「凋落日本」と若手起業家の「成長戦略」。

今日の午後、とある用事で麻布十番に行った帰り、ぽかぽか陽気を楽しみながら、広尾まで約15分の道を歩いた。

麻布十番の商店街は「石畳」的な路面然り、昔ながらの面影が残っており(義理の母は子供の頃、麻布十番に住んでいたらしい)、東京にあって「人の温もり」が感じられ、僕の好きな街のひとつだ。

その麻布十番から麻布台に続く坂道を行くと「西町インターナショナルスクール」があり、その周辺は、外国人の姿がとても多い。

因みに、今はフランスと日本の往復なので住んでいないと思うが、カルロスゴーン日産CEOが住んでいた高級マンションも、そのあたりにある。

麻布台を抜けると「有栖川公園」。その横の坂道を下ると「麻布ナショナルスーパーマーケット」があり、広尾の商店街へと続く。

僕はその道のりを歩きながら「格差社会」という「言葉」の「本質」を考えた。

すれ違う人達の多くは「西洋人(白人という意味)」か「彼らと日本人のハーフの子供たち」で、また、その子たちを学校に迎えに行った帰りの「東洋人のナニー(本来の意味は異なるらしいが)」といった感じだ。

東京でも異様な光景である。そういう地域は他にはないだろう。

一方、固有名詞は挙げないが、「学校崩壊」しているような地域もあり、同じ東京と言っても、地域によって「デモグラフィクス(住民の属性)」が大きく異なる。

話は変わるが、仕事上で知り合い、今となっては掛け替えのない友人となったある人が、今週金曜日(日付的には土曜日)の「朝まで生テレビ」に出演することになった。

「議論」のテーマは「凋落日本と若手起業家の『成長戦略』」で、どんな議論をし、どんな提言をするべきか?について「プレ議論」をしたいということで、青山の某所で「計6時間」にも渡り、熱い議論をした。

それこそ様々なテーマについて議論をしたが、日本社会において「格差が固定」されてしまうこと、つまり、日本が「固定された格差社会」になってしまうことが大きな問題である、という話をした。

幸運にも事業で成功した親元に生まれたり、実力のある政治家の子供として生まれたり、「本人の努力ではない幸運(偶然)」により手にした「既得権益(シード権)」を持っている人達だけでなく、「予選ラウンド」を戦って勝ち上がっていくという「選択肢」が用意されている社会でなければ、若者が「未来に希望を持てなく」なり、社会は「衰退」するのは当然である。

一方、ビジネスに限らず、スポーツでも音楽でも、本人が頑張ってつかんだ「果実」により、そうでない人との間に生じる「プラスの格差」は正当化されるべきであり、この国の未来のためには、本人の努力で「ハンディ」を克服すべく「努力」をしようと思える社会を創る必要がある。

特に、GDPの「約2倍」にも上る「政府債務」に対して「何の責任もない」子供たちのために。

それが僕たち大人の責任である。

「希望」がなく、「重税」だけがあったとしたら・・・。

「最悪である」。

「この国には何でもある。無いのは『希望』だけである」。by 村上龍