45才の初日。

今日は、僕にとっては記念すべき「年齢」の初日、つまり、誕生日だった。

なぜ、記念すべきかというと、産みの母が亡くなった年齢(45才)になったからだ。改めて、母の冥福を祈りたい。

さて、45才初日の話しを書く前に、44才最後の一日の話しを書いておこう。

先日のエントリーで予告したとおり、4ヶ月ぶりのゴルフに行った。

元アップルの前刀さん、森ビルの川端さん、そして、IFTOという「パフォーマンス向上(能力を発揮する能力の向上)」のための独自理論を構築中の蛭田さんと僕、という定例メンバー。

自分のゴルフをしてベストスコア更新の筈が・・・、何と近年稀に見る「酷い二日酔い」で敢えなくダウン。

何とかゴルフは出来たものの、行きのクルマの中ではひとり黙ったままで吐き気と戦い、無事にコースに到着したと思ったら、受付をしている最中に吐き気が限界に達し、受付終了後、トイレに直行し、嘔吐してしまうという、何とも情けない一日の始まりだった。

疲れがピークに達していたところに、金曜日は数年ぶりに会った大学時代のバイト先の後輩に「注ぐな!!!」というのにビールを注ぎに注がれて自分のペースを乱されてしまい、ついつい限界量を超えてしまったのだろう。

すべては後の祭りである。

さて、話しをゴルフに戻すと、そんなコンディションでまともなプレーが出来るわけもなく、また、そんな状態にも関わらず、ここ4ヶ月取り組んできたフォームを実践しようとしたことも災いし、128という、ここ数年、叩いたことのない無惨なスコアとなった。

でも、中には、ドライバーを275ヤードぐらい飛ばして、池越えの50ヤードの2ndをオンさせてパーを拾ったり、別のパー4では2ndをピンから1.5メートルにつけて、バーディは逃したもののパーを取ったりと、最悪なスコアの中にも、何とか自分を励ましてくれるプレーもあり、44才最終日のとても良い記念になった。

自画自賛のプレーはさておき、とても勉強になったことがある。

あるホールで、10を越えるスコアが確実となり、途中から「もうギブアップ(パーの3倍のスコアにしてもらう)でいいや」と思い、12打目にあたるパットが外れた時、60~70センチのパット(13打目)を残して「ギブアップ」と言ってボールを拾った瞬間、そのホールは「パー5」だと気がついた。

ギブアップ(パーの3倍)であれば「15打」になってしまう。

そんなスコア故、そのホールは「にぎり」には影響しないので、プレー後のお茶の席で自分の勘違いを説明し、認証してもらっていない60~70センチのパットを「OK」にしてもらい「13打」としたが、その一件で僕は、「遊び」で尚かつ「体調不良」とは言え、自分から「勝負を降りてはいけない」ということを学んだ。

相手はもちろん、自分にも失礼である。

そんなことで、記念すべき「44才最後の日」になった。

さて、「45才初日」の今日は、ドリームビジョンの個人株主でもある佐藤裕さんと彼の奥さんと「お花見」兼「妻の大学院修了のお祝い」兼「僕の45才の誕生日のお祝い」で、代々木公園に行った。

あまりの寒さで、お弁当を食べた後は急遽、僕らの自宅に移動し、5人+裕夫妻の愛犬とで寛いだ。

そんなことで、想い出に残る45才EVE&45才初日となった。

これからは、毎年毎年を「計画的」に生きて行こうと思う。

次の目標は、父親が亡くなった年齢である「55才」を元気で迎えること。

月並みだが、一日一日を大切にしたい。

追伸:ゴルフ場でお昼を食べていた時(僕は二日酔いで殆ど食べられなかったが/苦笑)のこと。隣のテーブルに「反町隆史」がいた。僕から見て左前に、なんか派手な「容姿」の男性がいるなあ・・・と思ったら、なんと、反町隆史だった。帰りは、運転手付きのセルシオで帰っていったらしい(僕はそのシーンは見かけていない)。