一般的な「ロシア人の生活実態」に迫る。Part-2

さて、暫く時間が空いてしまったが、ロシアレポートの続きを再会したい。

今回は、タイトルのとおり、前回のエントリーに続いて「一般的なロシア人の生活実態」を紹介させていただく。

その前に、ロシア社会の概要をご理解いただくために、主要な統計データを記載する。

・人口: 約1億4,000万人(モスクワ:約1,050万人、サンクトペテルブルグ:約460万人)

・全体GDP: 約9,200億ドル(2007年/様々なデータを元に推計)※日本:約4.5兆ドル

・1人当たりGDP: 9,075ドル(2007年)※モスクワ:18,154ドル/サンクトペテルブルグ:6,350ドル
(米国:約46,000ドル/日本:34,000ド���)

・平均月収: 約18,000ルーブル ※現在の為替レート(超円高)ではなく、現実感のある換算をすると約9万円。

・乗用車市場: 約280万台(2007年)(国産車:30%、輸入外国車:45%、ロシア組立外国車:15%、輸入中古車:10%)

以上のような状況である。

尚、ロシアでは、モスクワとサンクトペテルブルグの2大都市への人口集中が加速しており、両都市とそれ以外では、国が違うと思われるほどの「格差」が請じているらしい(僕は両都市以外は訪れたことがないので、実際のところは分からない)。

今のロシア、特に、モスクワとサンクトペテルブルグは、日本の「昭和40年代(高度経済成長期)」と「21世紀(現在)」が、同時に存在しているような状況と思っていただければよいと思う。

さらに言えば、一般庶民は日本の昭和40年代、新興成金とYUPPIE(知的富裕層)は「21世紀」に、享受している経済水準としては、それぞれ生きているような感じである。

さて、以下は、今のロシアの極一般的な経済水準のご家庭を訪問させていただいた際の写真。場所は、サンクトペテルブルグ。

因みに、世帯月収は、約70,000ルーブル(約35万円)。祖父母、父母、子供ひとりという家族構成。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★リビングルーム。左前方に見えるテレビは、韓国製。右側に見えるPCも韓国製。

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★リビングルームの入口付近。廊下から入ったところ。

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★サイドボードのようなもの。まさに、僕が子供(昭和40年代)のような感じである。

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★キッチンの様子。ガスとオーブンレンジは、今風。因みに、ロシアでは電気代が安く、ガスレンジではなく、電気のものも多い。

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★シンク。ちょっと小さい。

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★冷蔵庫。どこの国製かは忘れた。

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★冷蔵庫横のテーブル。モスクワで訪れたご家庭も、このサイズだった。いわゆるダイニングテーブルを持っているのは、裕福なご家庭なのだと思われる。

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★バスルーム。カメラを構えているのは、私。左側にバスタブがある。

多少でも、ロシアの生活実態についてイメージしていただけたようであれば幸いである。

次回は、ロシア社会における「世代間格差」や「職業」に関する問題等、もう少しマクロ的な観点を説明したいと思う。

高橋尚子の「涙」。

ロシアレポートの続きを書こうと思い、写真は取り込んだのだが、ブログに掲載するために容量を小さくする時間が取れておらず、今回も別のテーマで書くことにする。

少し前の話で恐縮だが、THE NIKKEI MAGAZINE 12月号で、Qちゃんこと「高橋尚子」選手の引退記者会見(2008.10.28)に関する記事を読んだ。

その記事を読んで、たしかにそうだな・・・と思ったが、高橋選手は、どんな記者会見でも「涙を見せたことがなかった」そうである。

「引退」記者会見でも、いつもの笑顔で受け答えをしていたそうだが、最後の質問も終わり、高橋選手が席を立とうとした瞬間、「ねぎらい」の拍手が沸き起こったらしい。

すると、彼女の目に「涙が光った」という。

「五輪金メダリスト」という重圧(常に、勝利を期待される)から解放されるという実感が湧いたのか?

国民の期待を一身に背負ったその重圧は、その立場に立ったことのある人でなければ分からないだろう。

その記事の記者の方は、心の中で「お疲れ様」とつぶやきながら、シャッターを切っていたらしい。

これだけ、多くの国民に期待され、愛されたアスリートは、あまりいないだろう。

人間は時に、自分では出来ない「夢」を誰かに託し、自分には到底及ばない次元で「頑張っている人」の姿を見て、自分を励まそうとする。

僕も、高橋選手を含めて、たくさんのアスリートの方々が頑張る姿をみて、今日まで頑張って来れた。

高橋選手の今までの功績に敬意を表すると同時に、遅ればせながら、心から「お疲れ様でした」と伝えたい。

天国への階段? それとも、地獄への階段?

ロシア事情の続きを書くはずだったが、写真の取り込みができておらず、今日は別のテーマでのエントリーとしたい。

今日のエントリーに付けたタイトルは、「日本社会」のこと。

日本社会は、戦後の復興期を経て、まったく「別の国」と思える程の豊かさを手に入れた。

僕は、1963年生まれ。昭和でいうと38年生まれで、社会に出た時は「新人類」と言われた世代だ。

その「新人類」も、今年で「46才」。約四半世紀が過ぎた。とても感慨深い。

さて、近年の日本は「若者が将来に希望を持てない国」と言われるが、その理由が分かるような気がする。

その理由は、日本という国は「豊かさと閉塞感」の両方が同居する社会だからだと、僕は思う。

つまり、一部の本当に不幸な方々を除けば、まだまだこの国は豊かであり、食うに困る人は極僅かであり、このままでは日本は経済的に窮する(貧しくなる)と言われても、貧しかった日本社会を知らない人達は、その危機感を理解できるはずもない。

その一方、戦後の高度経済成長期の「枠組み」で得た「既得権」を死んでも?離そうとしない人々のお陰で、自分たちには美味しい果実は分け与えられそうにないと直感的に感じている主に若い世代は、別の脈絡において無力感にかられるのも理解できる。

そういう僕も、1980年代の後半、バブル経済の絶頂期、どう頑張っても報われないだろうと思い、半ばやる気を失っていた。しかし、それが僕を「起業」に駆り立てたのも事実である。

その時点で「持てる者」は、より一層、持てる者となる、つまり、「土地」や「株式」を持っていた人は「キャピタルゲイン(資産価値)」の恩恵に与れたが、当時の僕のように、資産の欠片もなかった人間は、高騰していく「地価」を見ながら、自分は「マイホーム」さえ持つことが出来ない一生を終えるのか?と悲嘆に暮れていたのである。

もう一度、話を日本全体に戻すと、100年に一度と言われる昨今の世界的経済危機においても、日本社会は少なくともこの瞬間、まだまだ「豊か」なのである。

マスコミの「偏重報道」のせいで、「派遣労働者」の窮状ばかりが目に付くが、横断歩道をケイタイメールをしながら渡る若い女性が大勢いることも事実である(経済的に平和なのである)。

戦前および戦後間もない頃に生まれた世代と較べれば、かなり恵まれている「新人類」の僕らも、子供の頃と較べれば、今の日本社会は、かなり裕福になっている。

なにしろ、あの頃は「海外旅行」がテレビのクイズ番組の「優勝賞品」だったのである。因みに、ロシアは今、極一部の富裕層を除いては、ちょうどその頃だと思っていい。

その海外旅行、今では「日常」の消費活動である。

この3連休に久しぶりに家族で訪れた「YOKOHAMA BAY QUARTER」で入ったレストランの隣の席では、20代前半と思われる女性たちが、何やら「海外旅行」の打ち合わせで、旅行代理店のパンフレットをテーブルいっぱいに広げて、とても楽しそうに、でも、侃々諤々と意見を戦わせていた。

「円高」の今日、海外旅行は「お買い得」である。

その一方、日本の「お家芸」である「製造業」は、世界同時不況に「歴史的水準の円高」のダブルパンチで、トヨタのみならず、SONYも東芝も「赤字」転落のニュースが新聞記事を賑わせている。

GDPの「約70%」が「個人消費」で尚かつ、その個人消費は「クレジットカード(借金)」に支えられていた「米国」への輸出(特に、自動車産業)に支えられていたことを考えれば、日本を代表する製造業の赤字は、当然とも言える。

米国民の「借金」に依存していた世界経済の発展は、その「原動力(?)」を失ったのである。

バイクでの世界旅行で有名で現在はシンガポールに住むカリスマ投資家「ジム・ロジャース」が言うには、米ドルは間違いなく、更に下落し、基軸通貨の地位から陥落するだろうとのことで、更なる「円高」もあり得ることを考えると、日経平均株価「8,000円割れ」のリアリティがなくもない。

そのような時代環境において、経常赤字に転落するという「製造業」に「雇用を保障しろ」と言うのは、リアリティがあるだろうか?

日本社会が「バブル経済」に突入していった1980年代に「限りなく透明に近いブルー」で「芥川賞」を受賞した作家の「村上 龍」氏が今年1月6日の日経新聞にて、以下のようなことを言っている。

「企業業績の改善の可能性が見えない中で派遣社員の正社員化を助成金で奨励しても、根本的な解決策にはならない。(中略)契約を打ち切られる労働者の側からの報道が間違っているというわけではない。だが、急激な販売減、需要減で赤字になった輸出企業が雇用をそのまま維持すればどのようになるのかという経営側の状況はほとんど知らされない」。

マスコミの報道を見ていると、雇用は守られるもの、つまり、労働者は「守られるもの」という「依存」のロジック(思考)が前提にある。

でも、はたして、そうだろうか?

言うまでもなく、「利潤」は「労働」によってもたらされるものであり、その「利潤」は、それを生み出した貢献度合いに応じて「分配」されるものであり、経営者も同じである。

「分配」する「パイ」が縮小すれば、自ずと「所得」は減少せざるを得ない。

因みに、日本の上場企業の経営者の役員報酬は、極一部を除き、欧米企業のそれと比較して、極めて低い。リスクの割に、リターンが少ないのである。だから、新入社員へのアンケート調査で、「社長や取締役になりたいとは思わない」と回答する人が増えているのである。

「天は自ら助ける者を助ける」という言葉があるが、今こそ、日本を「誰かに依存する」のではなく、「自助努力」をする人が報われる社会にするべきだと思う。

そうでなければ「挑戦する人」は現れないし、彼らが報われなければ、それこそ、キャピタル・フライト(資本逃避)のみならず、「ブレイン・フライト(頭脳流出)」になってしまうだろう。

現に、僕の友人の何人かは、既に、海外に移住したり、ビジネスの拠点を移したりしている。

その現実に、目を向けるべきである。

僕は、日本という国を、本当の意味で「フェア」な社会にしたいと思っている。

僕に出来ることは極々限られているが、まずは、自らそのことを実践したい。

一般的な「ロシア人の生活実態」に迫る。

さて、今日のエントリーでは、「新興富裕層」や僕の定義でいう「Yuppie(知的職業従事者)」ではなく、極々一般的なロシア国民の生活実態に迫ろうと思う。

今回のロシア訪問では、モスクワ、サンクトペテルブルグ、それぞれ1軒ずつ家庭訪問をした。まず、モスクワで訪問した夫婦の生活を紹介したい。

訪問したのは、モスクワの市街地に住むご夫婦。ご主人は57才、奥さんは、34才?だったかな。因みに、ロシアでは離婚率(自ずと再婚率)が高い。たぶん、30~40%ぐらいは離婚するのでは?

次いでに、初婚の年齢は、男女とも7割ぐらいが30才までに結婚する。女性は、25~27才ぐらいまでに結婚するのが普通らしい。離婚率を除けば、高度経済成長期の日本と同じか?

さて、訪問したご夫婦に話を戻すと、ご主人は「退役軍人」で、ロシアとしては、そこそこの年金が支給される。

しかし、ご夫婦での年収は、日本円に換算して約240万円ぐらいだったと思う。この層は当然、クルマは「ロシア製」しか買えない。

しかし、冬が長いロシアでは、海外旅行には頑張って行くようである。このご夫婦も、2年に1度ぐらいは、海外旅行に出掛けている。渡航先は、エジプト、トルコ等、ロシア人への「ビザ発給」が簡単な国が多い。

因みに、僕(日本人)がロシアに行く際も「ビザ取得」が必要で、且つ、面倒な手続きが要求される。訪問先や宿泊先の「受け入れ証明」がないと、ビザが発給されない!!

しかし、ロシア人が日本に来る際は、もっと大変。日本の外務省がうるさいことを言うのである。旅程を出せとか言うらしい!!

さて、話を戻すと、伺った年収でも暮らせるのは、「住宅」は「ソビエト(社会主義)時代」に「配給」されており、ローンや家賃が不要なことが大きい。

「コミューナルフィー(管理費)」なるものを支払えば、暮らせるのである。

しかし、ソビエト時代の「基準」は、1人あたり「18㎡」が基準となっており、それを超えると、いわゆる「税金」のようなものが取られたらしい。今もその名残りで、一般家庭の住宅は大概狭い。

因みに、このご夫婦の家は、1DK+バスルームで「38㎡」。「狭い」のである。

以下、インタビュー時に撮影させてもらった自宅内の模様を紹介する。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★入口のエレベーター。30年ぐらい前のもの。

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★リフォームしたキッチン。こぎれいにまとまっている。

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★リビングルーム兼寝室。

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★ご主人の趣味のパソコン&インターネット。モスクワ大学の工学部を卒業しているご主人は、57才の年齢にも関わらず、ネットのヘビーユーザー。ECもよく利用する。

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★バスルーム。左下に見えるのは、ソファー。ご主人は、夜更かしをして「映画」を見るらしい(笑)。

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★歓迎を受けるわたくし。インタビューを終えて、コニャックで乾杯。ロシア式の洗礼を受けた感じ。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★日本文化に興味を持っている人は少なくない。彼らも例外ではない。

シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」
★ロシアでは、玄関先で「靴を脱ぐ」。降った雪が溶けて靴が汚れるので、そのまま屋内に上がると、かなり汚れるらしい。

次回は、サンクトペテルブルグでの家庭訪問の様子と、多少の統計的データも踏まえて、ロシアの実態をレポートします。

乞うご期待!!!

「1兆円」規模の「ロシア広告市場」。

今回のロシア出張では、欧米系の著名広告代理店(ロシアでいうPRエージェンシー)の方々とお会いする機会があった。

お会いしたのは、新規クライアント開拓責任者、戦略プランニング局長およびディレクター並びにそのメンバー等。

初めての訪問にも関わらず、このようなタイトルの方々と人数で出迎えてくれたのは、偏に、現地の友人のお陰である。この場を借りて、お礼を申し上げたい。

さて、タイトルにあるとおり、いよいよ大台の「1兆円」規模となったロシアの広告ビジネスであるが、お会いしたPRエージェンシーの方が言うには、ロシアの広告市場は「新聞/雑誌」「テレビ/ラジオ」「ビルボード(屋外広告→確かに、日本と較べて非常に多いし、機能している。)」が「メジャー媒体」とのこと。

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★英国高級車「ジャガー」の「屋外バナー広告」。

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★こちらは、昨年5月に訪露(モスクワ)した際に見掛けた屋外広告(SAMSUNG)。

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★こちらは、昨年5月に訪露(サンクトペテルブルグ)した際に見掛けた屋外広告(Range Rover)。

「新聞/雑誌」は7~8社の持株会社、テレビの広告枠は、ビデオインターナショナルの寡占、ラジオはハウスエージェンシーが多く、ビルボードは3大メジャープレーヤーによって経営されている。

いずれのメディアの広告スペースも「大手」が保有しており、小規模の広告関連プレーヤーは、大手と組まざるを得ない構造になっていて、この点は、日本と同じと思われる。

尚、伸張著しいインターネット広告市場は、統計データが整備されておらず、その規模は誰も分からないとのこと。

話を聞いた彼の推測では、「1~2億ドル(約100~200億円)」。つまり、広告市場のまだ「1~2%」に過ぎない。

因みに、この「1~2%」という数字は、市場調査市場に占める「インターネットリサーチのシェア」と同じ(市場調査会社とのMTGより)。

インターネットリサーチが普及していない理由は、1. 初期投資が大きい。2. 需要がまだあまりない。→ 需要があまりない理由は信頼性が低い。

では、あと何年ぐらいすれば、定量調査において「インターネットリサーチ」が主流になると思うか?という質問に対しては、複数の調査会社が「4~5年後」と回答している。

僕がインターネットリサーチを始めた頃(1990代後半)の日本の状況と酷似している。

であれば、マジメな話、ロシアで、インターネットリサーチ事業を興そうか!?

ところで、MTGの際に、自己紹介をしたところ、なんと「インタースコープを知っている」とのこと!!

僕が「えっ?」と思い、聞き返したところ、「Yes, I know, because it’s a famous company.」という返事が返ってきた。

これには、さすがに僕も驚いた。とても名誉なことである。

さて、話を広告関連に戻すと、ロシアの広告スポンサーとして出稿予算(規模)が大きい業界は、

1. 家電(ケイタイを含む)
2. 化粧品(トイレタリーを含む)
3. 食品(お菓子、エナジャイザー=ポカリスエットのような飲み物、低アルコール飲料を含む)
4. クルマ(殆どが日本車を含む外国車)
5. 子供用品
6. 金融サービス(特に、ここ最近)

とのこと。

上記の業界には、日本企業も多数含まれており、その「予算獲得」を目指して、電通、博報堂も進出している。

電通は、ビデオインターナショナルの子会社(スマート・コミュニケーションズ)を買収。
博報堂は、100%出資子会社を設立。

広告業界ではないが、野村総研も進出済み。

「100年に一度の経済危機」と言われている今日だからこそ、そこでリスクを取って果敢に攻めた者が勝機を得る。

僕も頑張る。

「Made in Japan」は「ロシア」でも人気!!

多くの方々が、それぞれに、今年の抱負を胸に秘めながら、今日から仕事始めのことと思う。

そういう僕は、昨年後半からのドタバタと年末に強行軍でのロシア出張、そして、帰省というハードスケジュールで身体を酷使したせいか、体調を崩し、極めてスローなスタートを切った。

神様が「気持ちは別として、身体はもうそんなに若くはないのだから、あまり無理をしないように!!」と警告を発してくれたのだろう。

ところで、今日から、お正月休みを頂いていた「ロシア事情」に関するエントリーを再開し、何本か書くことにする。

今日のエントリーのタイトルにも書いたとおり、Made in Japan はロシアでもかなり人気である。

家電製品であれば、SONY、Panasonic、SHARP、TOSHIBA、 HITACHI等。
クルマであれば、TOYOTA、LEXUS、HONDA、HISSAN、MAZDA、MITSUBISHI、SUZUKI等。

分かりやすくいうと、一般庶民は「ロシア製」のものを買い、そこそこ購買力がある層になると「韓国製」を買い、裕福な人々になると「日本製」を買う。そして、超裕福=いわゆる「富裕層」になると、クルマは「ドイツ製」という構造になっている。

さて、そのMade in Japan、最初から好調だったのか?というと、そうでもない。

クルマも家電製品も、ソビエト時代からロシアに輸出されているが、当時は「市場」という概念も機能もなく、当然のことながら、市場調査(Market Research)の機能はなく、いきなり「販売」したというのが実情のようだ。

因みに、ロシアでの「市場調査(Market Research)」という機能は、2,000年頃から始まっているが、今回の訪露では、日本製品の市場導入に際するケースとして、非常に興味深い話を聞くことができた。

SONYとPanasonicは、ロシアにおいても「プレミアム・ブランド」として認知されている。

また、同じプレミアム・ブランドでも、「SONY=オーディオ」「Panasonic=ビデオ、テレビ」というパーセプション(認識)の違い(現在)があるようである。

その「Panasonic」であるが、「プラズマTV」の発売当初、かなりの苦戦を強いられたと聞く。

自社のテレビが思うように売れず、Panasonic(当時の松下電器産業)は、その「理由」を判明すべく、以下の3つの調査を実施した。

1. マスメディア調査:
・すべてのマスメディアで、Panasonicに関して何が語られているか?日本でいうメディアオーディット。

2. インターネット上の「口コミ」調査:
・ロシアでは、かなり「ブログ」が盛り上がっており、ネットユーザーの半数以上が何らかの形でブログを書いているとも言われている。また、ソーシャルメディアという概念も、メディア・広告・ネット関連セクター従事者には浸透しており、日本でいうF1層へのリーチメディアとしては、ネットが重要視されている。
・この点(ロシアにおけるソーシャルメディア)については、今後のエントリーにて解説したい。

3. 流通調査:
・70店舗強の販売店を訪問調査し、薄型テレビの売れ行き、および、消費者のブランド評価、選択基準等をヒアリングしたとのこと。

上記調査の結果、当時のロシアには「プラズマ=1年後には照度が劣化してしまう」という認識(誤解)があり、「LCD(液晶)」の方が「先進的」という認識があったことが判明したという。

そして、それを解決するために、以下の4つを実施したそうだ。

1.「3万時間保証」という「ラベルを貼る」。

2.「北野武」をキャラクターに起用。彼は、ロシア国民に絶大な人気を誇る。

3.「プレミアム価格」に変更(要するに、値上げ)。ロシア人はエントリー商品から入るが、プレミアム商品に買い替える傾向が強い。例:クルマ、携帯電話

4.「流通政策」を変更。プラズマに関する商品説明を、専門知識がない人にも理解できる内容に変更。
→ 同様に、マスメディアに対する情報発信の内容も、上記同様に分かり易いものに変更。尚、ネット上のフォーラムにも積極的に情報提供を行った。

まさしく、マーケティングの4Pである。

結果として、2007年→2008年(最初の6ヶ月)の販売台数が、対前年比「14%増」!!

「なるほど・・・」と思ったと同時に、ロシアは、この10年間で急速に「欧米流マーケティング」を実践してきていることを実感。

一方、そのような「スキル」を持った人材は極めて限られており、採用には苦労をしている様子。殆どが「コネ採用」らしい。

次回は、ロシアにおける「メディア・広告」業界について解説します。

乞うご期待!!

家族の歴史。

今日で正月休みも終わり。時の経つのは本当に速い。

法政大学ビジネススクール最終日の翌日からロシア出張に行き、12/29(月)に帰国。翌30日は友人宅で「もんじゃ焼きパーティ」をして大晦日に帰省し、1/3(土)に帰京。何とも慌ただしい半月だった。

帰省中は、今の母(養母)と僕たち家族の他に弟と父方の叔母夫妻とその子どもたちが集まり、何とも賑やかだった。

その翌朝、母が珍しく起きて来ないので、心配になって寝室に行き声をかけると、背中が痛いという。

どうやら、皆で集まる正月のために、老体に鞭打ち、お節料理をつくったようだ。とにかく、人に尽くすのが生きがいのような人なのである。

僕は僕で、強行軍のロシア出張の疲れが出たせいか、微熱があり身体が辛かったが、年末に読んだ宋文洲さんのメルマガの「思いやりとは言葉ではなく、行動である」というひと言を思い出し、久しぶりに、母の首と肩を揉んであげた。

「ここまで頑張るなよ」というほど、凝っていた。

ところで、僕の実家の居間には、父方の祖父母と父母の遺影(4人)が飾ってある。

帰省中のある時、僕らの子供が、その遺影を見ながら、僕に質問をした。

「あれは誰?」。「曾お祖父さん」。「その隣は?」。「曾お祖母さん」。「その隣は?」。「お祖父さん」。「その隣は?」。「死んじゃったお祖母さん」。

「死んじゃったお祖母さん・・・・?」

3才の子供ながらに、何かあると思ったのだろう。首を傾げていた。

そりゃそうである。「お祖母ちゃんの家」に遊びに来ているのだから。

その翌日、また、同じ質問をしてきた。

今度は「死んじゃったお祖母さん」と答えた後、その意味を、3才の彼にも分かるように?説明してあげた。

家族の歴史を感じた一瞬だった。

因みに、理解したのかどうかは分からないが、それ以降は質問して来なかった。

話は変わるが、今日は、子供を連れて明治神宮に初詣に出掛け、その後、新宿御苑に行った。

雲ひとつない青空と冬枯れの芝生が何とも言えない雰囲気を醸し出しており、僕は思わず、芝生に寝転び、空を見上げた。
シリアルアントレプレナー  「3度目の起業」と「初めての子育て」

中東では、イスラエルがガザに侵攻し、罪の無い多くの命が犠牲になっている。

その根源には、ロジックでは解決出来ない「民族問題」があり、物事の複雑さを考えさせられる。

こうして、正月を迎えられることは、幸せであることに疑う余地はない。

明治神宮でひいた「おみくじ」の言葉を大切に、今年一年、一日一日を大切に過ごしたい。