人生の「極意」。

・・・そんなご大層なことを書けるような人間ではないのだが、ここ1~2日、あまり読んでいなかったTwitterの怒濤のTLを眺めていて、芥川龍之介の、ある言葉に目が留まった。

「我々はしたいことの出来るものではない。ただ、出来ることをするものである」。

僕はある時から、テクニカルなことには興味がなくなり、この手の哲学的なことに興味が向くようになったが、それは、ALBERTの上村が言うとおり、僕は「想いの人」だからだろう。

最近、Twitterで「名言BOT」なるものをフォローしていて、上記の言葉以外にも、例えば、

★1つのドアが閉まれば、もう1つのドアが必ず開きます。それはバランスをとるための、自然の法則なのです。─ブライアン・アダムス

★指導者は世論の誤りを是正できなくてはならない。たんに世論を代表するだけでは、その責務を果たすことはできない。(仏作家: Honore de Balzac)

★努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る 井上靖(���家、詩人)

★一生の仕事を見出した人には、ほかの幸福を探す必要はない。 カーライル

★幸福人とは過去の自分の生涯から満足だけを記憶している人びとであり、不幸人とはそれの反対を記憶している人々である。(萩原朔太郎『絶望の逃走』)

などなど、様々な名言に出会う。

でも、これらのステキな言葉たち(そういうと軽いニュアンスになってしまうけど)は、以前の僕には、今の僕ほどは、響かなかったと思う。

英語で「チャンスは準備が整った時にやってくる」という諺(格言?)があるが、つくづくそう思う。

特に、数年前の僕だったら、「我々はしたいことの出来るものではない。ただ、出来ることをするものである」という言葉には、共感できなかったと思う。

石川遼くんは、いくら名誉とおカネが手に入るからといって、今から、メジャーリーガーを目指したりはしないだろう。

要するに、その次元が世界レベルになれるかどうかではなく、自分が持って生まれた才能と努力して手にした能力を遺憾なく発揮できるかどうか?ということなのだろう。

「人生は短い」。

僕は、出来ないことに「時間を費やしている」ほど、暇じゃない。