指示系統

ロシアから帰ってきて、2回目の週末。

帰国後、最初の週末は、土曜日はゴルフで、日曜日は子供を連れて駒沢公園に行ったりしたので、今週末は、久しぶりに「スローな週末」だ。

アクティブにしていないと落ち着かない性分ではあるが、やはり、たまには、ゆっくりと過ごす時間を持つことが大切である。考えることは結局、仕事のことだが、特に予定に追われているわけではないので、じっくりと、深く考えることができる。

今日は、15:30から投資先のイミオでの経営会議があるが、それまでは、身体と頭と心を休めよう。

ところで、今朝、妻を職場に送って行った帰り道、特に当てもなく、都内をドライブしながら、仕事のことを考えた。

色々なことを考えたが、その中のひとつは、組織の在り方のことだった。

組織では、しばしば、「指示系統」のことが話題に上る。

「自分を通してくれないと困ります」的なことを言う人がいるが、それは、ナンセンスだと思う。

自分の部下への仕事のリクエストが他の人から来ることを善しとしない理由は、僕は、大きく「2つ」あると思う。

1つ目は、いわゆる「自分の領域」を守ることにより、自分の「権益(権力)」を担保したいという動機である。「官僚的」と称してもいい。

2つ目は、自分の部下が、どの仕事を優先していいか判断できなくなり混乱してしまうのを防ぐ、つまり、「部下」を思ってのことである。

僕は、そもそも、組織論を語れるほど、その手のことを勉強しているわけではないし、むしろ、疎い方だが、インタースコープの頃も今も、自分を通してくれないと・・・と主張することはナンセンスだと思っている。

仕事の「指示系統」を一本化する必要性は、指示を受ける側の人間の「判断能力と業務処理能力」によると思う。

つまり、指示を受ける人間が、様々な仕事の「優先順位」を自分で判断でき、処理能力が高いのであれば、何も問題はないのである(そこまでの能力がない場合は、指示系統の一本化が必要である)。

それを、前者の理由により、自分を通してくれと主張する人間には、僕は、部下をつけようとは思わない。

組織が「膠着する」からだ。

ところで、新宿西口のある交差点で、60才前後と思われる男性が運転する「マセラッティ・クワトロポルテ」と並んだ。

「権威」を主張する「メルセデス・ベンツS550」よりも、僕は「ピニン・ファリーナ」デザインによるイタリアのセンスを感じる「マセラッティ」の方が好きだ。

生きているうちに一度は乗れるよう、頑張ろう。