子供は誰が育てるのか?

今日は、妻の仕事の関係で、僕が子供の面倒を看る当番である。もう暫くしたら、保育園に迎えに行く。

ところで、「子供は誰が育てるのか?」という今日のエントリーだが、それは、当然ながら「親」である。

但し、経済的な面では「社会全体」が子供を育てているのも事実である。

大前研一氏が運営するAGORIAというSNS会員向けのメルマガで読んだことだが、児童ひとりにかかる「保育所」運営費つまり自治体の負担額は、月額「20~30万円」だという。

因みに、東京都の場合、土地代が高いせいだろうが、月額40万円を超えるらしい。

一方、子育て中の女性は、夫の扶養家族の枠内で働こうとする方々も多いだろうから、年間103万円以内、月額にして「約8万円」以内で働くことになり、自治体の負担額の方が多いことになる。

そのような状況を踏まえて、学習院大学・鈴木亘 教授が、「103万円を児童手当(所得制限をかける)として支給したほうが良いのでは?」という提案をされているらしい。

その方が、そのお金が消費に廻る可能性が高く、経済効果が期待でき、さらに、「育児に専念する妻」と、「高い生産性を求めて本格就業する妻」の二極化によって、保育施設を増やさない(自治体=税金の負担を増やさない)という案とのこと。

僕は、メルマガでそのことを読んだだけで、鈴木亘 教授の提案の詳細を存じ上げないので、ひょっとしたら、的外れなことを言っているのかもしれないが、このテーマは、単純に「経済合理性」だけでは語れない気がしている。

これは、ある人材派遣会社の方から伺った話だが、女性の中には、フルタイムで働く能力やスキルがあっても、必ずしも、それを望まない人がいて、むしろ、週2~3日の就労を望む人もいるという。

つまり、子育てや家事と仕事を両立させることにより、俗に言う「ワーク・ライフバランス(個人的には、単語の順番が逆だと思う)」を図りたいということだと思う。

また、子育ての観点から見れば、「核家族化」した現在の日本社会において、また、特に東京のような都会においては、安全性の問題等により、子供が自由に外で遊ぶことのリスクが大きく、一日中、母と子だけで過ごすことは、子供の「社会性」を育むという点において、問題が多いと感じている。

僕自身は、保育園に預けられた経験はなく、幼稚園に行く前は、近所の子供達と遊んでいたが、今の日本社会(特に都会)では、そういうことは現実的ではないだろう。

たしかに、月額20~40万円の自治体の負担はとても大きいし、僕も驚いたが、これは、保育園の運営費と扶養家族控除という2つの変数の問題ではなく、どのような社会システムであれば、自治体つまり税金の負担を少しでも軽くして、より多くの社会的ベネフィットを生み出せるか?という、社会全体の問題として捉える必要があるように思う。

贅沢だと言われれば、そうなのかもしれないが、仮に僕が女性だったら、専業主婦か?キャリアウーマンか?という「二者択一」ではなく、自分に合った、もっと柔軟な選択をしたい、と思うような気がする。

その一方、ドリンク剤「Regain」の「24時間、戦えますか?」というコピーが一世を風靡した1980年代にキャリアウーマンが持てはやされたのとは対照的に、最近では、スパッと仕事を辞めて、育児に専念することが「幸せ」だと思う女性も増えているようにも思える。

僕が子供を持ったことで、そのような女性が目に留まるようになったせいかもしれないが、電車の中で子供を連れて楽しそうに会話をする母親たちを見ていると、女性の「幸せ観」が多様化していると感じる。

ところで、ベンチャー仲間でもある井手さんという方がご自身のブログで、「日本社会は、高齢者に配慮する(おカネをかける)一方、将来を担う子供たちにお金をかけない傾向があるのでは?」というエントリーを書かれていたが、僕もそのような実感を持っている。

日本の個人金融資産の過半は、60歳以上の高齢者が持っているという社会構造にあって、将来を担う子供を育てることに、社会としてどのような取り組みをするべきか?もっともっと考えるべきテーマだと思う。

それにも通ずることだと思うが、マネックスの松本さんが、「世代別選挙区」なる制度を導入することにより、「世代間格差」を是正することを提案されている。なるほど・・・と思う。

本来であれば、僕自身で行政のあり方や税金の使途を調査し、それをもとにこのエントリーを書くべきだと思っているが、そこまでのキャパシティがなく、他の方の話を引き合いにして、自分の考えを書くに留まっていることをご了承いただきたい。

追伸:学習院大学・鈴木亘 教授の公式ホームページを訪問してみたが、とても興味深い研究をされている。時間を作って、氏の論文等を拝読してみようと思う。