高層マンションは不要?

今日の日経新聞に、ワタベウェディング渡部会長のインタビュー記事が載っていた。

東京、大阪、名古屋等の大都市は別として、それ以外の都市では、高層マンションを禁止し、一戸建てを普及させる政策を導入し、日本ならではの街並みをつくるべきとの主張をされていた。

日本の人口は、1940年に「7,200万人」だったが、その後、60年かかって2倍近くに増えたが、今後60年かかって再び「7,000万人」程度に減る見通しであり、それなら、3大都市を除き、高層マンションは不要だろうということらしい。

むしろ、京都のような日本情緒漂う街並みがあった方が、観光客の誘致に役立ち、資源のない日本にとって貴重な収入源になるという主張である(観光客の誘致という主張は、僕も大賛成である)。

しかし、解説にもあったが、すでに野放図な都市開発が進んでしまった日本で、ヨーロッパのような伝統的な街並みを復活させるのは、リアリティに欠けるだろう。

ところで、「街並み」という点では、僕も諸外国を訪れるたび、日本(特に東京)は近代的なビルが立ち並ぶのはよいけれど、どうして、歴史的建造物が無いのだろう?と思っていた。

ここ最近、訪れるようになったロシアのモスクワやサンクトペテルブルクでさえと言ったら失礼だと思うが、高層の歴史的建造物が今も現役である。

要するに、敗戦国の哀しさ(空襲で焼けてしまった)なのだろうが、そういう意味では、ドイツの街並みはどうなんだろう?

焼け落ちてしまったビルもたくさんあるのだろうが、東京とは異なる景色のはずである。

日本は、政治や行政の仕組みと同様、都市計画を間違えたのだろう。

諦めずに、解決策を探りたい。

久しぶりの「六本木ヒルズ」。

晴天に恵まれた日曜日の東京。久しぶりに「六本木ヒルズ」に出掛けた。

我が子は最近、「数字」に凝っており、特に「ビルの高さ(高いビル)」に関心がある。

「東京タワー」と「六本木ヒルズ」のどちらがいいか?と尋ねると、登ったことのない「六本木ヒルズ」を希望。

「六本木ヒルズ」の展望台(52階)に登ってみると、快晴で空気が澄んでおり、遠くまで見晴らすことができ、素晴らしい景色だった。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
屋上から新宿方面を望む。左側の緑が「代々木公園」。右側は「新宿御苑」。正面に見える緑は「青山墓地」。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
52階の展望台から見た「東京タワー」。写真では確認できないが、右手奥に「レインボーブリッジ」が見える。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
53階の美術館から見た「東京ミッドタウン」。

展望台と屋上で景色を楽しんだ後は、路面のフロアに降りてランチを食べる。

六本木ヒルズというと都会的でオシャレなカップルやビジネスマンというイメージかもしれないが、実は、乳幼児を連れたお父さん、お母さんが多い。

授乳室や子供専用トイレなど、小さな子供を連れて行くのに必要な施設が充実しており、また、子供連れで入るのを前提としている飲食店もある。

さて、ランチを食べた後は「有栖川公園」に移動。こんもりとした森や池があり、都会の喧騒を忘れさせてくれる公園である。

滑り台やジャングルジムがある場所では、保育園で一緒の女の子とお母さんに遭遇。場所柄、外国人の親子が多い。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
写真は、有栖川公園内の池で見つけた亀。池の中にある石の上で「日向ぼっこ?」をしていた。

ここのところ、硬いテーマのエントリーが続いていたので、今日は休日の一こまにかこつけて、東京の景色をご紹介。

皆さんは、どんな日曜日を過ごされたでしょうか?

創り出したい未来。

今までにも何度か僕のブログで紹介してい影山さんが何故、「クルミドコーヒー」を開業したのか?

その理由について書いているエントリーがある。

昨日の深夜(テクニカルには今日の午前)、久しぶりにそのエントリーを読んで、影山さんの「人となり」に対する理解が、少し深まった気がした。

昨日のエントリーにも書いたドラッガーの著作と同様、ここ一年の影山さんとの交流を通じ、彼の言動を見てきた今だからこそ、その当時の影山さんの想いを理解できるのだと思う。

ところで、クルミドコーヒーがあるのは「西国分寺」。ひと言で言えば、住宅街である。

影山さん曰く、西国分寺という街は、可処分所得が高い人が多い地域ではなく、飲食店を営むのであれば、客単価の低い「居酒屋」が安全牌だという。

事実として、かつてのうなぎ屋は「庄屋」に変わり、イタめし屋は「白木屋」に変わったらしい。

そのようなコンテクスト(文脈)で考えると、じゃあ、自分も居酒屋をやろうか?となるかもしれないが、彼にとって、その選択は、自分が「望まない未来」を創ることに加担することになるという。

「その選択は、飲み屋街という未来に向かって、西国分寺のまちを強化、固定化することになる。酒を飲みながら、身近な人のゴシップを話すライフスタイルを、強化、固定化することになる。そういう未来をつくり出したいのか?」と自問した結果、「こういうの、やめた」そうだ。

そして、時間はかかるだろうし、持ち出しも覚悟しなければいけないだろうが、「未来は創りだせる」とし、「やってみることにする」となった。

2008年5月30日のエントリーに、そう書いてある。

それから、1年と3ヶ月。

影山さんが描いた未来は、少しずつではあるが、着実に、その輪郭を形づくりつつある。

経済的インパクトは小さいかもしれないが、その「思想的インパクト」は、決して小さくはないと思う。

さて、僕は、どういう未来を創り出したいのか?

「劣後」順位。

インタースコープ時代に大変お世話になったある方へ、あることで手紙を書いたところ、その数日後、とてもご丁寧且つ温かいメールを頂戴した。

そのメールには、ドラッガーの言葉を引用し、「誰にとっても優先順位の決定は難しくない。難しいのは『劣後順位』の決定。つまり、なすべきでないことの決定である」と書いてあった。

最近読んだスマイルズの「自助論」には、「我々は、成功からではなく、失敗からむしろ多くの知恵を学ぶ。『何を行うべきか』に気づくのは、『何を行ってはいけないか』を悟る時だ。過ちを犯さなければ、いつまでたってもそこに気づくことはない」とある。

しかし、そのことを、もう一歩読み進めるならば、「過ちを犯しても、そこから学ぶ者と、学ばない(学べない?)者がいる」ということでもある。

自分は「前者」だと思いたい。

こういうとインタースコープ時代の僕を知る人たちには驚かれるかもしれないが、お恥ずかしい話しながら、46才になって、ドラッガーやスマイルズを読み始めた。

正確に言うと、当時も読みかじってはいた(マーカーが引いてある)が、その「効能」には気づかなかった。

もっと早くに読んでいればと思う反面、今の僕だから、それらの偉人から学べるのであって、あの頃の僕には、それらの「薬」の効能を、今ほどには理解できなかったということである。

「人生はすべて必然」であり、遅いも早いもなく、気づいた時からしか学べない。

「気づく」かどうかが問題であり、賢者は小さな失敗で多くを気づき、愚者は大きな失敗をしないと多くを気づけない。

この点においては、残念ながら、僕は「後者」だった。

しかし、自分の意志で、それを「過去形」にするべく努力しようと思う。

今日のエントリーを書きながら、僕が高校生か大学生の頃、父に言われた言葉を思い出した。

「世の中には、2種類の人間がいる。ひとりは、経験からしか学べない人間。もうひとりは、他人の人生(書籍)から学べる人間。お前は、どちらの人間だ?」。

冷酒と「親の言葉」は後で効く。

「事業の定義」は、「目標を達成」した時に「陳腐化」する。

「政権交代」という「目標」を事実上、達成した「民主党」。

つまり、「自分達の存在意義」=「定義」を書き換える必要があり、「政権党」としての新たな「目標」が必要になったということである。

ここでいう「目標」は、「どういう日本を創っていくか?」ということだろう。

高速道路の無料化や育児手当といった各論のみならず、それらの政策を実現することによって、どういう「国」を目指すのか?「マクロの視点」が必要である。

僕自身も考えていこうと思っている。