「暮しの手帖」。

昨日の日経新聞の夕刊に「暮しの手帖」の編集長をされている松浦弥太郎氏のインタビュー記事が載っていた。松浦氏は高校を中退し、フリーター生活をしていた頃があったらしい。社会に適応できなかったと述懐している。

その松浦氏は、毎朝9:15に出勤し、17:30には退社する生活を続けているという。出版社イコール深夜まで仕事をするという業界構造のようなところがあるが、彼は「家族との時間などを通して生活を味わわなければ、いい雑誌はつくれないという信念を持っている」と言っている。

ところで、僕が子供の頃、我が家は「暮しの手帖」を購読していた。正確に言うと、母(産みの母)が購読していた。彼女は、高校を卒業して地元の民間企業に事務職として就職をしたが、こんなつまらない仕事を一生したくないと退職し、大学に入り、教職の資格を得て、学校の教師になった人だった。ある意味、世間に媚びることのない人だった。

その母が読んでいた「暮しの手帖」のことを、「この雑誌は他の雑誌とは違う。どこが違うか分かるか?」と父が僕に言ったことがあった。「分からない」と答えた僕に対して、「この雑誌は『広告を一切、取っていない』ので、記事(商品の解説や批評)が信用できるんだ」というようなことを教えてくれた。まだ、小学生の頃のことだったが、何故か、とても印象に残っている。

僕はそんな両親の子供だということを、子供が出来てから、より一層強く認識するようになった。
「血は争えない」というのはこういうことだろうか。

命のバトン。

GW最後の生憎の雨模様の今日は、妻の伯母の家に子供を連れて遊びに行った。

10:30頃から13:30頃までいただそうか。最初は緊張した面持ちだった我が子も、帰る頃にはすっかり慣れた様子で、伯父伯母と握手をしていた。

ところで、伯母の家で、伯母の若い頃の写真を見せてもらった。すべてがモノクロ写真で尚かつセピア色に色褪せていた。

当たり前の話しだが、僕らの存在(命)は今に始まったわけではなく、先祖代々続いてきた結果である。

僕らの子供にも命のバトンを繋いでいって欲しいと思う。

それが「親」というものの想いなのかもしれない。

都会の自然。

今日は子供の日。東京は初夏を思わせる素晴らしい天気だった。

ところで、昨日は「砧公園」、今日は「新宿御苑」へ出掛けた。どちらも初めてだった。

我が家から「砧公園」までは車で約20分。連休で都内の道は空いているせいか、いつもなら30分はかかるだろう道がスムーズに流れていた。

公園に入ると同じような親子連れがたくさんいた。思っていたよりも広い敷地に驚いた。芝生や雑草で地面が覆われており、子供を遊ばせるには絶好の場所だ。我が子は大はしゃぎで歩き回っていた。

今日は「新宿御苑」。インフォプラントのオフィスは一時期、新宿御苑にあったことがあり、彼らは花見でよく出掛けていたらしい。

新宿御苑は「御苑」というだけあって、公園というよりは「庭園」という赴きである。イギリス風の庭園、フランス風の庭園、そして、日本庭園と様々な赴きの「庭園」が作られている。また、植栽されてから数十年という時間が経っていることにより、都会のど真ん中にあるにも関らず、鳥や昆虫や狸?などの動物や植物が棲息しているエリアもある。

僕の妻がいつも言っていることだが、東京は「緑が多い」と思う。大都会ということを行政が自覚しているせいか、街路樹や公園が多い。おそらく、大阪や名古屋よりも多いのではないかと思う。因みに、僕の実家の福島県郡山市の市街地では、あまり「街路樹」を見かけない。このGW前半に帰省した際に意識して見ていたが、東京と較べて「市街地(都市部)」の緑が少ないと感じた。

ところで、初めて行った「新宿御苑」は、ニューヨークの「セントラルパーク」を思い起こさせた。

新宿の高層ビル群と御苑の大きな樹木のコントラストが、セントラルパークから「Central Park South」と言われている「59th Street」の方を見た風景にとてもよく似ている。「都会の自然」とでも言うような何とも形容し難い美しい景色である。

さて、待望のGWも明日でお終いだが、昨日今日は実に「お金を使わない」二日間だった。自宅から公園までのガソリン代と駐車場代(公共施設なので、3時間強で数百円と安い)と昼食代、子供用のボールとビニールシート。二日間合わせて1万円程度だろう。

国民一人当たりのGDPが1万ドルを超えるとGDPの額が必ずしも「豊かさの指標にならない」と、元マッキンゼーの波頭亮氏が自身の著書で書いていた。ハイシーズンの料金を払い「混雑極まりない行楽地」に行くことだけがGWの過ごし方ではない、ということだろう。in 新宿御苑05052007
新宿御苑_西新宿高層ビル群05052007

「ブラッド・ダイヤモンド(紛争ダイヤモンド)」。

連休谷間の5/2(水)、久しぶりに映画を観に行った。

今回観た映画は「ブラッド・ダイヤモンド(紛争ダイヤモンド)」。

「ラストサムライ」のエドワード・ズウィック監督が監督/製作を務め、キャストには「レオナルド・ディカプリオ」「ジェニファー・コネリー」「ジャイモン・フンスー」等が起用されており、「ダイヤモンドの原石」が採れるアフリカ西海岸の「シエラレオネ」という小さな共和国が舞台となっている。

この映画は、ダイヤモンドの「密輸」とその密輸が反政府軍である「RUF(革命統一戦線)」の「武器購入原資」となっていること、そして、その「内戦」により多くの人命が犠牲になり、「RUF」により多くの「少年」が「兵士」にされている事実を描いたもので、ドキュメント(事実)をベースとしたフィクションである。

僕はダイヤモンド産業の構造については無知であるが、この映画の描写によると、「密輸」されたダイヤモンドは税関の職員等を買収して、巧妙な仕組みにより何カ国かを経由し、最終的な「消費地」である「給料の3ヶ月分」のダイヤモンドを買う先進国に輸出されている。

我々日本を含む経済先進国の価値観が、このシエラレオネのような「鉱山資源」保有国に対する「搾取の構造」を生んでいると言っても過言ではない。

そのような「ブラッド・ダイヤモンド(紛争ダイヤモンド)」を市場から排除するための国際的な対応策として、2000年に「キンバリープロセス」という制度が設置されている。

さて、映画の背景の解説はこのぐらいにして、僕がこの映画を観て感じたことを書きたいと思う。

僕がこの映画を観て強烈に印象に残ったのは、無垢な子供達が犠牲になっていく姿だ。何の罪もない人を殺害し、また、彼らの腕や足を切断し、そして、そのような行為を子供達にさせる。子供達は「麻薬」も使われながら「洗脳」されていく。どうすれば人間は、そこまで残虐になれるのか?ということが現実として起きているという事実だ。

エドワード・ズウィック監督は、今回の映画を撮るために様々な文献を読み、現地を視察し、現地の人々の話しを聞き、ドキュメンタリーフィルムを観たらしい。また、主役のひとりであるジャイモン・フンスーは「現実に起こったことをそのまま映画にしたら、殆どの観客が映画館から逃げ出してしまうだろう」と言っている。

ところで、年明け早々に「幸せのちから」を観に行った時にもそう思ったが、子供が出来てから、僕は物事に対する見方や感じ方が大きく変わったと感じている。今回の映画も、子供が生まれる前に観ていたら、ここまで心を揺さぶられなかったのではないかと思う。

映画を観ながら、田坂広志さんがETICのイベント(STYLE)で言っていた「我々は、ノブリス・オブリージュという言葉の意味を書き換えなくてはいけません。高貴なものが抱くべき義務という意味から『恵まれたものが持つ義務』という意味へ」という言葉の意味と「社会起業家」という言葉の定義を改めて考えた。

ノブリス・オブリージュの新しい意味はここまでの文章で既に伝えたつもりなので、「社会起業家」という言葉の定義について、僕なりの解釈を書きたいと思う。

僕は「社会起業家=NPO等の非営利団体」とは思わない。もちろん、NPOやNGOを設立し経営している人達は社会起業家のひとりだと思う。

でも、この映画の監督である「エドワード・ズウィック氏」も、社会起業家であると僕は思う。

実際の市場規模は知らないが、おそらく世界的には何兆円という映画市場を活用し、超一級のエンターテイメント性を保ちながら、僕たち観客に「地球上で起きていることを考える」機会を押し付けがましくなく教えてくれる。それは、とても素晴らしいことだ。実際、この映画に出たディカプリオやジェニファー・コネリー、ジャイモン・フンスー等が中心となりカンパをし、それをもとに「ブラッド・ダイヤモンド・チャリティ基金」なるものが設立されている。そして、彼らがこの映画を配給した「ワーナー・ブラザーズ」にその主旨を説明したところ、彼らが寄付した金額と同額を出してくれたという。

僕にどれだけのことができるかは分からないが、ドリームビジョンにおいても「社会起業家的な成功」を求めていきたいと思う。