「大学生」になってからでは遅すぎる。

東京では一気に春めいた昨日、僕たちの子供が昨年まで通っていた保育園の遠足に出掛けた。

遠足といっても歩いてどこかに行くというわけではなく、品川にある「水族館」前に集合し、それぞれのクラスで記念写真を撮り、その後、世界中の海の生き物を見て、最後は米国アカデミー賞で物議を醸し出していた「イルカ」のショーを観劇し、現地解散、という催しである。

久しぶりに旧友達と再会した子供たちは、水族館前の広場を所狭しと駆けずり回り、守衛さんに注意されるほどはしゃいでいた。

ところで、その前日つまり金曜日は、東京駅丸の内側にある新丸ビルのカフェで、僕がボランティアでアドバイザリーボードのひとりを務める「日本中退予防研究所」の事業展開に関する相談を受けた。

同研究所の運営母体であるNPO法人NEWVERYの代表理事である山本繁さんとは、かれこれ5~6年の付き合いになるが、彼との議論をしながら、前回のMTG(半年ちょっと前)の時と較べて、格段に成長していることを感じた。

そもそもは、コトバノアトリエなる「引き蘢り」且つ「漫画家志望」の若者を漫画家としてデビューさせるための活動(言ってみれば、漫画家育成プロダクション)をしていたのだが、様々な活動を通じて、若者が「NEET」や「フリーター」になる大きな原因のひとつとして「中退」という問題があることに行き着き、年間13万人と言われる「中退者」を未然に防ぐ活動に取り組み始めた。

その当時は、NPOではなく、株式会社として事業をスタートしようかと考えており、僕のところに資金調達に関する相談に来たことが、僕がアドバイザリーボードに就任するきっかけになった。

あれから2年、彼の問題意識は社会に浸透し始め、ようやく「初期の形」を形成しつつある。

ところで、彼らの経営ノウハウでもあるので、その詳細は書けないが、彼らの「分析力」と「社会的価値」をご理解いただきたく、彼から聞いた「学生が中退してしまう原因」の触りを紹介したいと思う。

彼が挙げていた「5つの要因」の内、その「3つ」を挙げると:

1. 先輩との関係構築
2. 教職員との関係構築
3. 同年代との関係構築

の「有無」である。

つまり、至極当たり前のことだが、人間は誰しも「周囲との人間関係(コミュニティ)」を求めており、それが「相互理解」と同義であるということだ。

また、このことは、大学生や専門学校生に留まらず、「保育園」や「幼稚園」の園児にも当てはまるということである。

登園拒否になる場合、新しい環境に溶け込めず、「友達ができない」ということが理由となるわけだが、では、なぜ、友達ができないのか?ということに目を向ける必要がある。

僕は「他人に対する興味」の有無であり、「相互理解」を促すような「教育」をしているかどうか?が重要であると思う。

しかし、3歳児や4歳児にそんな教育をして、機能するのだろうか?

これは僕の考察であり推察に過ぎないが、とどのつまり、親が家庭で自分の子供の話に耳を傾け、保育園や幼稚園での生活に関心を持っているか?園の先生達が、子供たちが各自の家庭でどんな生活をしているかに関心を持ち、実際にそのような語りかけをしているかどうか?が、物事の分かれ道だと思う。

親や教師が「他人に対する興味」を持たず、「相互理解」に努めようという姿勢がなければ、子供たちにそういう姿勢が育まれるはずはない。

とても示唆に富んだ出来事なので紹介するが、ちょうど昨年の今頃、僕たち家族がサイパン旅行で数日、園を休んでいたことがあったのだが、旅行から帰り、久しぶりに登園すると(実際には妻が送っていったので僕はその場には居合わせてはいない)、「わーっ、○○くんが来たよ!!」と言って、友だち達がいっせいに彼のところに集まってきたらしい。

それを受けて我が子は、「そうなんだよ。サイパンに行ってきたんだ!!」と言って、嬉しそうに友達の輪に入っていったという。

つまり、園の先生達が、各園児の休暇中(なぜ、休んでいるのか?)のことまで話をしており、子供たちに「周囲(ここでは友達)に関心」を持つことを教えているのだと思う。

それも、いかにも教育というやり方ではなく、あくまでも自然にというか「結果的に」と言った方が適切かもしれない。

では何故、結果的にそのような教育効果が生まれるのか?であるが、それは、先生達が「子供たちへの愛情(関心)」があるから、だと思う。

但し、そのような先生達を集めるには、確固たる「理念」が必要だし、相当な「経営努力」が求められるのは間違いないだろう。

さて、話を「中退予防」に話を戻すと、対策は「2つ」ある。

ひとつは「入学前」で、もうひとつは「入学後」である。

また「学生の立場」に立つか?「学校の立場(経営的視点)」に立つか?という問題もある。

話が長くなるので、今日は後者の問題は割愛するが、問題の本質を考えると「入学前」の方が大切ではないかと、僕は思う。

勿論、一定の効果があるのは間違いないが、根本的な解決という意味では、大学なり専門学校に入ってからでは遅く、「保育園や幼稚園」の頃から、さらに言えば「親の教育」が「大切」だという結論に行き着く。

ところで、山本さん達とのMTGの後、久しぶりに「兄弟3人」で食事をした。

実家(郡山)で弁護士をしている弟(次男)が日弁連の会議で上京するのに合わせて、僕と三男が予定を調整し、「日本の将来」を肴に、最終の新幹線に間に合うまでの2時間半、議論をした。

そこで、弁護士をしている次男が「国母選手」の「腰パン」問題に関し、こんな話をしていた。

「個人的には『腰パン』はいかがなものかと思うけど、それが出場の是非が問われるほどの問題だとは思わない。あの問題によって、『これで結果が悪かったら何を言われるか分からない・・・』という重圧がかかったのは間違いない。個性を認めない日本社会の方が問題だと思う」。

彼がドロップアウトした人間であれば、それって「自己弁護」だろう?と言われるかもしれないが、司法試験にパスし弁護士をしている、どう謙遜しても「知的エリート」であることに疑いの余地はない彼(自分の弟のことで申し訳ないが)が「国母選手」に理解を示す発言をしたことに、僕は軽い衝撃を受けた。

「単一民族」国家の弱点かもしれないが、日本が国際社会でもう一度、輝きを取り戻すには、自分とは「異なる価値観」の人間にも興味を示し、「多様性」を認める「懐の広さ」が必要ではないかと思う。

「自戒の念」を含めて。