初めてのハノイ。

昨日、現地時刻の15:00、無事にベトナムはハノイに到着。

緯度的にはかなり南のはずだが、東京の11月下旬から12月初旬ぐらいの気温だろうか?思ったよりもかなり寒い。

さて、今回のベトナム訪問は、リクルート出身の武田さんという方が経営する株式会社アストミルコープのベトナム現地法人である「JV-IT Co.,LTD」のオフィスを訪ねることが主目的である。

武田さんとの出会いと彼のビジネスを簡単に紹介したい。

彼とは、僕がインタースコープを経営している頃、経済産業省の音頭で立ち上げられたドリームゲート(起業家輩出プロジェクト)で知り合った。

武田さんは以前、ドリームゲートの運営を行う株式会社プロジェクトニッポンの社長である松谷さんがリクルート時代の部下だったそうだが、リクルートを辞めてフリーランスになっており、ドリームゲートの仕事を手伝っていた。

そのドリームゲートの「鞄持ちインターン」プロジェクトのコーディネーターとして、インタースコープのオフィスを訪ねて来られたのが、そもそもの出会いだった。

彼は当時からベトナムに注目しており、既に、エンジニア育成やオフショア開発の事業立ち上げに取り組んでいたが、当時の僕には、そのことの意味や事業としての可能性は分からず、彼が何をしているのかも、よく理解していなかった。

しかし、人生や人の縁というのは不思議なもので、昨年の3月、インフォプラント創業者の大谷さんに連れられて上海に行って以来、また、BRICsやVISTA等が注目されだしたことにより、僕も遅まきながら「東南アジア」に興味を持ち始めていた矢先に、あるセミナーで「ベトナムのエンジニア育成事業」に関する武田さんの講演を聴いた。数年ぶりの再会だった。

そんなことで、東京とベトナムを行き来している彼のスケジュールに合わせて、こうしてベトナムにやってきたわけである。

さて、昨日は単身ベトナム空港に降り立った後、タクシーに乗り、ハノイのホテルに向かった。

会社に電話をしたり、ネット接続を確認し、メールのチェックをしたりした後、彼の会社にお邪魔した。

ベトナム出身で日本に帰化した猪瀬ルアンさん(JV-IT Co.,LTD社長)とお会いし、彼らの事業の話しを伺い、ベトナムの現状について詳しい話を伺った。

事前にガイドブックで読んで得た即席のベトナムに関する知識をもとに、あれこれと質問をし、ベトナムに対する理解を深めた。

そのあたりのことに関しては、改めて書くことにする。

今日は、これから、ハノイ市街を散策する予定である。自分の五感で、今のベトナムを理解したいと思う。

今日からベトナム。

さて、何とか「右股関節」も治り、いよいよ今日からベトナムである。

僕の身体の中に「デング熱」の抗体があるようだが、まあ、大丈夫だろう。

明朝(テクニカルには今朝)は「07:13@渋谷発」の成田エクスプレスなので、そろそろ、荷造りをして、休むことにしよう。

東南アジア初心者の僕にとって、初めての「ベトナム」は、とても楽しみである。

元気に行ってきます。

「道路特定財源」と「票田」と「政治家」たち。

アイベックスという会社があった。辻井良一さんという方が「25年前」に創業した会社である。

2004年にデジタルガレージの傘下に入り、現社名は「DG&IBEX」という。

アイベックス創業者である辻井さんは現在、バリューマーケティング研究所なる個人事務所を開設し、誰に気遣うことなく、今までの人生で培って来られた知見をもとに、新しいマーケティングの在り方を研究し、世に提唱されようとしている。

その辻井さんが、とても示唆に富んだブログを書いている。

2週間ほど前だろうか、たまたま何かの機会に辻井さんのブログを読んで、その内容の「深さ」に感銘を覚えた。

辻井さんは、僕よりもちょうど一回りほど先輩だったと思うが、さすが、北海道から単身上京し、ゼロから始めて「売上40億円」の会社を創った方である。そこらのガキンチョくんのブログとは訳が違う。

辻井さんは、今までの苦労が実って、いわゆる富裕層として悠々自適の生活を送っているが、彼のブログには、日本をどうにかしたいという「愛情」が込められている。その想いが伝わってくる。

彼のような「大人」が増えれば、日本はもっと住み良い社会になるように思う。

さて、今日のエントリーのタイトルとは全く異なることを書いてきたが、今の日本の政治家の大多数は、本気で国家のことを考えているのか?と疑いたくなる。

いわゆる「ポピュリズム」というか「大衆迎合」的な政治に終始しており、国民が本当に直視しなければいけない問題を提示し、その解決策を論じる、という姿勢が見られない。

自分の「票田」だけを気にするから、「ポピュリズム=大衆迎合政治」に陥るのである。

因みに、揮発油税(ガソリン税)を「一般財源」に回せば、10年間で「50兆円」の財源が確保できると聞いたことがある。

随分前に経済評論家の財部誠一氏が、サンデープロジェクトだったかニュースステーションだったかで、青森県に建設された「殆ど自動車の通らない高速道路」を取材していたことがあったが、一体、この国は、いつまで土建国家でいれば気が済むのか?

ロシア、中国、インドという資源国が国策で経済発展を続ける中、日本はいったいどうするのか?間違いなく、岐路に立たされている。

何かを得るには、何らかの代償を支払う必要がある。

「痛い想い」をせずに、果実は得られない。個人も国家も同じだろう。

金曜日の妻たちへ。

1983年。僕が大学生の頃、「金曜日の妻たちへ」というTBSの連続ドラマが大ヒットした。

主な出演者は、小川知子、篠ひろ子、いしだあゆみ、佐藤友美、古谷一行、板東英二、竜雷太など。

ラグジュアリーカーというカテゴリーが全盛だった時代で、番組の中でホンダのプレリュードが使われて、人気を博していた。

先週末の日経新聞の別冊「THE NIKKEI MAGAZINE」で、第4の山の手となった「たまプラーザ」に代表される田園都市線沿線の特集を組んでいた。懐かしい思いにかられて、その特集を読んだ。

当時は、テレビドラマの影響もあり、人工的且つミーハー(表層的)なイメージが先行した同エリアだが、あれから「四半世紀(25年)」が経った今、それ以前からの住民と新しい「古い住民」が一緒になり、新たな関係を築いているという。

当時20才だった僕は、来月で「45才」。

「産みの母」が亡くなった年齢になる。

人生の時間の流れを感じる。

初めての「ベトナム」。

昨日の注射と座薬が効いたのか、まだ、右足を多少は引きずるものの、何とか歩けるようになった。昨日の状況を考えると、奇跡としか思えない。

実は、来週火曜日から「初めてのベトナム」への出張が予定されており、何としてでもそれまでに治したいと思っていた。一先ず、安心である。

そのベトナムであるが、日本アジア投資の新家さんから「高度経済成長期(40年前の日本)とI.T.革命が同時に訪れているような状況なので是非、行った方がいいですよ」と言われており、気になっていたところ、インタースコープを経営している頃に知り合ったある方と数年ぶりに再会し、その彼がベトナムでビジネスをしており、尚かつ、ドリームビジョンの事業とも接点がありそうで、これは「神のお告げ」だと思い、急遽、訪越することにした。

自分で予感している「変化のピリオド(43~45才)」の最終年に入る今年、僕にとっての初めてのベトナム訪問が良い結果となることを期待したい。

ところで、僕は1995年にタイを訪問した際に「デング熱」と思しき熱病に冒された。

「思しき」というのは、救急車で運び込まれた杏林大学病院で抗生剤を投与され(対応も最悪だった)、病原菌の特定が出来なかったのだ。

杏林大学病院(三鷹)からタクシーを飛ばして行った墨東病院(錦糸町)の感染症科の大西先生に「なんで抗生剤なって飲んだんだ!!」と叱られて(事情は説明した)、「今日は帰れないよ」と言われて即入院だった。杏林大学病院では、迷惑そうに追い出されたにも係らず・・・(余談だが、大病院=安心ということではない。これは、またの機会に書くことにする)。

もし、デング熱だった場合、もう一度、感染すると「ショック状態(抗原抗体反応)」になり、命に関わるリスクがあるので、出来ることなら東南アジアの辺鄙な場所には行かない方がよいと、大西先生に言われていたので、今回のベトナム訪問を機に、デング熱の「抗体」があるかどうかを調べてもらった。

結果は、見事に「陽性」。注意が必要である。

東南アジアには、デング熱以外にもヤバい病気があるので、厚生労働省検疫所のウェブサイトで調べて、ベトナム訪問に際し、受けておいた方がよい予防接種を受けた(木曜日)。

そんなこともあり、火曜日からのベトナム出張は是が非でも行きたいと思っていた。

どうやら行けそうである。

診察室の会話。

今年に入ってから体調不良が続いていたが、ようやく調子が良くなってきた矢先に、今度は「右股関節」を痛めてしまった。

3連休に郡山に帰省してた頃から左腰に張りがあり、左右両方の股関節(前方)が痛かったのだが、昨日の夕方、急に「右股関節」の横が痛くなり、殆ど歩けない状態になってしまった。

首や背中を痛めた時にお世話になっているスポーツトレーナーの先生のところに行き、針治療をしてもらったが効き目無し。今朝は近所の病院に行き、紹介状を書いてもらって日赤医療センターの整形外科に行ってきた。

先日、子供の腕が脱臼した際に「出くわしてしまった」超ヤブ医者が、日赤医療センターの整形外科にいる話しを書いたが、そのことを近所のお医者さんにも説明し、そんな医師の風上にも置けない若造ではなく、脊椎治療等で有名な名医の方を紹介してもらった。当然だが、この件で僕は、かなり立腹している。

さて、日赤医療センターでレントゲンを撮ってもらったところ、骨���は異常がなかったが、内臓疾患の可能性もあるということで(針の先生がそう言っていた)、血液検査をして帰ってきた。

ところで、今日は「トレジャーファクトリー」の上場記念パーティに招待されていたのだが、さすがに出席を断念せざるを得ず、安田に、僕の代理として出席してもらうよう、彼のスケジュールを調整してもらった。

社長の野坂さん(人格的にとても素晴らしい方である)とは、ETICを通じて知り合い、かれこれ10年ぐらいの付き合いなので、とても残念だったが仕方ない・・・。きっと盛会だったことだろう。

さて、日赤医療センターに行く前、近所の病院の診察室で紹介状を書いてもらうのを待ちつつ横になっていた時、横で診察を受けていた「中高年(年齢が判らないので)の女性」の話し声が聞こえてきた。

小さな病院なので、広い診察室の横にカーテンで仕切られたスペースがあり、そこにベッドが置いてある。お腹を診てもらう際に横になったり、そこで点滴を受けたりするのだが、診察してもらっている患者さんとお医者さんの会話が聞こえて来る。厳密に言えば、プライバシーの問題がなきにしもあらずだが、とてもアットホームな病院であり、殆どがシリアスな病気の患者さんではないので、問題はないだろう(笑)。

さて、その中高年の女性だが、知的水準も経済水準も高く、教養溢れる方だということが、会話の内容から推察された。紹介状を書いてもらい、ベッドから下りて、その方の顔を拝見すると、思ったほど華やかな感じの方ではなかったが、やはり、とても上品な方だった。最初に彼女の声を聞いた時は、若い女性かと思ったほどのステキな声の持主だった。

さて、僕は彼女とお医者さんとの会話を聞きながら、こういうところにこそ、社会の実態を知る「貴重な機会」があり、生活感を知る機会があると感じた。「恵比寿」という地域柄、患者さんの属性は、経済的にも知的水準においても、そこそこの人が多いが、その事実を「数字」というデータではなく、リアリティとして知ることができる。

前刀さんがアップルコンピュータ(現アップル)の日本代表をされていた頃、「いちいち市場調査をしているより、電車に乗って、その車両の中にどれだけiPodを持っている人がいるか?とか、そういう���とを自分の目と肌で感じることの方が大切だし、そもそも速いよ」と言っていたことを思い出した。

松任谷由実が、ファミレスでカップルたちの会話を聴きつつ、作曲のヒントを得ているという話しがあったが、まさしく、そういうことだろう。そのことを実感した。

付き添いで一緒に日赤医療センターに行ってもらった妻とお昼を食べながらその話をすると、彼女の研究領域である「臨床心理」の世界では、患者ひとりひとりと向き合うため、統計的データだけでは何ともならなず、まずは定性的な情報ありきで、それを「理論」として検証するために、定量的データを取るということだそうだ。彼女は、今朝は子供の付き添いで、昼前からは僕の付き添いで、帰宅した頃にはぐったりとしていた。無理も無い。

インタースコープの頃の仕事(インターネットリサーチ)も、自分が使ったこともない商品の質問設計やデータ分析をしても、そこから得られる知見は大したものはないと思っていたが、そのことを改めて実感した。

「股関節」を痛めたことのない人にその痛みは分からないし、子供がいない人に、子供がいる生活はイメージ(理解)できないだろう。

前FRB議長のアラン・グリーンスパンも、複数の企業の社外取締役をしていた経験が「経済分析に役に立った」と自身の著書で語っていたが、やはり、何事も「リアリティ」が大切である。

経営コンサルタントとして有能な人が、実際の経営ができるかと言えば、そうではないのは当然である。

「あなたの暮らし向きは向上していると感じていますか?」という質問に、5段階評価で答えてもらった結果を分析しているだけでは、世の中の実態は見えてこないし、本当の意味で有益な調査結果は得られない。

そんなことを考えた一日だった。

日本社会は「リスク」を取ることを許容するか?(続編)

昨日は22:00過ぎに会社を出て、ワールドビジネスサテライト(WBS)を観た。ほんの10数秒だったと思うが、確かに僕のことが紹介されていた。

しかし、最初の起業をして数年経った頃、当時の売上の7割を占める事業を止めたことで、その翌年から2年間は「世帯年収300万円で、死にそうでしたよ」という発言が使われていたのは、やられた!!!と思った(笑)。

でも、記者の「最近の起業率の低下をどう見ているか?」という質問に対して、「ネットバブルとその崩壊を目の当たりにし、また、堀江さんの事件等も見てきた今の若い人たちは、起業の醍醐味もそのリスクも、そして、成功する人は極々一握りであることもよく理解しており、一発、やってみるか!?というような「少年ハート」では起業は出来ないと思いますよ」という僕の発言を紹介していただいたことは、僕の言わんとすることが伝わった気がして嬉しかった。

記者の方には、この場を借りてお礼を申し上げます。

ところで、昨夜のWBSを観て、僕が感じたことを、忘れないうちに書いておこうと思う。

「テレビとインターネットの融合」ということが叫ばれた時期があったが、僕はずっと疑問に思っていた。その想いが、今回の取材を受けて、より強くなった。

ソフトブレーンの小松さんと僕が受けた取材は、実は「3時間」以上だった。

しかし、番組で使われたのは、その中の「数カット」。小松さんと僕を合わせて、せいぜい30秒程度だろう。つまり、それだけ「お金をかけている」のである。そして、それだけのお金をかけるからこそ、質の高い番組が創れるのだとも思う。

インターネットの世界では「Web2.0」という潮流のもと、膨大なCGM(Consumer Generated Media)が出現しているが(僕のブログもそのひとつだ)、それは、権力も財力も何の力も持たない一般市民に「情報発信力」というパワーを与えたという点で、とても大きな意味を持つと思う。

しかし、それは、必ずしも「質を担保する」ということにはならず、それなりのコンテンツを創るには、それなりのお金、つまり、自分ひとりの経験や知恵だけではなく、様々な「プロフェッショナル」の知恵や番組製作のための「高価な機材」が必要だということだ。

話しが長くなるので詳細は割愛するが、ある時、NHKの紅白歌合戦の舞台裏を紹介するドキュメンタリー番組を観ていて、別の理由により、テレビとインターネットの融合はそう簡単ではないと思ったことを思い出した。

さて、そろそろ本題に入りたいと思う。

日本社会は「リスク」を取ることを許容するか?

ひと言に要約するのは難しいが、今の時代に限れば、保守的な傾向になってきているのは事実だと思う。

昨夜のWBSでも紹介されていたが、小学校の児童だったか中学校の生徒だったか約30人に、「将来、社長になりたいか?(起業したいか?)」と質問したところ、「なりたい」と答えた子供は、たったの「1人」だった。

その人数(確率)もさることながら、なりたいと思わない理由が「リスクが大き過ぎる」ということだったことに驚いた。

将来を夢見るはずの「ティーンエイジャー」が、「夢」どころか「リスク」を先に考えているのである。世知辛い世の中とは、こういう時代を言うのだろう。

ところで、先日のエントリーで僕が言った「ナローバンドな生き方」という意味について、説明しようと思う。

仮に、東大法学部を卒業し、三菱商事(三井物産でも住友商事でも伊藤忠でも構わない)に就職し、それなりに仕事をこなし、若手のホープとして期待されつつある28才の男性がいたとしよう。

その彼が、会社を辞めて起業すると言ったら、周囲の人たち、特に「上司」は何と言うだろう?

おそらく、「(起業するのは)止めておけ!!」と言うだろう。

統計的に言えば、起業して4年後の生存確率は「3割」。10年後のそれは「1割未満」である。

お前は、その「1割未満」に入れるのか?そう言いたいのだと思う。

地べたを這いつくばり、泥水をすすりながら努力をし、幸運にも恵まれて、その「1割未満」に入ると、「あいつは運がいいだけだよ」と妬まれ、統計的なマジョリティに入ると「ほらみたことか!!」となり、再チャレンジを支援するどころか「失敗者のレッテル」を貼る。

つまり、物凄い「成功者」も創出しようとしないが、その代わり、物凄い「落伍者」も出さないようにする。

要するに、せっかく「エリート(狭き門)」という「バンド(帯域)」に入ったのだから、その「ナローバンド」内で生きてけというのが、日本社会なのだと思う。

経済合理性だけを考えれば、それは正しい。昨今の資源バブルで潤う総合商社に勤務する40代の方であれば、年収1,700~1,800万円が相場であろう。

あと10年いれば得られるであろう、その「年収」を捨ててまで、君は「1割未満」の可能性に賭けるのか?

そういうことだと思う。

このような考え方は、エリートとは程遠い人間である僕の「僻み」かもしれないが・・・。

因みに、まだ、「はじめに」しか読んでいないが、小沢一郎氏の著書である「日本改造計画」の「はじめに」に、似たようなことが書いてある。