創り出したい未来。

今までにも何度か僕のブログで紹介してい影山さんが何故、「クルミドコーヒー」を開業したのか?

その理由について書いているエントリーがある。

昨日の深夜(テクニカルには今日の午前)、久しぶりにそのエントリーを読んで、影山さんの「人となり」に対する理解が、少し深まった気がした。

昨日のエントリーにも書いたドラッガーの著作と同様、ここ一年の影山さんとの交流を通じ、彼の言動を見てきた今だからこそ、その当時の影山さんの想いを理解できるのだと思う。

ところで、クルミドコーヒーがあるのは「西国分寺」。ひと言で言えば、住宅街である。

影山さん曰く、西国分寺という街は、可処分所得が高い人が多い地域ではなく、飲食店を営むのであれば、客単価の低い「居酒屋」が安全牌だという。

事実として、かつてのうなぎ屋は「庄屋」に変わり、イタめし屋は「白木屋」に変わったらしい。

そのようなコンテクスト(文脈)で考えると、じゃあ、自分も居酒屋をやろうか?となるかもしれないが、彼にとって、その選択は、自分が「望まない未来」を創ることに加担することになるという。

「その選択は、飲み屋街という未来に向かって、西国分寺のまちを強化、固定化することになる。酒を飲みながら、身近な人のゴシップを話すライフスタイルを、強化、固定化することになる。そういう未来をつくり出したいのか?」と自問した結果、「こういうの、やめた」そうだ。

そして、時間はかかるだろうし、持ち出しも覚悟しなければいけないだろうが、「未来は創りだせる」とし、「やってみることにする」となった。

2008年5月30日のエントリーに、そう書いてある。

それから、1年と3ヶ月。

影山さんが描いた未来は、少しずつではあるが、着実に、その輪郭を形づくりつつある。

経済的インパクトは小さいかもしれないが、その「思想的インパクト」は、決して小さくはないと思う。

さて、僕は、どういう未来を創り出したいのか?