「子供という存在」の大きさ。

雨の日曜日。今日は我が子の保育園友達が、彼の両親と共に遊びに来た。

友達がドアを開けて入ってきた瞬間からお互いに興奮状態。仲がいいんだか悪いんだか分からない、喧嘩したり一緒に遊んだりの数時間を過ごした。「家庭」というものを実感する時間でもある。

ところで、我が子の友達のお父さんは、僕が良く知る会社の方であることが判明。共通の知り合いも多く、不思議な縁を感じた。自分たち夫婦だけだったら間違いなく知り合うことのない関係である。

こうして、子供を起点として親同士の付き合いが増えていく。

子供たちのことを考えると、ずっとこの街に住んでいたいと思う。

こうして、自分たちが住んでいる地域に対する愛着が育まれていくのかもしれない。

「子供という存在」の大きさを感じた。