政治に「おカネ」が必要な理由。

先日、「政治家は、国民のレベルを代表する」というエントリーを書いた。

最近は、日本国内に限らず、国際的に政治に関するニュースを見聞きするせいか、自分で書いたエントリーが気になっていた。

そもそも、なぜ、政治、厳密に言えば「選挙」におカネが必要なのか?

そのことが気になっていたところに、日経BPオンラインで、「民主党」から出馬宣言をしている「新人」の方の活動に関する記事を見つけた。

第7話:借りた3,000万円が底を突く
第8話:老後の生活資金も息子のために
第9話:妻は一時、うつ状態にも

色々な方からコメントが寄せられていた。

ある方は、「なぜ、ネットを使っ活動をしないのか?YOU TUBEに載せればいいじゃないか?」。
また、ある方は、「素晴らしい奥さんですね」。

たしかに、インターネットをもっと有効に活用すれば、選挙(告知)に関する費用は格段に削減できると思うが、「70歳や80歳といった有権者にはリーチできない」だろうし、候補者の肉声を聴いたり、生で演説を聴いたりすることが、その候補者の人となりを理解する上で有効なのは間違いないだろう。

また、候補者としても、有権者の反応を肌で感じたいというニーズもあるように思う。

一方、このような選挙手法の問題は、時代の変化と共にある程度は変わっていく可能性があるだろうが、僕が気になったのは、むしろ、政治家を目指す人の「奥さん」のことだ。

日本社会、特に、地方都市に行けば行くほど、女性の「内助の功(=男社会)」を求める風潮が根強く、夫の選挙演説の隣りで奥さんが笑顔を振りまくという姿が「票」に結びつくという構図があるように思う。

しかし、日経BPオンラインの記事で紹介されていたような事実があるとすれば、はたして、それは「美談」なのだろうか?

かく言う僕は、28才で起業し、31才で結婚し、40才を越えて子供が出来るまでは、僕の「人生=仕事」で、自分の時間やエネルギーの90%以上を仕事に費やしてきた(その間、妻には散々苦労をかけたし、迷惑をかけてきた。今でもそうと言えばそうだが・・・)。

そんなこともあり、妻が大学に入り直し、大学院を目指したいと言ってきた時は、今度は、僕が彼女の人生を手伝えると思い、少し荷が軽くなった気がした。

また、僕が気になったことは、記事の記載が事実だとすれば、その候補者は、「父親のおカネ(支援)」を見込んで立候補したようであるという点だ。

何の基盤もない新人が、いきなり、国政を目指す?それも、自民党が圧倒的に強い選挙区でである。

何億と言うお金があるか、あるいはタレント議員のように「知名度」があれば話は別だが、まずは、市議会なり、県議会なりで実績をつけ、それから国政を目指してもいいのではないだろうか?

彼の年齢であれば、それでも充分に間に合うはずである。

ところで、米国の大統領選挙も、莫大な資金が必要である。

なにせ、投票日まで、ほぼ「2年」もあるわけで、尚且つ、国土が広いアメリカでは、演説に周るにしても、マスコミで広報活動をするにしても、とんでもないお金が必要である。

では何故、アメリカの大統領選挙は、活動開始から投票日まで、2年もの期間が必要なのか?

それは、その国土の広さゆえ、建国当時は、交通インフラもマスメディアも今ほど発達しておらず、1~2年という時間がなければ、全国を行脚できなかったし、全国民に広報でき���かったからだと聞いている。

でも、時代は大きく変わり、それこそ、マスコミやインターネットが発達した今、1~2年という選挙期間は不要だろう。

日本だけでなく、諸外国でも様々な「制度疲労」が生じてきているということである。

さて、政治の世界における「女性の内助の功(=男社会)」に話を戻すと、人間の「価値観」を変えなければ、社会も制度も変わらないということだと思う。

「価値観」を変えて行くには、「教育」の問題に立ち返らざるを得ないが、それでは、結果が出るまでに何10年という歳月が必要になる。

昨日のエントリーでも書いたが、マネックスの松本さんが提唱する「世代別選挙区」なるものは、今の政治が抱える問題に対するひとつの解決策かもしれない。

問題は、どうやって、その「世代別選挙区」なるものを実現するか?ということである。

さて、話が、振り出しに戻ってしまった・・・。