人生は「妥協」の産物。

僕のことを直接知っている方は、僕がこういうことを言うと、「えっ」と思われるかもしれないが、僕もある人物から、この言葉を聴いた時は、「えっ」と思った。

ある人物とは、僕の父親である。

いつのことだったかは覚えていないが、郡山の実家で聞かされた気がするので、きっと、高校生の頃ではないかと思う。

手前味噌で恐縮だが、父はとても頭の良い人で、人望があった。

父が亡くなってから、僕ら兄弟は知らない人(父の友人)から、ある本が届いたことがある。

それは、その方が「自費出版」で出された、僕らの「父の生き方」についての本だった。

その本によると、父は若い頃、常に「夢を語り」、周囲の友人たちが驚くような発想をし、事業のアイディア等を提案していたりしていたようだ。

その父は、大学を卒業する間際、肋膜炎と言う病に倒れ、半年間、入院生活を送ったという。

父が志望していたある企業は、父が退院するまで待ってくれると言っていたらしいが、退院してすぐに就職すれば、また、身体を壊すことになると判断したらしく、父は泣く泣く、その内定を辞退したらしい。

入院中は、父の友人たちが代わる代わる見舞いに来てくれたらしいが、その度に、気持ちは焦るばかりだったという。

その父が退院後、療養生活を経て、選んだ仕事は、地元の総合病院の「事務職」だった。

自分の身体はもちろんだっただろうが、長男であり、まだ働けけない弟と妹がいる家庭環境を考えて、また、両親の老後を考えての選択だったのだと思う。

結果として、勤めていた総合病院の経営の仕事に就くことにはなったが、彼には色々な無念があったことと思う。

父は生前、僕達兄弟に、自分自身の「言葉」でも、自分自身の「生き方」を通じても、とても多くのことを教えてくれた。

その父の告別式には、地元の政財界の方々をはじめ、1,500人の弔問客の方々がいらしてくれた。僕が24歳になって1週間後のことだった。

さて、亡くなった父親の自慢話しはこの辺にして、僕が父から学んだことを書きたいと思う。

それは、先日のエントリーで紹介した佐々木大輔が送ってきた論文に書いてあった、「Given Means」をもとに人生を組み立てる、ということだ。

「Given Means」。今の自分が持っている材料で何ができるか?

理想を追求するのはよいが、自分が持っていない材料なり才能を前提としても、成功するはずがない。

それは、「夜と霧」の著者である、ヴィクトール・E・フランクルが言う、人生のすべての局面に「意味」を見出す、ということにも通ずるように思う。

後ろ向きではなく、どれだけ前向きな妥協が出来るか、それが凡人が成功するために必要な条件のような気がする。