4回転は「失敗してもいい」・・・。

昨日のTwitterでも書いたが、リハビリに通っている整形外科の駐車場にバックで駐車しようとして、電柱に追突した。

右後方部分がかなり破損してしまい、ディーラーの方が言うには、バンパー部分の交換で済む場合で20~30万円。ボディの一部も交換する必要があった場合は、なんと50~60万円ほどの修理代がかかるとのこと。

「予期せぬ」痛い出費である。

但し、実際には「自動車保険」を適用するので、僕の負担は「免責の10万円」だが、次年度からの保険料が2~3万円ほど高くなり、今の等級に戻るまでに4年はかかるらしいので、実質的は「18~22万円」の負担になる。

つまり、修理代が「20万円」以内で済むようであれば、保険を使わない方が得かもしれない、ということだ。

僕が頼んだわけではないが、保険会社の担当者が、丁寧にその説明をしてくれた。

ところで、今回の事故を通じて、ふたつほど、気がついたことがある。

ひとつは、Twitterで書いたとおり、今回も含めて過去3回の事故はすべて、「バックでクルマを駐車する時」に起こしている、ということ。

道路を走っていての事故ではなく、ピュアに僕の「ケアレス・ミス」によるものだ。

普段の言動にも通じるが、「細心の注意」というか「謙虚な姿勢」が足りない、のだろう。

もうひとつは、保険会社の対応である。

前回の事故の時(たぶん2年半ぐらい前)は「某財閥系の損保会社」だったが、今回は「ソニー損保」での事故処理になる。

前回も「担当者(女性の方)」はとても丁寧で感じの良い方だったが、今回の担当者(やはり女性)も丁寧な対応で好印象を持った。

しかし、そこが「ビジネスモデル」というか「コスト構造」の違いなのだろうが、事故処理の「オペレーション」には、大きな違いがありそうだ。

「ありそう」と書いたのは、今回はまだ手続きが完了してはいないので、現時点での判断に留まるという意味である。

前回の事故の際は、「どこで、どのようにクルマをぶつけたのか?」を「絵(図)」を書いて申請することを求められたが、今回は「電話での事故時の詳しい説明」を求められはしたが、「今のところ、お客様に特にご対応いただくこと(書類の手続き)はありません」と言っていた。

前回は、保険会社の担当者が「現場検証」をする必要がある(虚偽申請のリスクをヘッジしたいのだろう)と言っていたと記憶しているが、今回はそれがないのだろう。

正直、驚いた。

だとすれば、「コスト」と「対応スピード」に大きな違いが生まれるのは当然である。

「営業所の諸経費」や「従業員の人件費」の問題だけではない、ということだ。

規制に守られていた時の「業務構造」と「規制緩和」後に設計されたそれでは、たしかに、大きく違って当然である。

でも、旧財閥系の損保会社も、規制緩和後の「ルール」に合わせて、自社の「業務構造」を変えることはできそうに思う。

それとも、2年半前と今とでは違っているのだろうか?

「新規参入者」が「結果」を出し、既存のプレイヤーが市場を奪われるとしたら、それは「ルール」のせいではない、と思う。

ところで、男子フィギュアスケートの「高橋大輔」選手が「日本人として初めてのメダル」を獲得したが、演技の最中終始、とても「やわらかい表情」をしていたのが印象に残った。

序盤の「4回転ジャンプ」で転倒しても動揺せず、自分の持てる力をすべて出し切った充実感があったのだろう。

演技終了後のガッツポーズを見て、そう思った。

ビジネスの世界では「結果がすべて」と言われるが、仮に「結果」が伴わなくても、自分が思い描いたことを躊躇せず、思い切りチャレンジしてのことなら、「結果の如何」を問わず、本人も周囲も満足するように思う。

僕の邪推の域を出ないが、高橋選手はきっと、4回転は「失敗してもいい」と思って跳んだのだと思う。

彼の表情には「迷い」の欠片も見られず、「謙虚さ」と「覚悟」が感じられた。

一流の選手には、学ぶことが多い。

鳩山首相の「行動基準」には共感できない。

鳩山首相が「社会起業家の父」と呼ばれるビル・ドレイトンさんを囲んで懇談会を開催したそうである。

今から約1時間半前、Twitterで発言されていた。

以下が、その内容。

~「社会起業家の父」と呼ばれるビル・ドレイトンさんを囲んで懇談会を開催しました。社会をよりよくするために行動を変える「変革」の発想や人の痛みを分かち合う「共感」の大切さを感じました。ドレイトンさんのお話は、若い社会起業家のみなさんに大きな勇気を与えたことと思います。~

僕は、鳩山首相の「行動基準」には共感できない。

先ず最初に断っておくが、僕は「ボランティア」でNPO法人の「アドバイザリーボード」を務めていたり、小額ながら「スポンサー」になっていた&いるNPOもある。

僕だって「人の痛み」を分かち合える人間だと自負しているし、ビル・ドレイトン氏のような活動には「共感」する。

しかし、今朝のTwitter(名詞でもあり動詞でもある)で書いたとおり、鳩山政権の経済政策は、あまりにも理不尽なものばかりで、僕は怒りを通り越して、情けなく、哀しみさえ感じている。

例えば、銀行借り入れを「個人保証」をするという「大きなリスク」を背負ってビジネスをしている人にとって、「内部留保に課税する」などいう政策は、受け入れられるわけがない。

話を元に戻すと、今日の懇親会は鳩山首相が自ら企画したものではなく、誰かの提案により実現したものだと推察しているが、いくら提案されても、ご自身が興味のないことには参加しないだろう。

例えば、先日のエントリーでも紹介したが、慶應義塾大学SFC研究所ネットビジネス・イノベーション政策フォーラム・キックオフ・シンポジウムでの「孫さん」の政策提言(講演)のような活動にこそ、鳩山首相には、もっともっと理解と関心を示して欲しい。

つまり、政府の収入である「税金」の源である「経済的付加価値」を生み出すという、資本主義経済の基本原理とも言うべきことへのコミットを期待したい。

たしかに、「ビル・ドレイトン氏」は素晴らしい方なのは申し上げるまでもなく、「アショカ財団」の理念と活動は賞賛に値するのは間違いないが、では、その「原資」は、誰がどうやって生み出しているのか?

おカネは湯水のように勝手には湧き出て来ない(そもそも湯水も有限である)。

僕が言いたいことは、今の日本の経済・財政状況に対する認識を踏まえてのご自身の行動に関する「優先順位」である。

「友愛」はもちろん結構だし、僕も友情と愛情は大切にして生きているつもりだし、一個人の「家庭」や「交友関係」であればそのとおりだが、一国の経済運営をするにあたり、「友愛」に立脚しようとするのは、あまりに心許なくはないだろうか?

この世の中で問題の種になるのは、その元を質せば「思想」か「経済」のどちらかであろう。

ここでは「思想」の問題には言及しないが、「経済」に関して言うならば「衣食足りて礼節を知る」というとおり、「何億」という「税金を払う」人と、将来の生活を案じながら今日を生きる人とでは、物事の優先順位が異なるのである。

たしかに、今日の日本は「失われた20年」になりつつあるとは言うものの、それでも尚、この地球上では類い稀な経済的繁栄を謳歌していることは疑う余地はない。

しかし、すべての人間が聖人君子ではなく、大多数の人々は、常に「相対比較」で物事を判断し、幸不幸を感じるのである。

因みに、細かな数字は忘れたが、ある人がハーバードだったかハーバードビジネススクールの学生に、「自分は年収5万ドルで周囲は年収2万ドルと、自分は年収7万ドルで周囲は10万ドルの場合、どちらがいいか?」と尋ねたところ、殆どは「前者」と答えたそうである。

日本という「基準(水準)」に照らし合わせて、幸不幸を感じるのである。

僕は日本にもアショカ財団のような組織があって欲しいし、そういう人達がもっともっとたくさん出て来て欲しいと思っているが、そのためにも「富を創出する」ことを真剣に考える必要があるわけで、より本質的な問題は、「自助の精神」により「巨万の富」を生み出した起業家や資産家が、その資産を「社会のために還元する」という「価値観」を醸成するための「教育」だと思う。

僕の父は「財団法人」により経営されている総合病院に勤務し、母は小学校の教師をしていたが(要するに、営利企業に務める両親の子供ではない)、父は常々(今から30年も前のことである)、「これからの病院経営は大変だ」と言っていた。

つまり、経済として成立しないことには、どんなに素晴らしいことも続けられないということである。

また、「田坂広志さん」が、ヘイゲルの弁証法をもとに、対立する2つの異なるものは「相互浸透の法則」により「互いに似てくる」と仰っているが、今の日本は「社会主義の問題点」や「行き過ぎた福祉国家」の悪い点を取り入れ、「資本主義」と「市場主義」の「良い点」を「排除」しようとしているように思えてならない。

僕のような浅学非才の人間がこんなことを言っても何の説得力もなく、こんなブログを書いても何の社会的影響力もないかもしれないが、僕は自分が生まれ育った日本という国が好きであり、黙っていることができない人間だ。

そこが僕の欠点かもしれないが・・・。

Stay cool, affect your judgement.

All these are what I’ve learned from God Father.

Don’t get emotion, affect your judgement.
Never hate your enemy, affect your judgement.
Don’t ever let anyone know what you’re thinking.
Keep friends close, but enemy closer.
This is the price you have to pay for the life you have chosen.

from my Twitter.

一夜限りの「インタースコープ再結成」。

昨日はほぼ一ヶ月ぶりに、セラピアの鈴木さんの整体を受けた。

施術が終った後、鈴木さんに「今日の平石さんの整体は、僕の最高傑作なんですけど、どうですか?」と言われたが、ここ一ヶ月ぐらい続いていた微熱っぽさと怠さが嘘のように消えており、とても体調がよくなった。

午前中に行った掛かり付けのクリニックで、専門の病院での精密検査を予約してもらった後だけに、皮肉なものである。

ところで、鈴木さんの整体を初めて受けたのは2001年(僕にとっては「暗黒時代」だったインタースコープの代官山オフィス時代)なので、そろそろ10年近くになる。

その間、年齢による変化は勿論、その時の精神状態がどう影響を及ぼしているか等も含めて、僕の身体の変化をつぶさに見てくれている人である。

身体に限らず、自分自身の変化や変遷を「時系列」で見てくれている人がいることは、色々な意味でとても頼りになる。

何か「変調」を来した時、何事もその時のことだけでは判断できず、結果には必ず「原因」が伴っており、現状を理解するには「過去」や「背景」を知っている必要がある。

「社会」を理解する上で「歴史」を学ぶ必要があるのと同じである。

話は変わるが一昨日、久しぶりに都営「浅草線」と「三田線」に乗った。

普段乗り馴れていない地下鉄で、浅草線から三田線に乗り換える際、どの電車に乗ったらいいのか?少々戸惑った。

その地下鉄のことだが、日本に住み、日本語での案内があるの生活しか知らないと、その「便利さ」が当たり前になってしまう。

僕はロシアに行くようになって、初めてNew Yorkに行った時、地下鉄の乗り換えや郊外へ行く電車に乗る際に、とても緊張していたことを思い出した。

ロシア語はアルファベットではなく「キリル文字」で、街中の標識や地下鉄の案内を見ても、何も分からない。

そんなこともあり、今は「英語圏」に行くと「なんと快適なことか!」と思う。

ソフトブレーン創業者の「宋文洲さん」や「パラダイス鎖国(必読!)」著者の海部美知さんが、日本(この場合、東京を指している)に戻ってくる度に「その快適さを実感する」と共に、その快適さ故に、いつの日からか「日本人は海外に対する興味関心や海外に出て行こうという旺盛な心が失せてしまったように思う」と言っているが、そのことを実感する。

ジム・ロジャースが「証券市場しか知らなければ、証券市場さえも知らないことになる」と言っているが、日本しか知らなければ(比較対象がなければ)、それは、日本がどんな国かを知っているとは言えないのである。

ところで、来月9日(3/9)で、山川さんとふたりでインタースコープというベンチャー企業を創業してから、ちょうど10年になる。

残念ながら、我々の力不足で、法人としての存在はなくなってしまった(同業のインフォプラントと合併し、ヤフーバリューインサイトとなっている)が、インターネットの黎明期を全速力で駆け抜けた事実は消えないし、インターネットリサーチ市場をリードし続けた快感は今も尚、それぞれの胸の中に生きていると思うので、山川さんと相談し、「一夜限り」の「インタースコープ再結成」をすることにした。

連絡がつく人達にはほぼ一通り連絡をしたので、僕のブログでもお知らせした次第。

雇用形態や期間の長短を問わず、何らかのかたちでインタースコープに在籍したことがあり、今も尚、同じ釜のメシを食った仲間だと思ってくれている人は是非、「一夜限り」の「再結成」に参加していただければと思う。

記念すべき集いの「幹事」は、幸か不幸か時間に余裕のある「僕自身」が担当しているので、参加してくれる人は、2010年3月9日まで有効の下記メールアドレスまで、連絡をくれたし!!

interscope@mcx.co.jp

昔話に花を咲かせつつ、それぞれの「将来を語る楽しい夜」にしたい。

追伸:YVIメンバーおよび年度末という変数を考慮し、「開催時間」を「20:00~22:00」に変更しました。是非ともご参加を!!!

その2:「22:00~22:30」は「ロスタイム」としており、その間(会費をオーバーした分)は、平石・山川の「おごり」です!!

「ここでメダルを取れたら、やめたかもしれない」。

駐車場で、かなり久しぶりに会った同じマンションに住む人が開口一番、「上村、ダメでした。4位。でも、6位5位4位と来てるので、またやるでしょう」。

日本中の期待を一身に背負ったヒロインは、どんな心境で滑ったのだろう?

今度こそ!と思って、届きそうで届かなかったあと一段の重みは、本人にしか分からないだろうけど、それだけの期待を集めているだけでも、幸せな人だと思う。

「ここでメダルを取れたら、やめたかもしれない。これから先はゆっくり考えようと思う」と語ったらしい。

ということは、「夢の続き」があるかもしれない。

人間は自分の夢だけでなく、「他人の夢」にも期待するんだね。

自分の想いを誰かに託すということなんだろうけど、「頑張っている人」を応援する気持ちが人間にはあるんだと思う。

そう考えると、人類の未来は暗くないよね。

と思うと尚のこと、お互いの「揚げ足取り」でしか「国会=税金」を使えない政治家は、全員、辞めてもらってもいい。

僕にとっては、新しい「文化圏」のようなもの。

昼過ぎまでは暖かな日差しが届いていた日曜日だったが、昼寝から起きたら、曇り空となっていた。

数週間前から気管支炎を煩っており、年齢のせいか?なかなか治らない。

ところで、今日は妻方の伯父の3回忌の法要があった。

20人ぐらいが集まっただろうか?六本木のお寺(都会のど真ん中にもお寺もお墓もある)に集まり、住職のお経を聞いた後、近くのお墓に行き、またお寺に帰り、みんなで会食をした。

僕の前に座ってお利口にお経を聞いていた我が子と、彼の隣りに座っていた妻の従姉妹と彼女の子供を見て、血の繋がりの不思議さを思った。

僕たちの子供と妻の従姉妹や彼女の子供は血が繋がっているわけだが、僕と彼女達は親族ではあっても、血の繋がりはない。

子供は親とは関係のないコミュニティ(友人関係)を形成し、いずれ、親元を離れていくわけだが、考えてみると、子供は生まれた瞬間に、両親とは異なるコミュニティを持っていることになる。

でも、僕たちは、血の繋がりを超えて、こうして「親族」という絆で繋がっており、お互いの人生に関わっている。

特に、妻方の親族は、僕の方の親族とは価値観や生き方が大きく異なる人達が多く、僕にとっては、新しい「文化圏」のようなものだ。

イノベーション(新しいこと)は、どのような領域であれ、異なるものの組み合わせによってしか生まれない。

生まれた時はお互いにその存在さえも知らなかった男女が結婚し子供をもうけるということの深遠さを、改めて感じた義理の伯父の法要だった。