「リクルートのDNA」と「未来の辞表」。

自宅の窓からも、オフィスの窓越しにも、桜の花が見える。オフィスの窓から見える桜の花は、手を伸ばせば届きそうなところにある。慌しい日々にあっても、自然を楽しむ「心」を大切にしたい。

ところで、上海出張に行く前に「リクルートのDNA」という本を買った。リクルート創業者の江副浩正さんが書かれた本だ。江副さんの本を読むのは、これで2冊目になる。

1冊目は「かもめが翔んだ日」という本で、2003年だっただろうか、僕にとって初めての本を書いている時で原稿の締め切りの日だったが、そんなことはそっちのけで、渋谷マークシティのスターバックスで、人目を気にせず、涙を流しながら読んでいた。

江副さんは幼少の頃、両親が離婚されたか何かで苦労をされたらしい。本の前段にはその頃のことが書かれている。

僕の両親は幸いなことに離婚はしていないが、僕が15歳の時に産みの母親が亡くなったこともあり、当時の江副さんの心境が理解できる気がして、ついつい感情移入してしまったことを今でもよく覚えている。

僕が24歳の時に55歳で他界した父がいつも言っていた、人生に必要な「勇気と自信」を江副さんの本からもらった気がした僕は、当時、一緒に働いていた「上村崇」という若者にその本を手渡した。新しい本を買ってプレゼントしようかと言ったところ、「平石さんが読んだ本を読みたいんです」と心憎いことを言ってきたためだ。暫くして、「何度も鳥肌がたちました」と言って、その本を返しにきた。

彼は、超狭き門を突破して入ったアクセンチュアの戦略コンサルティング部門の職を辞して、学生の頃にインターンをしていたインタースコープに「出戻った」。今は、インタースコープとニッセンとで創った会社の社長をしている。

その上村が僕に「未来の辞表(執行猶予付き辞表)」なるものを書いたことがあった。2005年1月19日の午前1時過ぎだっただろうか。

当時のインタースコープは、上場を目指しつつも、経営体制の面で過渡期にあった。上村は、そのことをとても心配しており、僕に「絶対にこうしてはいけない」とか「こうするべきだ」とか、色々な進言をしてくれていた。

そんな時、たまたま何かの理由で遅くなった日、僕の車で川崎にあった上村の安アパートまで送っていった時のことだった。

足の踏み場も無いほどに散らかったアパートで彼は自説を説き、それをレポート用紙に書き、それを実現するべく経営をしていくのであれば自分はインタースコープに留まり、その実現に邁進すると熱く語っていた。その想いを「未来の辞表(そのとおりにしなかったらインタースコープを辞める)」として、僕に渡したのだった。

上村がその「辞表」に書いてくれたことは、大きく「3つ」の視点で構成されていた。

ひとつは、「Scope of Economy(自社の事業ドメイン)」。
ふたつ目は、「Skill of Economy(スキルの経済)」。
三つ目は、「Scale of Economy(規模の経済)」。

今読んでいる「リクルートのDNA」という本は、同じリクルートの創業物語ではあるが、最初の本とは書かれている視点が異なり、新たな気づきを与えてくれる。当時の江副さん想いを想像しながら読み進めていると、言葉には表現できない「興奮」と「やる気」が沸いて来る。

僕は、江副さんの本を読みながら、自分は何故、彼の本に「こうも興奮を覚えるのか?」 そのことを不思議に思った。

自問自答した結論は、「逆境」にメゲズ、それを乗り越えて「成功」を掴むという「生き方」が好きだということだ。別の見方をすれば、体制側(既得権者側)で生きるのではなく、既得権に挑戦し、新しい何かを世に生み出す生き方が好きだし、自分もそうありたいと思っているからだと思う。

いつだったか、インタースコープのある女性社員から「壮大なビジョンが無くなって、現実的(な利益だけを追い求めるよう)になったら、平石さんは、ただの人になりますよ」と言われたことがある。

言うのは簡単だが、実際にそういう生き方を「貫く」ことは容易くはない。

でも、そういう生き方に拘ろうと思う。

追伸:明日は僕の誕生日だ。「人生は短い」。


江副 浩正
リクルートのDNA―起業家精神とは何か