「時代の変化」と「世代別」価値観。

キリンと経営統合を決めたサントリーに「次世代研究所」なる組織がある。

そのサイトに、興味深い研究結果が紹介されている。

人々の「価値観」、特に「消費行動」に関する価値観や行動様式は、当たり前と言えばそれまでだが、社会人として「自ら稼いだお金を消費する時期」の「世相」に影響を受ける、というものである。

因みに、僕は「昭和30年代(38年)」生まれだが、この世代は、個人差はあるものの、消費によって「ワンランク上」の生活を実現しようとする(した?)傾向が強いという。

確かに、なるほど・・・思わされるところがある。

バブル期に社会に出た僕たちは、hanako や Tokyo Walker という都市情報誌のお世話になり、DCブランドの服を買い、海外旅行に出かけるようになり、BMW等の高級ドイツ車を持つことに憧れた。

しかし、この世代は、40代になった今、仕事だけでなく、「家庭(夫婦や子供との時間)」も充実させたいと思うようになり、同研究所では、「自分らしく生きたい」と自分の気持ちや欲求を優先する我々のことを「欲張り世代」とも称している。

日本経済の高度成長期が終わり、果実が「成熟」の極みに達した頃に自分でおカネを稼ぐようになったものの、その後、「失われた10年(閉塞感)」に直面。「ネットバブル」により、ある種の「高揚感」を再度経験したと思ったら、今度は「世界的な経済危機」に直面。

ある意味、ボラティリティ(変動)の激しい人生を送っている世代であり、時代のうねりに「翻弄」されている世代とも言える。

但し、同じ世代と言っても、経営基盤の安定している大企業に勤務している人と、僕のような人生を送っている人では、実際に「体感」してきたボラティリティの大きさは、まったく異なるだろう。

ところで、個人的には、今よりもずっとお金が無かった20代の頃の方が、ブランドや高級レストランにお金を投じていたが、今は、それらには殆ど興味はない(但し、クルマは例外。そこが、今の20代の人たちとは異なるのだろう)。

Gパンはユニクロだし、シャツもGAPで問題ない。むしろ、洋服にお金をかけるのは勿体無いと思うようになった。

食事に関しても、カジュアルなイタリアンや、ちょっと上品 but リーズナブルな和食の方が気楽でいい。

さて、社会全体が「変化」を必要としている今日、僕らの世代は今後、どのような人生を歩んでいくのだろうか?

追伸:「自分らしく生きたい」という意味では、集団よりも「個」を優先する風潮が強くなってきたのは、我々の世代からかもしれない。