「劣後」順位。

インタースコープ時代に大変お世話になったある方へ、あることで手紙を書いたところ、その数日後、とてもご丁寧且つ温かいメールを頂戴した。

そのメールには、ドラッガーの言葉を引用し、「誰にとっても優先順位の決定は難しくない。難しいのは『劣後順位』の決定。つまり、なすべきでないことの決定である」と書いてあった。

最近読んだスマイルズの「自助論」には、「我々は、成功からではなく、失敗からむしろ多くの知恵を学ぶ。『何を行うべきか』に気づくのは、『何を行ってはいけないか』を悟る時だ。過ちを犯さなければ、いつまでたってもそこに気づくことはない」とある。

しかし、そのことを、もう一歩読み進めるならば、「過ちを犯しても、そこから学ぶ者と、学ばない(学べない?)者がいる」ということでもある。

自分は「前者」だと思いたい。

こういうとインタースコープ時代の僕を知る人たちには驚かれるかもしれないが、お恥ずかしい話しながら、46才になって、ドラッガーやスマイルズを読み始めた。

正確に言うと、当時も読みかじってはいた(マーカーが引いてある)が、その「効能」には気づかなかった。

もっと早くに読んでいればと思う反面、今の僕だから、それらの偉人から学べるのであって、あの頃の僕には、それらの「薬」の効能を、今ほどには理解できなかったということである。

「人生はすべて必然」であり、遅いも早いもなく、気づいた時からしか学べない。

「気づく」かどうかが問題であり、賢者は小さな失敗で多くを気づき、愚者は大きな失敗をしないと多くを気づけない。

この点においては、残念ながら、僕は「後者」だった。

しかし、自分の意志で、それを「過去形」にするべく努力しようと思う。

今日のエントリーを書きながら、僕が高校生か大学生の頃、父に言われた言葉を思い出した。

「世の中には、2種類の人間がいる。ひとりは、経験からしか学べない人間。もうひとりは、他人の人生(書籍)から学べる人間。お前は、どちらの人間だ?」。

冷酒と「親の言葉」は後で効く。