人生の矛盾:「挑戦」と「安息」。

昨日は、ドリームビジョンの監査役でもあるダイアログマーチャンダイズ社長の堀水と久しぶりに食事をした。本当は昨年末のはずだったのだが、僕のノロウイルス騒ぎで今年に持ち越しとなっていた。

ダイアログは1996年の設立。僕にとっての最初の会社であるクリードエクセキュートの事業を独立分社化したというのが経緯である。はやいもので、あれから今年で丸12年になる。

堀水が言うには、今年度(ダイアログは3月決算)は少々苦労をしているらしく、今後の事業展開に関して相談にのって欲しいという。

実際には何もしていないが取締役である僕から見たダイアログおよび堀水に対するアドバイスをして欲しいというので、僕なりの見解を述べたが、僕が話したことは、実は、すべて堀水の心の中にある。「答え」は本人が一番良く知っている。

ところで、僕の直接の知り合いらしい「リンドバーグ」というペンネーム?の方から、久しぶりに僕のブログにコメントを頂いた。僕の記憶が正しければ、この方は、僕がドリームゲートでブログを書いていた時にも何度かコメントを下さっている。

「近々、お互いに喝をいれるために突然現れると予告しておきましょう」ということなので、お会い出来るのを楽しみにしたい。

さて、その方のコメントには、考えさせられるものがあった。

ご関心のある方は、前回のエントリーのコメント欄をご覧頂ければと思うが、その中のいくつかには説明をしておきたいと思う。

まず、「あれほど情熱を注ぐとおっしゃってた『八戸を日本のシリコンバレーにする』プロジェクトは進捗いかがですか?」という質問に対して。

実は昨日、正式にリリースがあったが、マネックスが八戸に「コンタクトセンター」を開設することが決まった。松本さんのブログでも紹介されている。

これは、すべて、大谷さんの地道な「誘致活動」の賜物である。

彼は昨年の8月(だったと思う)以降、ブログでの進捗報告を含めた「八戸プロジェクト」に関する一切の発言をストップした。

それは、同じヤフーの子会社でもインフォプラント時代はよかったが、インタースコープと合併し、ヤフーバリューインサイトという社名、つまり、ヤフーの冠を頂いてしまったとなると、その会社の経営者である大谷さんの「八戸プロジェクト」に関する行動なり発言は「ヤフーとしてものなのか?」と見られる可能性があり、関係各者にあらぬ迷惑をかけるリスクをヘッジするために、彼は「水面下」に潜ったのである。

実は、僕とふたりで「八戸プロジェクト」の「オフィシャルサイト」の立ち上げ計画を進めており、そのドメインを取得し、サーバまで契約をしていたが中止した、という経緯がある。

マネックスの発表により、それがようやく日の目を見たというわけだ。大谷さんの郷土愛と構想力、そして、行動力には心から賛辞を贈りたい。

また、八戸プロジェクトはこれで終わったわけではなく、水面下で進行中のことが多々ある。いずれ、関係者より、発表される時がくると思う。

次に「あれほど毎日コメントされてた『坊主頭のりょうへいさん』とのその後のコンタクトは?」という質問について。

3ヶ月ぐらい前だろうか、彼がドリームビジョンのオフィスを訪ねて来た。「このことはブログには書かないで下さい」と言われていたので、何も書かずにいた。

そのようなことなので詳細は何も書けないが、彼は今、人生の大きな転機にある。僕のブログに毎日コメントする精神的余裕はないと思う。

でも、彼との友情は何も変わっていない。僕は、彼のチャレンジを心から応援している。

次は「平石さんの主義主張には共感を覚えますが、シリアルアントレプレナーとしての推進力や一貫性や行為継続には少しだけ不安を感じています」というコメント。

これは、ごもっともである。何も説明することはない。そのとおりである。

但し、ひとつだけ説明を加える意味があるとすれば、それは、僕はどうしても自分で仕切らなければ気が済まない、やり遂げなければ気が済まないという「事業は無い」ということに気がついたということだ。

では、それにも係らず、なぜ、こうして、また、スクラッチから会社を立ち上げようとしているのか?

それは「理念」に対する拘りである。そのことが、よく分かった。

いったい自分は何を大切にして生きているのか?何をしようとしているのか?

ここ数ヶ月、そのことをトコトン突き詰めてきて、自分のことがよく理解できるようになった。そして、今まで以上に、そのこと(理念)に拘るようになった。

このことは、ドリームビジョンの社員やスタッフに聞いてもらえれば、よく理解して頂けると思う。

また、「今のあなたに必要なのは、最近失われつつあるかもしれない燃えるような闘志=意志の力ではないでしょうか?」ともある。

これも、そうかもしれない。

しかし、僕は自分自身の「変化」を感じており、その変化を止めようとか、曲げようとは思っていない。むしろ、その変化を素直に受け入れようと思っている。

僕は、決して精神的に強い人間ではなく、むしろ、とても「弱い人間」である。表現に正確さを期せば、精神的に不安定であり、感情の起伏が激しい人間だ。

でも、少しずつ、その変動の幅が小さくなってきている。つまり、物凄くエネルギーをほとばしらせることがなくなった分、物凄く落ち込むこともなくなった。意図的にそうしてきた面も、自然にそうなってきた面もある。

それは、年齢のせいと子供ができたせいのような気がする。

「今のあなたに必要なのは、最近失われつつあるかもしれない燃えるような闘志=意志の力ではないでしょうか?」という点に関して言うと、少なくとも今の僕は、「燃えるような闘志」を持ちたいとは思っていない。

言葉遊びに聞こえるかもしれないが、僕はむしろ、「静かな闘志」を持ち続けたいと思っている。その方が、リンドバーグさんが言うところの「意志の力」を持続できる気がする。そう思うようになった。

ゴルフで言えば、何が何でもバーディを取ってやるという考えは止めて、ボギーでいいと思うようになった。その代わり「すべてのホールをボギー」で回りたい。何故なら、それで「90」を出せるから。

バーディを2つ取っても、パーを5つ取っても、大叩きがあれば、スコアはまとまらない。

たしかに、絶対的な技術という点で判断すれば、バーディを取れる方がレベルが高いのは言うまでもない。

でも、そういうアップダウンの激しいゴルフは、精神を消耗させる。

20代30代だったら、それでもいいかもしれないが、40代の僕は、そういうゴルフは、もうしたくない。コンスタントにスコアを出し、優勝はなくても、確実に「賞金」を稼ぎ、資金(体力)を蓄えたい。

インタースコープを立ち上げた頃(30代)のような「瞬発力」や「億単位の資金」があるわけではなく、また、100年に一度と言ってもよいインターネットというテクノロジーの黎明期に、まさしくそのネットビジネスをしているという、社会的ムーブメントという後押しがあるわけでもない。

その事実を正面から受け入れ、今の僕に合ったゴルフをしたいと思うようになった。

そして、コツコツと準備を継続し、虎視眈々と次のチャンスを狙い、僕にとって「ここはバーディチャンスだ!!!」と思える時が来た時に、そのバーディを狙って取れる実力を身に付けたい。

50代の前半に僕の職業人生のピークが来るように、そのシナリオに向かって、あと5~6年は実力をつけること(準備)に専念したいと思っている。下手な色気は出さないようにして。

自分の心の奥にある「声」を信じたい。

ところで、前FRB議長のアラン・グリーンスパン氏の著書「波乱の時代」の上巻を読み終えた。昨日、堀水と会う前に、渋谷の紀伊国屋書店に行き、下巻を購入した。とにかく、素晴らしい内容である。

その上巻に、こんなことが書いてあった。彼が新婚旅行でベネツィアを訪れた時のことだ。彼の著作の主題である「世界経済」に関することではない。

「ベネツィアは創造的破壊の反対の極なのだ。過去を維持し、楽しむための場所であって、未来を創造する場所ではない。だが、まさにその点が重要なのだ。ベネツィアは安定と永遠、美とロマンスに対する根深い欲求を満たしている。ベネツィアに人気があるのは、人間性の矛盾のうち、一方の極を代表するものだからだ。人間は物質的に豊かになりたいと望む一方で、変化とそれに伴うストレスを避けたいと望んでいるのである」。

人生には色々な時期がある。インタースコープの創業期は、僕の人生=インタースコープと言っても過言ではなかった。僕にとっては、すべてが「仕事」だった。

その頃が「太く短く」だったとしたら、今は「細く永く」という感じだろうか?

僕は何かに「挑戦する」ことが好きだ。でも、その一方、「安らぎ」も求めている。

ひとりの時間や子供と触れ合う時間も大切にしたい。

特に、子供との時間は大切にしたい。何故なら、今しか出来ないことだから。

中学に入ったら、もう、親とは行動を共にしたくないだろう。

僕がそうだったように。

「開業医」の仕事。

昨日は、たぶん、記憶に残る日になった。

明け方から、かなりひどい頭痛と吐き気に悩まされ、午前中は掛かり付けの近所の病院に行き、約1時間ぐらいだろうか、診察室の横にあるベッドに寝かされて、点滴を受けていた。

その間、うとうととしながらも、看護士の方たちの話し声が聞こえてくる。とても楽しそうだ。

僕たち家族がお世話になっているこの病院は、とても人気があり、いつも混んでいる。近所にこの病院があって良かった。本当にそう思う。

人気の秘密は、医療技術はもちろんのこと、とても人間味溢れるお医者さんと、親切で愛想がいい女性陣(看護士さん)にある。僕らの子供もすっかり懐いている。

以前にも似たようなエントリーを書いたが、最先端の医療技術に触れていたければ、大学病院に勤務していた方がいい。

でも、何を目指して医者になったのか?それは人によって異なるだろう。

こうして地域の人々の健康を守っていること、安心を与えていることは本当に素晴らしいことだ。そのことを改めて感じた。

もうひとつ、自分自身のことで再認識したことがあった。

それは、僕という人間は、人と人との触れ合いや、人と仲良くしたいという欲求がとても強く、そのことに喜びを感じる人間であり、僕のモチベーションや生きる原動力はすべて、そのことに依拠していることだ。

頭痛と吐き気でふらふらになりながらも、点滴の注射の針を刺してくれている看護士さんの指輪を見て、かすれた声で「かわいい指輪ですね」と言ってみたり(「ありがとうございます」と言って、とても喜んでくれていた)、また、そのこと通じて相手を理解し、自分をも理解してもらえることが、僕にとって最も大切なことだということが、よく分かった。

昨年の納会の時に、全スタッフに手書きの手紙を書いたことも、すべては同じ理由に基づいている。

父親が生前、いつもいつも「俺が幼稚園を建ててやるから、お前は幼稚園の理事長先生をやれ」と言っていたのは、自分の子供のことをよく理解していたということだろう。

当時の僕は「どうして俺が子供の相手をしなければいけないんだ。俺はミュージシャンになりたいんだ」とか、バカなことを言っていたが・・・(笑)。

さて、10年後の僕は何をしているだろうか?
そして、ドリームビジョンは、どんな事業を行っているだろうか?

Future is the result of today.

久しぶりの「夫婦喧嘩」。

昨晩のことだが、久しぶりに妻と口論になった。原因はいつも決まっている。子育てのことだ。

この3連休は昨年末の「ノロウイルス?騒ぎ」に続いて、子供→妻→自分自身という順番で体調を壊したことは先日のエントリーで書いたとおりだが、昨日は、僕の具合が悪く、妻は治りかけ、という状態だったため、僕にとっては「(今日は)これ以上、僕は子供の面倒は看れないよ・・・」という精神状態で、妻にとっては「(私だってまだ具合が悪いのに)平石さん(僕のことをそう呼ぶ)は、(子供の面倒を看ずに)なぜ、新聞を読んだり、本を読んだり、ブログを書いたりしているわけ・・・」ということになり、思わず、僕の方から文句を言った。

ブログはさておき、新聞を読んだり、本を読んだりしているのは、僕にとっては趣味でも娯楽でも何でもなく、仕事の一環であり、将来に向けての「INPUT」であり、具合が悪くても、また、そういう時に限って、何かしていないと不安にかられるという性分もあり、ついつい、そちらに気が行ってしまう。

具合がいい時は、子供を連れて出掛けたり、家の中では一緒に遊んだりと、自分のことは何もできないので、こういう時ぐらい・・・と思ってしまうわけだ。

しかし、昨日の妻は、今日が「修士論文」の締め切りということもあり、Kinko’sに印刷に行ったり、その間も色々と準備をしたりで、とにかく、精神的に余裕がなかったのだろう。

口論なり夫婦喧嘩というのは、だいたい、双方あるいはどちらか片方が精神的に余裕がない時に起こるもので、昨日は、体力的にも弱っており、且つ、精神的にも余裕がなかったわけで、まあ、当然と言えば、当然とも言える。

ところで、僕は2000年にインタースコープを創業してから、昨年末のノロウイルス騒ぎで会社を休むまで、この7年間で「1度も会社を休んだことがなかった」。

それが、年末年始を挟んでこの3週間の間に、2回も会社を休んだ。今日は、午前中は子供と一緒に病院に行き、午後は仮眠を取ったりして、身体を休めていた。

今までの僕には考えられないことだ。

「責任感」という意味では、インタースコープの頃と今とで何も変わらないし、むしろ、今の方が責任を感じている。

すべてのことにおいて僕が最終責任者であり、また、インタースコープの頃と違って何億円もの資本金があるわけでもなく、いつ何時、どうなるか分からない会社なわけで、そういう意味での「緊張感」や「プレッシャー」がある。

でも、僕は、考え方を変えた。

昨年末に「自分はいない方がいい」というエントリーを書いたが、ここ半年から1年ぐらいで様々な経営書を読んだり、実際に自分自身で色々なことを考え、経験してきたことで、僕の仕事は「会社の将来やビジョンを考えること」であり、具体的な「方針を決める」ことであり、その仕事は、会社にいなくても、自宅にいても、どこにいても出来ることだと思うようになり、働き方を変えようと思ったのである。

僕が身体を壊したら、すべてがお終いである。「健康管理」という「責任」を負っているわけだ。

年齢から来る体力の衰えと子育ての蓄積疲労とが重なり、以前のような働き方が出来なくなったというやむを得ない事情があるのは事実だが、経営の神様と言われた松下幸之助さんも身体が弱かったらしいし、物事は万事、塞翁が馬であり、何事も「プラス志向」で考えるようにしたい。

Russian Tea Room(New York の超高級レストラン)

僕たち家族にとって、今年の「成人の日」を含む3連休は、とても静かな連休となった。

一昨日のブログで妻の具合が悪くなったことは書いたが、やはりというか、案の定というか、僕も具合が悪くなり、尚かつ、治ったと思った子供が、またしても発熱してしまったので、おとなしくしている以外にはなかった。

ところで、中途半端な知識や理解で「政治や経済」に関するエントリーを書いているので当然のことなのだが、今回も、一昨日のエントリーに、僕が直接知っているある方からコメントを頂戴した。

その方のコメントの趣旨を正確に理解できているわけではないが、上記のとおり、中途半端な知識故、僕が的外れなことを書いている可能性もあるし、僕の表現力の稚拙さ故、誤解を招いてしまっている可能性もあると思う。

しかし、こうしてコメントを頂戴するということは、自分の理解や考えを改めて熟考する良い機会になるので、今後もまた、これはと思う疑問やテーマがあった時は、稚拙なことは承知の上で書いてみようと思っている。

その方のコメントは、一昨日のエントリーのコメント欄に書いてあるが、要約すると「380円で昼食が食べられたり、100円ショップで色々なモノが買えるのは、企業や個人の努力の賜物であって悲観することではない。悲観すべきは、労働者が搾取される傾向にあることだ」というものだ。

後者の部分に関しては、彼が社会のどの部分を指して言っているのかが分からないので何とも言えないが、前者、つまり、物価の部分に関しては、なるほど、そういう考え方もあるな・・・と思った。

しかし、僕が一昨日のエントリーで、友人の発言まで引き合いに出しで言いたかったことは、そういうことではないので、僕が実際に経験したことをもとに、改めて説明してみたいと思う。

1986年2月、僕は初めて「New York」を訪問した。

昨年の3月(だったと思う)に「上海」に行った時も同様なインパクトがあったが、今から22年前、当時22才だった僕にとって、その経験は「衝撃的」であり、物凄いインパクトがあった。

街全体から感じるエネルギー、誰もが「よそ者」であり「New Yorker」であるという「懐の深さ」、とんでもない(商業的)成功と挫折が隣り合わせにあり、チャレンジする人なら誰でも受け入れる、そんな街のように感じた。

人種の坩堝(るつぼ)と言われるように様々な国・地域の人々が集まっており、肌の色も背格好もまちまちであることも、僕がそのように感じた大きな理由でもあった。

New York には約3週間ほど滞在したが、その8年後、僕らの結婚式で立会人を務めてもらうことになる元H2Oの赤塩正樹氏(当時、マンハッタンに住んでいた)と、東京で知り合っていたアメリカ人の友人宅(マンハッタンから車で30~40分の距離)とその彼の友人宅(Queens)に泊めてもらっていた。学生の僕には、ホテルに泊まる余裕は無かったのである。

当時の為替レートは、1ドル=「200円」ぐらい。1985年9月22日の「プラザ合意」から半年ほど経っていたが、今の「倍」ぐらい、円に対してドルが高かった。つまり、当時の僕にとっては、とても「高い」旅行だった。

因みに、僕のアメリカ人の友人の「初任給」は、4万7,000ドル。当時の為替レートで計算すると、なんと「940万円」である。

「知的専門職(多くが大学院卒)に就く高給取り」のことを、当時の言葉で「Yuppie(Young Urban Professional)」と呼んでいたが、彼らはまさしく、そういう人たちだった。

しかし、1ドル100円になると、話しは変わってくる。アメリカ国内にいる分には関係ない話しかもしれないが、海外に行こうとすると、同じ年収にも係らず、彼らの「経済力」が全く異なってくる。

僕の友人達は、その後の「円高ドル安」時代以降、一度も、日本に来ていない。

因みに、その間、23~31才の頃、僕は「財政赤字(借金をして)」での話しだが、15~16回ほど、New York に行っている。

僕は経済学を学んだことがあるわけでもなく、残念ながらきちんと説明出来るだけの知識は持ち合わせていないが、通貨としての「円」の「価値」は、実質的には「プラザ合意」前の水準にまで落ち込んでいるらしい。購買力平価でみた国民ひとり当たりのGDP額や経済成長率等、日本の経済力が、相対的に目減りしてきているということだろう。

「為替レート」ということでは、円に対して、ユーロやポンド、ルーブル等がここ数年、高くなっており、ロンドンで「天ぷら定食」を食べようと思うと、4,000~5,000円は覚悟しないといけないとか。

「資源バブル」に沸くロシアの「モスクワ」では、まともなホテルに泊まるには「5~6万円」、安いところでも治安を考えると「2~3万円」は覚悟する必要があるらしい。

残念ながら、円とルーブルの為替トレンドは探せなかったが、円とポンドの「10年間の為替トレンド」をみると、2000年後半に「150円」だったものが、昨年には「250円」をつけており、ポンドに対する「円の価値」が「40%」下がったということになる。

僕は行ったことはないが、ロンドンの地下鉄の初乗り運賃は「3ポンド」とのこと。ということは、昨年の秋あたりに行っていた場合、3ポンド=「750円」。今の東京の「タクシーの1メーター(初乗り料金=710円)」よりも高いという計算になる。ひょっとしたら、ロンドンやモスクワが高いのではなく、TOKYO が安いと思った方がいいのかもしれない。

ところで、今日のタイトルの「Russian Tea Room」は、New York の6th アベニューと7th アベニューの間で57th streetにある、80年も続く(1927年開店)超高級レストランである。初めてNew Yorkに行った時に、友人に教えてもらった。もちろん、入ったことはない。

当時の為替レート(1ドル=200円)だと、コーヒー1杯が「1,400円(7ドル)」。今のレートだと、750円ぐらいか。同じ10万円を持って行っても、その価値が違う。

因みに、最近では「高いルーブル」を味方につけて、銀座の高級ブランドショップのお得意さんはロシア人という話しも聞く。例えば、同じルイヴィトンのバッグを買うにしても、自国の通貨の「レバレッジ」が利く「日本」で買った方が安いということだろう。

たしかに、日本の代表的産業である自動車メーカーや家電業界にとっては円安の方が円換算した場合のメリットがあるが、エネルギーや食料の大半を「輸入」に依存する日本という国の構造を考えると、自国通貨が「高い」方がよいのではと、僕は思っている。

ところで、そもそもの話題の「ランチ」であるが、僕は高校生か大学生の頃、定食屋に行くと「卵丼」をよく食べた記憶がある。「鶏肉」が嫌いな僕にとって、親子丼よりも安い「卵丼」は嬉しいメニューだった。お店によっても異なるが、たしか「380~450円」ぐらいだったと思う。今は、いくらぐらいするのだろう?

たしかに、今の東京で「380円」で食べられるランチはあると思う。

でも、それはマクドナルド等のファストフードや極端に安い定食屋での話しであり、それが平均値ではないだろう。大戸屋でも、それ以上はすると思う。

また、100円ショップで売っているモノの殆どは中国や東南アジア製であり、それらの国が経済力をつけ、また、円の価値が下がり続ければ、100円では売れなくなる。事実として、一部の100円ショップでは、商品によっては「値上げ」をしたと聞いている。

いずれにしても、僕は自分が生まれ育った日本という国が好きだし、1963年という「高度経済成長期」に生まれ育ち、僕は殆ど恩恵に与らなかったが「バブル経済」も、その崩壊も目の当たりにし、その後のネットバブルでは運良くネットビジネスを興すことができ、具合が悪いにも係らず、こうして、1円にもならないブログを書くことが出来ている僕は、自分の子供の世代の日本が「貧しい国」や「食えない国」になっていて欲しくない。

そのことを言いたかっただけである。

もうひとつの「労働者が搾取される傾向・・・」に関しては、別の機会に僕の考えを述べてみたい。

追伸:1/8(火)の日経新聞に、元産業再生機構(現 経営共創基盤 代表取締役)の冨山和彦氏が、「後世への富継承こそ品格~鎖国型再分配脱せ~」と題して、とても示唆に富んだ提案をされている。興味のある方は是非、ご一読されることをお勧めする。

「若者の4割」は日本の未来に「悲観的」。

子供の具合がだいぶ良くなったと思ったら、昨晩から、今度は妻が発熱した。先程、熱を測ったら、39度を超えていたようだ。

おまけに僕まで喉が痛くなった。先日の「ノロウイルス?」騒動を思い出し、何とも嫌な感じである。

さて、そんなことで、この3連休はおとなしくしているしかないのだが、妻は大学院の関係でどうしても休めない用事があり、冷たい雨が降っていたので、子供を保育園に預けた後、大学院までクルマで送っていった。

大学の近くで彼女を待つ間、コインパーキングにクルマを駐め、久しぶりに、昔ながらの「喫茶店」に入った。まだ、朝10:30過ぎだったので、僕以外にお客さんは誰もいない。

店内には、お店のオーナー(夫人)と思われる女性の他に、アルバイトらしき日本人の女性と、日本語のアクセントから外国人(アジア人)と分かる若い女性がいた。妻が通っている大学の留学生だろうか?

さて、メニューを開き、そのお店のオリジナルブレンドの中で最も美味しいと勧められたコーヒーを注文した。

実際に飲んでみると、たしかに美味しい。スタバやドトールのコーヒーとは格段に違う。「700円」もしたが、その価値はあったと思う。

妻の用事が終わるまでの1時間ちょっとの間、僕は読めなかった新聞を数日分まとめて読んでいた。こうしてゆっくりと新聞を読むのは久しぶりだった。

その中で、特に気になった記事は3つ。

「YEN漂流 私はこう見る」での「マネックス松本さん」へのインタビュー、
「三菱商事と三井物産」の収益構造の比較分析、
そして、コマツ社長の野路国夫氏の「もう円には頼まない」だ。

その他では、任天堂の岩田聡社長、楽天の三木谷さんの各インタビュー記事、トヨタ自動車の「国・地域別」営業利益構造、寡占化する百貨店業界に関する記事、そして、ソフトバンクの孫さんへのインタビュー記事等が目に留まった。

そこから共通することは、今のままで行ったら、間違いなく、10年後20年後の日本は、どこにでもある「普通の国」になるだろうということだ。

それが現実になれば、おそらく、「G7(先進国首脳サミット)」にはお呼びが掛からなくなるだろう。

もっとも、「世論」も株価同様に「センチメント(心理状況)」の影響を強く受けるものであり、昨年末、特に、年明けからその傾向を強めている新聞やテレビの「悲観論」のバイアスはあると思うが、2050年(僕の子供が、ちょうど今の僕の年齢になる!!)には「中国のGDPが45兆ドル」となり、日本の「7倍以上」になるという予測数値から考えれば、今のままでは地盤沈下は避けられないのは議論の余地はないだろう。

そのことを「直感的」に察知してか、今年成人する人たちに対するアンケート調査では、約4割の人が「日本の将来は暗い」として、自分の親の世代よりも、自分たちの世代は貧しくなるだろうと答えているらしい。

また、「残業」はせず「家庭や友人との付き合い」を大切にすると回答した人の割合が「7割?」とか・・・。

子供を持った僕としては、その考えは理解できなくはないが、20才の人間が・・・と思うと何とも憂いたくなる。それこそ直感的に、一生懸命に働いても報われないと諦めているのだろう。

では、彼・彼女たちを責めれば済む問題なのか?そうではないだろう。

GDPの額を遥かに超える「財政赤字」があるにも係らず、更に「赤字国債」を出す人たちの考えが、僕には全く理解できない。

現実をつぶさに語ることにより「票(職)を失う」ことを恐れて、リスクを先送りしているとしか、僕には思えない。

彼岸の国アメリカでは、大統領選が熱さを増しているが、クリントン氏が大統領だった頃、彼は「国民の人気取り」に終始するのではなく、徹底して「財政赤字の削減」に取り組み、あくまでも長期的な繁栄に「コミット」したという。

議会(上院)との凄まじい戦いの結果、「予算案」を「僅か1票差」で通したそうだが、その「1票」は、当時、副大統領だった「アル・ゴア氏」が、議長として「最後に投じた1票」だったというから何ともドラマチックな話しである。

日本で言えば、小泉前首相が「衆議院を解散」してまで「郵政民営化」を成し遂げたわけだが、そのぐらいの「信念と気概」を持たないと、大事は成し遂げられないし、この国は変わらないということだろう。

アジア外交に関する言動等、小泉さんに関する批判は多々あるし、僕も「ここはどうか?」と思うところはあるが、それでも、あれ程の信念で政治にあたった政治家は、近年では小泉さん以外にはいないだろう。

そんな日本の現状を思うと、電車の中刷りで見かける「ファッション雑誌」の「見出し」に、僕は何とも情けないものを感じる。

子供ができたことが大きく影響していると思うが、彼らが大人になった時、日本が住みやすい国であるためにはどうすればいいか?を真剣に考えるようになった。

こうして、ブログで問題提起をしているだけでは何も変わりはしないわけで、とても小さなことかもしれないが、僕に出来ることを「事業」としてやっていこうと思う。

追伸:今週金曜日(昨晩)、今では「親友」となった伊藤忠商事の庄司さん(ロシアに駐在中)と久しぶりに会ったが、彼の「昼飯を380円で食えるのは『TOKYO』だけだよ。モスクワ(現時点で世界一物価が高いと言ってもいいらしい)だけでなく、ロンドンでも、パリでもあり得ないよ。(日本は)発展途上国(と同レベル)に成り下がったということだよ」の発言に、リアリティを感じた。さて、それを踏まえてどうするか?である。

人間関係は「進化」する。

年が明け、今年の目標を頭に入れつつ、少しずつエンジンを回している。

新年会という名の下に、ビジネスで接点のある方々と久しぶりに会い、話をする中で、色々とヒントになることがある。

ところで、当社の株主でもある蛭田さんとは、かれこれ20年近い付き合いになるが、昨年末ぐらいから、彼との関係が「進化」してきたと思っている。

僕が最初の会社を細々と経営していた頃、ODSという会社の先輩だった川端さんの紹介で、蛭田さん、川端さん、前刀さんで運営している「Hi-forum」という勉強会の仲間に入れてもらったのが、蛭田さんとの出会いだった。

数日前のエントリーで、蛭田さんはソニー出身であることは紹介したが、彼は東工大の大学院を卒業しており、年下の僕が言うのは失礼かもしれないが、とても頭が良い方である。

その彼が昨年末あたりから、「IFTO理論」なるものを提唱し始めた。

IFTO=「INPUT→FEEL→THINK→OUTPUT」の頭文字を取ったもので、我々人間が、自分が望む成果(Output)を出すための、自己コントロールのあり方に関する理論である。

詳しくは、彼のブログをご覧いただければと思うが、彼は最初、「ITO=INPUT→THINK→OUTPUT」という流れで考えていたのだが、僕が「考える前に、人間は何か感じるものがあるはずだし、それが大切だと思う」と言ったところ、それを取り入れて「IFTO」となったという経緯がある。

彼が考案した「IFTO」というセオリー(理論)の説明を受けてから、僕は、自分の状態を「INPUT」+「FEEL+THINK」+「OUTPUT」という3つに分けて考えるようになった。

つまり、自分の中で何かのバランスが悪いと感じたとき、INPUTが足りないのか?OUTPUTが足りないのか?それとも、材料(INPUT)の「加工(FEEL+THINK)」が悪いのか?というように考えるようになった。

自分の状態を「自己診断」するフレームワークとして、彼が考案した「IFTO理論」を活用しているということだ。

さて、蛭田さんとは、ここ数年は、他の2人を含めたゴルフと年に数回の食事での付き合いで、プライベートな付き合いがメインだったが、ここに来て、お互いの人生に、明確に影響を与え合う関係に「進化」してきた気がしている。

単に、長い付き合いというだけでなく、こうして、お互いの人生に刺激を与えられ、お互いの成長に影響を与えられる関係というのは、とても創造的な人間関係だと思う。

そういう友人や仕事仲間がたくさんいることは、人生を豊かにする上でとても重要な要素だと感じる。

ところで、今日は、弊社の泉谷とふたりで、僕の古くからの知り合いである、あるベンチャーキャピタルの方とランチをご一緒した。

その方とは、僕がインタースコープを創業する直前、共通の友人を介して知り合ったのだが、僕らが投資育成事業を始めたことにより、単なる「知り合い」というレベルを超えた関係を構築していけそうな気がしている。

ドリームビジョンを創めて、まだまだ2年弱。

これから訪れる、そして、自ら起こそうと思っている「変化と出会い」を楽しみたい。

追伸:蛭田さんの今日のブログはお薦めである。

事実上の創業メンバー。

今日は、ドリームビジョンの第1号インターンの山田くんが1年半ぶりにオフィスに遊びにきた。事実上の創業メンバーである。

彼は、アメリカのネブラスカ州立大学に通っており、就職活動での一時帰国の合間を縫って訪ねてきた。

優秀な彼は、金融業界ではいずれも一流の会社(米国企業)から「3社」、日本の金融業界の一流企業から「2社」、内定を獲得したらしい。

素晴らしいことだ。

インタースコープのインターンもみんな優秀だったが、山田くんは、彼らと比較しても非常に優秀であ���。

米国の大学でファイナンスを専攻している彼から、米国のみならず全世界を揺るがせている「サブプライム問題」の現実を聴き、日本の経済や株式市場、はたまた、10年後の世界のパワーバランス等について議論をしたが、これが学生か?というハイレベルの知識と考えを持っており、僕の方が勉強になった。

そういう人間が、ドリームビジョンの第1号インターンとして参加してくれたことを、とても誇りに思っている。

彼のような人材が集まってくる組織を創れるようにしたい。

優秀な人材。それに勝るものはない。