夢の続き。

今週は「旧交」を温める一週間となった。

水曜日は、元H2Oの赤塩氏と、僕らが25年前に出会った下北沢で食事をし、その後、インタースコープ時代、インフォプラント創業者の大谷さんとふたりで立ち上げたインターネットリサーチ研究会(IRJ)なる業界横断的組織を運営していた「同士(仲間)」と合流した。

メンバーは、ビートレンド社長の井上さん、CAモバイルから内閣官房内閣広報室に出向中の向井さん、そして、IRJ時代は楽天リサーチにいた櫻井さんの3人。

井上さん御用達の恵比寿にあるナイスなワインバーで杯を空け、その後は、これまた井上さん御用達の広尾にある見事に昭和なカラオケスナックで、午前2時まで熱唱した。僕は、かれこれ、2年ぶりのカラオケだった。

赤塩氏とは夏に会って以来、井上さんと向井さんとも、やはり、4~5ヶ月ぶりだった。櫻井さんとは、かれこれ2年ぶりぐらいだろうか?

元IRJメンバーと会っていて感じたことは、それぞれ会社は違っても、インターネットリサーチ業界の黎明期に、統計数理研究所の大隅教授(現在は名誉教授)達にこっぴどく叩かれながらも、それにめげることなく、業界を育てていこうという「理念と志」を共有し共に闘った仲間とは、数ヶ月ぶりだろうが、2年ぶりだろうが時間の空白に関係なく、「気持ちが通い合う」ということだった。

また、この数年の間に、気がつけば、僕(ドリームビジョンとして)は、ビートレンドの株主となり、井上さんのチャレンジと夢を共有する立場にもなった。

そのビートレンド、この強烈な逆風下にも関わらず、増収増益(過去最高益?)を達成しているとのこと。

お互いの立場と取り組んでいるビジネスは変わっても、「夢の続き」がありそうな予感がした。

来年はきっと、良いことがある!!

たまには「道草」。

僕自身もそうだが、僕のブログを読んでくれている方々も、いい加減、政治ネタには飽き飽きしていると思うので、今日は息抜きに軽めの話。

今年8月にちょっとしたことで腰を痛めてから、年齢のせいもあり、なかなかよくならず、週に1~2度、中目黒の整形外科にリハビリに通っている。

自宅からその整形外科までは徒歩20分の距離。2~3週間前から運動を兼ねて歩いている。

下の写真は、リハビリからの帰り道の途中、道草をして立ち寄った公園からの眺め。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」

中目黒界隈にかれこれ10年も住んでいながら、初めて立ち寄った公園であり、初めて見た景色。

こんなふうに中目黒を一望できる場所はあるとは知らなかった。

クルマで通り過ぎていては気づかない景色がある。

人生もたまには道草が必要・・・かも。

「平和の値段」。

昨日のエントリーでは、「我が国」政府の「普天間」問題に関することを書いたが、今朝の日経新聞では、引き続き、「普天間」問題に関する記事を大きく掲載していた。

米国の他の同盟国がGDPの「3%」近い防衛予算を割いて「平和」を維持してきた中、日本は「0.9%(4兆7,000億円)」に留め、その余力で経済発展を実現してきたわけだが、いつまでも、そのような恩恵には被れないのかもしれない。

僕がこんなことをブログに書いても何の足しにもならないのは百も承知だが、子供(男の子)を持つ親として、もし、本当に有事になったら?と考えると、言葉にできないものを感じる。

小学館のSAPIOという雑誌が、中国が日本を分割当時して西日本を植民地化するという過激な記事を書いているらしいが、そんな悪夢はまっぴらご免である。

しかし、ひとつだけ言えるのは「平和の値段」は無料ではない、ということだろう。

誰かに守ってもらうのか?それとも、自分で守るのか?

瞑想する鳩山政権は、皮肉にも、結果的に、そのことを国民に喚起させているのかもしれない。

日本「政治」新聞。

最近の日本経済新聞は、さながら、日本「政治」新聞のような印象を受ける。

現在の日本は、少子高齢化、人口減少、GDPの2倍近い財政赤字(企業で言えば、売上の2倍近い赤字であり、とうの昔に倒産している)、新興国の勃興と米国市場の停滞等、明治維新や第二次大戦の開戦と敗戦に次ぐと言ってもいいような、政治および経済的に大きな転換期にあるのだろう。

素人発言で申し訳ないが、鳩山首相の「友愛」路線による「米軍の駐留無き」安保は、僕にはリアリティを感じられないし、米国との関係が軋むことで密かにほくそ笑むのは、他でもない中国と北朝鮮だろう。

以前のエントリーでも書いたが、そもそも政策的に全く異なる(普天間基地の沖縄県外 or 海外移転を主張)「社民党」を何故、連立政権に入れたのか?まったくもって理解できない。

日米安保50周年にあたり、今回のような問題が出ることを想定出来なかったとは言えないだろう。

話は変わるが、ヨーロッパ最高の知性と言われるジャック・アタリ氏は、自身の著書「21世紀の歴史」で、「合理的な博愛が人類を救う」と主張しているが、今の日本において「合理」とは何だろう?

国内は言うに及ばず国際世論の大反対を押し切って、日本が今から「核開発」でもしようというなら話は別だが、そのような「軍拡」無しに、米軍から独り立ちして、この「キナ臭い」極東における安全を保持することは非現実的だろう。

さて、日本「経済」新聞が、数日前の朝刊一面で「首脳が会えない日米関係(政治部長 宮本明彦)」と題する論説を掲載し、その最後をこう締めくくっている。

「生き馬の目を抜く外交の世界でも『友愛』を語る首相は、ある種の理想主義者なのかもしれない。確かに理想のない政治はご免だが、現実を見失った政治も空虚である」。

幼少期に苦労をした「小沢一郎氏」が「現実派」だとすれば、日本を代表する企業のひとつである「ブリヂストン」創業者のご令嬢を母に持つ「鳩山兄弟」に、いわゆる「現実」は必要ない?のかもしれない。

では、首相と幹事長の「共通言語(理念)」は何か?

しばらくは、日本「政治」新聞から目が離せそうにない。

ところで、株の世界では「すべてに陽が当ると暗闇が来る」と言うと聞く。

「友愛」は、誰に陽を当てるのか?

「合理なき博愛」は、空虚である。

追伸:昨夜の報道ステーションで鳩山首相のお母様の映像を拝見したが、とても素晴らしい方のようにお見受けした。「政治家は国民の税金で食べさせてもらっている職業」だと仰っていたらしい。

21世紀の歴史――未来の人類から見た世界/ジャック・アタリ

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「ユニクロ」の成長から学ぶこと。

11月初旬に、今年中に「8冊(月4冊)」の本を読むことを目標にしてから5冊の本を読んだ。

今読んでいる6冊目の本は、ユニクロ(FR)創業者の柳井さんの著書「成功は一日で捨て去れ」である。

あと3週間で「2冊半」。さて、読めるかどうか?

ところで、その柳井さんの本を読みながら、学んだことがある。立地による「出店戦略と運営」の違いだ。

当たり前のことかもしれないが、郊外のロードサイド型の店舗と都心の繁華街の店舗では、同じ「ユニクロ」であっても、店舗運営に求められることが全然違う。

郊外型のロードサイドの店舗は「目的買い」のお客さんが多く、買い上げ率は「60~70%」にも上るらしいが、繁華街、例えば、原宿店では「20%」のお客さんしか実際に買ってくれないという。

つまり、郊外の場合は、チラシを見て、この商品を買おうと思ってやってくるお客さんが多いのに対して、繁華街のお店は、目的を持って来店するお客さんは少数で、街に遊びにきた次いでにぶらっと立ち寄る人が大半であり、殆どの場合、商品を「手に取って広げる」ことはしても、買ってくれる率は低い、ということである。

つまり、「手に取って広げられた商品」をたたみ直す(整頓する)ためのコストがかかり、運営効率は悪くなるという。

これは、他の業態にも当てはまるのではないだろうか?

例えば、僕がやってきたインターネットリサーチに関して当てはめると、マクロミル(ボリュームゾーンを強みとしている)とインタースコープ(現ヤフーバリューインサイト:当時はミドルからハイエンドを強みとしていた)では、そういう数値は計測していなかったが、問い合わせをしてくる新規顧客(見込み顧客)の「購入率(発注率)」が、ユニクロの「郊外型」と「都心型」と同様、差があったのではないかと思う。

当時からそのことを考えて経営していれば、まったく違った経営戦略を採っただろうし、マーケティング戦略も組織の在り方も変えていたように思う。

ビジネスの正否は、当たり前と思われるちょっとしたことに気づくか否かにかかっているということだ。

それは、人生でも同じ。

「後悔、先に立たず」「覆水、盆に帰らず」だが、今の知識と精神だったら、あんなことはしなかったのに・・・と思うことが多々ある。

授業料としては少々高くついたが、そこで学んだ教訓を、これからの人生に活かしていこうと思う。

成功は一日で捨て去れ/柳井 正

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凋落の「世界第2位の経済大国」。

先々週は「5連ちゃん」、先週も「3度」ほど会食があった。

そもそもお酒が強くない僕は意識して酒量をコントロールしているので肝臓の負担はともかく、「胃」には相当な負担をかけていたようで、今日の昼頃から、今までに経験したことのない「胃痛」を感じた。

今日は午前中に義父母の墓参りに行った後、神宮外苑の銀杏並木沿い���レストランで昼食を食べた(僕はあまり食が進まなかったが・・・)。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★今日の午後。紅葉した葉は、殆ど散っている。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★こちらは、12/1(火)の午前中。まさに、紅葉の見頃で、黄色く色づいた葉がきれいだった。

不景気と言われつつも、銀杏並木沿いのレストランはどこも賑わっていた。

若いカップルもいれば、僕たちのような家族連れもいる。でも、目に付いたのは、60代と思しき、オバサマ達だった。

旦那さんがどんな仕事をしているのかは分からないが、彼女達の着飾った様子から、経済的に裕福なのは間違いない。

ところで、ソフトブレーン創業者の宋文洲さんのメルマガに、日本人として考えさせられることが書いてあった。

「副社長」と「第二位経済大国」と題された最新号のメルマガには、彼の友人の「日本人は第二位経済大国をアイデンティティにしてきただけにそれが無くなりそうな現在では方向感がない・・・」という発言が紹介されていた。

「GDPの規模をアイデンティティにするのか?」という宋さんの疑問に対してその友人は、「教科書も総理大臣の施政演説も日米首脳会談もよく使う言葉だよ。全員とはいわないが、かなりの人がそう思っている」と言い、主張を堅持したそうだ。

<以下は、宋さんのメルマガからの抜粋>

「第二位経済大国」にこだわることは「副社長」、「業界No.2」にこだわることと殆ど変わらないことです。個々の社員(国民)の幸せと何の関係もないことです。もし、「第二位経済大国」にアイデンティティを求めてきた人がいるならば、彼らはたぶん個性と自立心のない人々です。

個性のない人々は「ボリューム」や「大きさ」にこだわるのです。独裁者でもないのに国家の大きさにこだわり、それを誇りやアイデンティティにするなんて市民としてはかなり幼稚ではないかと、宋は思うのです。

これは日本人に限った話ではありません。中国人にもそのような人がいます。社会から脱落し個人のポジションを見付けられない人々に限って天安門広場のパレートに感動を覚えるのです。

しかし、中国が成長してきたのは間違いなく多くの個人が豊かさに憧れ、政治や国家と関係なく直向きに個人の努力を重ねてきたからだと思います。国家は個人の向上心を邪魔しないように、あるいは奨励するような政策さえ取ればそれでよいのです。

日本においても、もともと「GDP第2位」が日本国民の目的ではないはずです。戦争と貧乏を嫌う先人達が無我夢中で自分の豊かさを求めた結果として日本のGDPが2位になったのです。本来、関係のないその後の人達がこのGDP第2位を自慢する資格もなければ必要もないのです。まさにこれをアイデンティティにすること自体が先人達にとって迷惑千万の話です。

<ここまで>

僕を含めて、この話を鼻で笑える日本人がどれだけいるだろうか?

たしかに、国土の狭い島国で天然資源はなく、第二次世界大戦では見事に敗北し、おまけに最初で最後の原爆を落とされ、その宿敵のアメリカの核の傘下で守られておりと、それらの材料にもめげずに頑張ってきたお陰でG7唯一の東洋の国(マイノリティ)となった日本だが、「定量的尺度」以外に自らを定義する概念がないのだとすれば、それは哀しい事実だが、その「哀しい事実」が日本人である「誇り」を構成する大きな要素であるのは否定できない。

しかし、GDPの規模では、時間の問題で、中国やインドやブラジル等に抜き去られるのは間違いなく、また、一人当たりのGDPでは、既に、シンガポールや北欧の国々に遠く及ばず、なんと「24位」に甘んじている。

その現実を考えた時、これからの日本は、何をアイデンティティとして生きていくべきか?を考えざるを得ない。

さて、話を「銀杏並木のレストラン」に戻すと、この経済情勢下でも、一人当たりGDPが24位でも、僕たち家族も若いカップルも子育て中の家族も、そして裕福なオバサマ達も、それなりの生活レベルを享受していられるのは、僕たちの親の世代が頑張ってきたお陰であり、オバサマ達の旦那さん達が頑張ってきたからに他ならない。

そして、その過程で、道路・鉄道・空港・水道・ガス・電気・健康保険・年金等の社会インフラを整備してきており、その「維持費」に苦しみながらも、今のところは、過去の遺産の上で生活できているからである。

歴史と伝統のあるヨーロッパの国々に目を向ければ、フランスは「料理とワイン、絵画、プロヴァンスの農業」、イタリアなら「ファッションや高品質な繊維」、スペインなら「フラメンコや闘牛やシエスタ」、北欧の国々は「デザインや高福祉な社会制度」等、独自の「文化と歴史」に自国のアイデンティティがあるはずである。

同様に、これからの日本を考える時、「定量的尺度」ではなく、文化や歴史や精神性など「定性的」なものに「日本人のアイデンティティ」の源泉を求める必要があるだろう。

それが「科学技術」なのか?それとも「侘び寂び」の文化なのか?

いずれにしても、何もないところにアイデンティティを求められるわけはなく、その材料は2,000年の歴史のなかにあるはずである。

それなしには、将来展望は描けないだろう。

そして、それは、個人も同じ。

「人間関係」構築力。

「官製不況」なる言葉があるが、「普天間基地」問題に対する鳩山首相のはっきりしない対応により、米国(オバマ大統領)との間に生じた不協和音は、はたしてどのような結末を迎えるのか?

ところで、「落ちこぼれ」シリーズの続きとして「学生時代」のことを書こうと思いつつ、師走の慌ただしさで時間が取れずにいたが、僕にとっての大学生活は、ある意味で「失われた4年間(高校時代も入れれば7年間)」だったこともあり、何を書こうか?書くことで何を消化しようか?(そもそも消化することがあるのか?)をはっきりさせることができなかったことも、書けなかった理由である。

大学生活が僕にとって「失われた4年間」だった理由は、「目的意識の欠如」と「将来展望」を描けなかったことにあったと思う。

高校生活では、「追試の連続」で学業が嫌になった話や「中学浪人」をしたことによる「年齢差」がクラスメートとの距離を作っていたことは以前のエントリーで書いたとおりだが、大学生活では、不本意な大学に行ったということと、周囲の学生と話が合わなかったことにより、またしても「自分の居場所」がなかった。

しかし、どんな環境にあっても、自分のアイデンティティをしっかりと持ってさえすれば、明確な目的意識と将来展望を持てるはずであり、現実から逃げていたのだと思う。

ただ、別の視点で大学生活を振り返ると、バイト先で知り合った仲間や、以前のエントリーで書いたH2Oの赤塩正樹氏との交流、そして、独学での英語の勉強とカナダ人が経営していた六本木の「不良外人バー」で知り合った外国人の友人達との付き合いは、今の僕の構成要素となっており、充実した時間でもあった。

また、当時付き合っていた彼女は、僕の大学生活の大きなウエイトを占めていた。

話は変わるが、数週間ほど前、インタースコープ共同創業者の山川さんとメールのやり取りをした時に、彼から見た僕の「強み」と「弱み」を、忌憚なく3つずつ挙げてくれとリクエストしたところ、以下のような返事がきた。

★強み:
1. コミュニケーション能力。人の話を聞く力、概念を捉え整理する力、人に伝える力。
2. プレゼン能力。特に英語のほうがよりその能力が発揮される。
3. 人間関係構築力←人間的温かさ、誠実さによるものが多い。ただし継続するかはまた別。

★弱み:
1. 実現力、実行力、具体的な落とし込み力。
2. 継続力、一貫力、
3. 情緒的、精神力。

山川さんは、「『ドラッカーの7つの窓』ではありませんが、一人の人をいくつかの窓から見ているに過ぎないので、あまり納得性はないかもしれません」とコメントをつけていたが、上記はいずれも「ピンそば30センチ」という内容である。

また、「僕にないところが強みと僕が思うところの様な気がしますし、強みは弱みの裏腹だったりしますしね」ともあり、一時期は「最悪の関係」だったこともあったが、改めて考えると、ドラッガーの言う「弱みを無意味なものにする」関係であり、インタースコープの成功は、間違いなく、そのような組み合わせがあったからこそだったと言える。

さて、話を僕の学生生活に戻すと、あの「失われた4年間」で僕が得たものは、大学でのそれは別として、「人間関係」構築力だったのかもしれない。

因みに、あの頃に築いた「人間関係」は、今も続いている。

大切なことは、自分の「居場所」と思える「コミュニティ」を築けるかどうか?なのだろう。