「茶パツ」と「ピアス」と「捨て身」の心。

ここ数週間は何だかんだと慌ただしく、今月はブログの更新も滞り気味だったが、今日は僕の誕生日もであるし、ここのところ、書きたいと思っていたことを書こうと思う。

昨日は「日本フォーム印刷工業連合会」なる団体の月次セミナーの講師としてお招きいただき、「新たなるビジネスモデルへ���挑戦(「既に起こった未来」というドラッガーの著作のタイトルを副題につけた)」というテーマのもと、約1時間、話をさせていただいた。

僕にとっては殆ど接点のない「フォーム印刷」なる業界団体のセミナーにお招きいただいたのは、あるベンチャー仲間からの依頼により「JAGAT」という印刷関連団体の年次カンファレンス(PAGE2010)で講演をさせていただいたことがきっかけだった。

僕の話は、印刷(紙メディア)の「機能の本質」と「その限界」について、そして、Webの進化がもたらすインパクトについてだが、印刷業界の「経営層」の方々(年齢的には50代60代がメインだったと思う)が、どの程度、ウェブに関する知識をお持ちなのか?が分からず、薄氷を踏むような気持ちだった。

これは主催者(事務局)の方からメールを頂いて知ったことだが、受講者の中に某大手印刷会社の常務の方がいらしていて、良い講演だったとの電話が今朝、あったらしい。

主催者の方の顔も立ったようで、とても嬉しく思った。

ところで、今日は3週間ぶりに中目黒にある整形外科にリハビリに行った。

目黒川沿いの桜は5~6分咲きぐらいになっており、たくさんの人で賑わっていて、季節が変わろうとしていることを実感した。

話は変わるが、整形外科に行った後、とあることで時間を潰す必要があり、老夫婦が経営する代官山のある喫茶店に入ったところ、カウンターに上品で裕福そうな老夫婦が座っていた。

僕が入って程なくした頃、いわゆる「生保レディ」が「挨拶」に来た。

その彼女が帰った後、「いったい何なんだろうね。あの派手な服は・・・。紺のスーツじゃなきゃいけないでしょうに・・・」という会話が繰り広げられた。

僕はiPhoneでメールをチェックしていたので、彼女の服装はあまりよく見ていなかったが、たしかに、コバルトブルーの明るい感じの色だったと思う。

こればかりは個人の美的センスに委ねざるを得ない問題なので、ここでとやかく言うつもりはないが、でも、お客さんに不快感を与えるような色だっただろうか?

因みに、数日前の日経新聞の夕刊で知ったことだが、全日本スキー連盟は、次回のオリンピックから、選手の「茶パツ」と「ピアス」は禁止するそうである。

「国母選手」の問題が、ここまで発展したわけだ。

何だか戦前の「全体主義」の匂いを感じるのは、僕だけだろうか?

そういう僕は「茶髪の中年男性」であり「茶パツ歴19年」。

全日本スキー連盟的には、お話にならない人間ということになる。

「服装」という意味では、僕は、昨日の講演に、敢えて、「パーカー」に「Gパン」という服装で出掛けた。

僕が演台に立つと「予想通り」の雰囲気を感じたので、自分から「いったい、どこの兄ちゃんが来たんだよ・・・とお思いの方が大半だと思いますので」と前置きした上で、見掛けとは違う?極力丁寧な言葉を選び、自己紹介をした。

約70分ほど話をさせていただいたが、寝ている方もいた一方、熱心にメモを取って下さっていた方もいらして、伝わる方には伝わったようだった。

事務局の方から後日、アンケート結果を頂戴できるそうなので、それを楽しみに待ちたいと思う。

ところで、上海でビジネスをされている藤田さんのTwitter経由で、ソフトバンクの孫さんに関する記事を読んだ。

世の中を「革新」する人は「不安に抗し、高い精神エネルギーを維持する、高度な感情知能(EQ)というものが必要になってくるはずである」とし、次の「2つ」の要素が必要だとしている。

ひとつは「状況は自分の力で変えることができる」という信念の強さ。やるべきことをやれば、変えられないことなどない。そう信じる心。

もうひとつは「他人の評価や自分に向けられた感情によって影響を受けない」という点である。世間から「善い人」と思われようとして、既成の秩序を壊すことなどできるはずもない。孫の言葉を借りれば「人の目を気にして生き方を変える必要も、有頂天になる必要もない」という思い定めが、革新者には必要なのだ。

その記事の著者(「 」内は記事より引用)は、そう解説していた。

上記の2点に照らし合わせると、前者もさることながら、僕は「後者」の資質が大きく欠けている。

最近、そのことを改めて感じていたこともあり、この記事は僕の心にストレートに入ってきた。

妻がつい先日、とある会話の中で「音楽の世界では、よほど図太くない限り、成功することはできないよ」と言ってたが、音楽に限らず、成功する保証がなく、確率的には「芽が出ずに終る人が圧倒的に多い仕事」を職業に選んで生きていくには、「自分を信じる強い心」がなければ無理だろう。

僕は28歳で起業して以来、最後の最後は精神力だと思うようになったが、僕には、その「精神力」が欠けている。

では何故、精神力なり「強い心」が持てないのか?ということになるが、それは「失敗する」ことが怖いからであり、失敗することによって生じる「社会の評価」を気にしているからである。

「相田みつを」が、「男が仕事をする時には、常に『捨て身』でなければだめである。捨て身とは、何も欲しがらぬことである。そんとく、勝ち負けという、人間の物さしを捨てることである」と書いているが、そのとおりだと「思う」。

そして「思い」はしても、本当にそれを「実践」するには、それ相応の「勇気」がいる。

「みんなから愛されたい(評価されたい)」と思うから、誰からも愛されないのである。

「個性」が強いほど「敵」もできるし、むしろ、その方が強固な支持者がいるとも言える。

無いものを強請るより、あるものに感謝した方がいい。

ゴルフで言えば「ボギーでいい」と思えた時の方が、良いスコアが出たりする。

結果を欲しがらず、プロセスに集中することが、結局は結果に繋がるということだ。

「人生はすべて必然」であり「人生には勇気と自信が必要だ」。

「生保レディ」の服装の話から「国母選手」と「全日本スキー連盟」の話を経由して「ソフトバンクの孫さん」の話に発展し、最後は自作の「座右の銘」で恐縮だが、そんなことを考えた47歳の誕生日だった。

ところで、35歳になった時、「20歳から今日(35歳の誕生日)までの時間がもう一度やってくると、『僕は50歳になる』という事実に気がつき、目の前に『砂時計』を置かれた心境になった」という話を何度か書いたことがあるが、その「50歳」まで、あと「3年」となった。

「人生は短い」。

「時間という資源」ほど厄介(貴重)なものはない。目に見えないし、保存することもできない。

by Peter F. Drucker