「国をつくるという仕事」。

昨夜は、前世界銀行副総裁「西水美恵子」さんの著作「国をつくるという仕事」の発売を記念して、著者の西水美恵子さんと主催者の「社会起業家フォーラム代表」田坂広志さんとのトークセッションがあった。

コーディネーターは、田坂さんと共に社会起業家フォーラムの運営をされている藤沢久美さん。

TOKYO FMホールで開催されたそのイベントには、定員300名のところに、600名もの方の応募があったらしく、参加できた僕は幸運だった。

ところで、会場に向かう途中、表参道の駅で、お母さんに連れられた5~6才ぐらいの女の子(お姉さん)と3~4才ぐらいの女の子(妹)を見かけた。

ホームで電車を待ちながら本を読んでいた僕は、最初は何と言っているのか聞き取れなかったが、「そんなにいっぱい飲まないで!!」と言って、妹の方が「大粒の涙」を流しながら泣いていた。

カルピスウォーターのようなペットボトルをお姉さんの方が飲んでいたのだが、お姉さんに「全部飲まれてしまうんじゃないか?」と心配した妹が、必死になってお姉さんに訴えていた。

お姉さんにとっては大したことじゃないだろう(全部飲むつもりはなかっただろう)し、母親にとってもそうだろうし、傍から見れば、それこそ大した問題じゃないが、妹にとっては、人生の一大事だったのだろう。

僕らの子供も時々、そういうことがあるので、彼女の気持ちはよく分かる。

実は日曜日の昨日、こんな出来事があった。

子供を連れて「新宿御苑」に行った帰りに、新宿の新南口にある高島屋に行った。

駐車場に戻り、クルマを出そうと思ったところ、その駐車場は何やら新宿高島屋の指定駐車場らしく、土日祝日に限り、一定金額以上の買い物をすると何時間か無料になるという看板に気づき、高島屋(厳密には高島屋に隣接している紀伊国屋書店)に戻り、無料券をもらって帰ってきたところ、運転席に「葉っぱ」が一枚、置いてあった。

僕は、それを拾って外に捨てた。

クルマを走らせて暫くした頃、後部座席に座っていた我が子が「お父さん、葉っぱは?」と聞いてきた。

その瞬間、大の「葉っぱ」好きの彼が、駐車場に落ちていた「葉っぱ」の中から、自分の分だけでなく、僕ら夫婦の分も含めて、わざわざキレイな葉っぱを探して、そのうちの1枚を運転席に置いておいたのだということに気づいた。

さすがに「捨てた」とは言えず、「あれっ、どっか行っちゃった」と言うと、その瞬間、それこそ「大粒の涙」を流して泣き出してしまった。

表参道での女の子を見て、そのことを思い出した。

さて、今日のイベントに話を戻すと、西水さんが仰りたかったのは「当事者意識」を持つことの大切さ(難しさ)だと理解した。

彼女は、世界銀行での仕事に就く前、名門プリンストン大学経済学部で教鞭を取っていた。

ご本人曰く、「好きな研究を極めてノーベル賞を取ってやろう!!」という不謹慎?な考えのエコノミストだったという彼女が何故、世界から貧困を根絶することを目的に設立された「世界銀行」で働くことを決意したのか?は、彼女の著書を読んでいただければと思うが、「世界銀行」で働き始めて暫くした時、世界から貧困を無くしたいと言いつつ、実は「貧しい人々をバカにしていた」自分がいたことを知ったと仰っていた。

根源的なレベルで、「当事者意識」を持つに至っていなかったということだろう。

それこそ、話のレベルがあまりに違って、西水さんには大変申し訳ないが、今日の表参道の女の子の心境を理解するにも、昨日の我が子の心境を理解するにも、彼女・彼の立場に立ち、彼らの思考に想いを馳せなければ、それは出来ない、ということだと思う。

西水さんは、ある時から、とにかく「現場(貧困に苦し村)」に足を運び、貧村での「ホームステイ」をするようになったという。

ところで、僕はこのイベントに参加するに際して、西水さんの今回の著作の出版社である「英治出版」のウェブサイトを久しぶりに訪れた。

そして、久しぶりに英治出版の「企業理念」を拝見した。

会場では、久しぶりに、社長の原田さんにお会いした。

先日のエントリーでも同じようなことを書いたが、今日のイベントに参加して、久しく忘れていた「僕の原点」と僕に影響を与えたいくつかの「原体験」を思い出した。

インタースコープを退任してから3年間の「試行錯誤」を経て、外れかけていた自分の中での「ピント」が、少しずつ戻って来ているような気がしている。

そうあって欲しいと思う。