなくてはならない。

しかし、何を捨てようかと悩む必要はない。懸命に行動しているうちに、不必要なものは自然と自分から離れていくからだ。あたかも、黄色くなった葉が樹木から離れ去るかのように。

そうして私たちは、さらに身軽になり、目指す高みへとますます近づいていくことになるのだ」。

ところで、昨日のスポーツニュースで見たホークスの小久保選手に関するドキュメンタリーで、印象深い話があった。

それは今シーズン、7年ぶりの「日本シリーズ優勝」を目指すなかで、自分が担うべきこととして「ホームランの量産(30本以上)」を再認識しながら、なかなか最初の一発が打てずに悩んでいた時、楽天のエース岩隈投手から1号ホームランを打った後に言った言葉だった。

「軽く振ってもあんなに飛ぶ。やっぱり芯(しん)で打てということだな」。

余計な気負いや迷いを捨てて、身軽になり、自然体で臨んだ時の方が良い結果が出る、ということだろう。

僕には、まだまだ「捨てるもの」がありそうだ。

でも、ニーチェの言うように、焦る必要はない。

自然に剥がれ落ちていくまで待っていよう。

自然体で・・・。