「新しいコミュニティ」の形。

今日は、昨年まで通っていた保育園で一緒だった友達親子と僕たち家族で、神宮外苑にある公園に出掛けた。

その公園は「有料」で大人300円、子供100円だが、平坦な場所には人工芝が敷き詰められ様々な遊具が設置されており、はたまた大きな樹木とアスレチック施設がある小高い丘まであり、とても「Value for money」な場所で、いつも大勢の親子で賑わっている。

12時過ぎに到着し、14時を過ぎた頃だろうか。我が子が「次はどうする?」と何度も訊いてくるようになった。

彼は、そのまま帰るのが嫌で、友達に自分の家に遊びに来てもらうか?自分が友達の家に遊びに行きたいのである。

でも、子供ながらに自分からそう言い出すのは気が引けていたようで、僕が「どうしたい?」と訊くと、「お父さんはどうするのがいいと思う?」と聞き返してくる。

16時を過ぎ、日も陰って肌寒くなり、そろそろ公園を後にする時刻になると、さすがに自分から、どちらかの家に行き遊びたい、と言ってきた。

ということで、友達の家に行き、夕食をご馳走になり、そうこうしているうちに、彼はソファーで眠ってしまった。

ところで、とても幸せなことだと思っているが、以前の保育園で知り合った友達家族とは今も関係が続いており、毎週というと大袈裟だが、月に2~3回ぐらいは、みんなでどこかに集まって親子共々一緒に遊んでいる。

職場の縁でもなく、単純な地域の縁でもなく、ただ単に保育園が同じだったからというだけでもなく、そこには「共通の価値観」で繋がっている「緩い絆」が存在している。

まさしく、ドラッガーのいう「新しいコミュニティ」の形であり、マズローの「6段階目の欲求(コミュニケーション欲求)」である。