小沢さんの辞意撤回を受けて考えたこと。

昨日は体調が優れず、早めに会社を出た。

21時前に家に着いたところ、僕らの子供は宵っ張りで、まだ、起きていた。子供は、21時半頃に寝たが、どうにも身体が辛く、僕も22時前に就寝した。

その後、2時半頃に目が覚めて、メールのチェックをしているうちに、この時間になってしまった。

ところで、民主党の小沢さんが辞意を撤回したらしい。豪腕でならした小沢さんらしからぬ翻意である。

このドタバタ劇をどう理解するべきか?

原因は、「政局優先」という小沢さんの政治手法と、民主党が「寄り合い所帯」であり、根本的なところで「理念」が共有されていないことや、そのことにより、「目的」と目的を達成するための「戦略=手段」に対する判断が異なるというところにあるように思う。

「寄り合い所帯」という意味では、アメリカ合衆国は、その最たるものであり、最近であれば、「EU」もそれにあたる。

では、そのアメリカの求心力は何か?「自由」と「経済合理主義」だろう。

僕の理解では、すべてを「定量的」に価値判断するということであり、「儲ける」ことが最大の価値だということだ。それは極めて分かり易い。しかし、その弊害が噴出しているように思う。

さて、話しを民主党なり日本の政治に戻すと、この国をどうしたいのか? その「本質的メッセージ」が見えない。

そういう僕も「他人事=政治家事」と思わず、自分の問題として、自分の子供が今の僕の年齢になった時、日本がどういう国であって欲しいかを真剣に考える必要があるだろう。

それは、企業においても、同じだと思う。

「現在価値」しか考えなければ、自ずと「未来」に対する投資は行われなくなるだろうし、そうすれば、将来の競争力は担保できない。

企業の「未来」を考えるには、経営者の役割が重要であるのは言うまでもないが、その会社で働く人達が、どれだけ真剣に「未来を考える」かに懸かっていると思う。言い方を変えれば、「未来を考える価値のある企業であるかどうか?」ということだ。

それは、働く立場の人にとってみれば、それだけ真剣に未来を考えたことにより、自分にとってどういうメリットがあるのか?ということだろう。

高度経済成長期の日本では「終身雇用と年功序列賃金と慰労退職金」というものが、その役割を担ってきたのだろうが、これからの日本は、それに代るものとして、何を用意すれば良いのか?

「難しい」=「唯一絶対の解は無い」問いである。

その問いの答えが、その企業の性格を決めるのだろうし、そのひとつが「理念」であり、その理念の「実現リアリティ」だろう。

「理念」には、色々なものがあっていい。

自分に合う「理念」を選べばよいということだ。

「政党」を選ぶのも、同じである。