「計画的」に行動する。

今年は計画的に行動するよう心がけようと思う。しかし、そもそも僕は、そういう生き方があまり得意ではない。

随分前になるが、Given Means & Given Goals ということを書いたことがある。米国ワシントン大学の方の論文に書いてあったことだ。

彼女はその論文を書くにあたり、数十名の起業家を取材した。彼らの成功に至るプロセスを分析すると、最初から今の姿(事業)を思い描いていた人はひとりもなく、その時々の「自分が持っていた(与えられていた)材料(Given Means)」で何ができるか?を考えて物事(事業)を進めてきたことが分かったという。

しかし、自分で創業した会社を全米あるいは世界的に著名な会社にまで育て上げた人を見ると、あるタイミングからは「Given Goals(目指す姿や目標)」を設定し、そこに到達するにはどうしたらよいか?を考えて、且つ、実行してきているとも書いていた。

数年前のことになるが、僕が自分の進路(進退)について悩んでいた時、ODS時代の上司で柴田さんという方に相談をしたことがある。

僕はその時、自分は「戦略を描くことが得意ではない」という話しをしたところ、柴田さんが「平石、お前はザクッとした『戦略』を描くのは得意だよ」と言われたことがある。

また、ある時は、インタースコープ創業メンバーの久恒整から、「平石さんは、ビジョンもあるし、戦技もある。でも、戦略と戦術がないんですよ」と言われたことがある。

ふたりの話しを自分なりに咀嚼すると、僕という人間は、基本的には「Given Means」的であるが、「Given Goals」的なところもある。しかし、自分が思い描いた「ビジョン(Goal)」を実現するための「How」を考える力が弱いということだろう。

実際のところ、方法(How)を考えるのは好きじゃないというか、そのことに興味がなかった。

それでも、何とか今までやってこれたのは、その部分を「僕以外の誰かが担ってきてくれた」からだと思う。

しかし、さすがに40才も過ぎて、これからはそうも言っていられないので、遅まきながら「How」を考えることに気持ちを集中させていこうと思う。尚かつ、自分らしさを忘れないようにして。

自分自身の備忘録として書いておくが、Dr.シーラボ(化粧品ベンチャーで今や一部上場企業)執行役員の神戸さんとの会話と、リンクアンドモチベーションの小笹さんのことを、この話の続きとして紹介したいと思う。

備忘録として、もうひとつ。

新年を機に、ブログの「テーマ」も変更、正確には新しいテーマを追加しようと思う。

そのひとつが、このエントリーのテーマである「自分を律する(自律)」。

もうひとつは、僕の人生に影響を与えた人達との「出会い」を考えている。

謹賀新年~福島県郡山市で考えた「地方都市」の現実~

皆さん 新年明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。

大晦日の昼過ぎに恵比寿の家を出て、東京駅から東北新幹線に乗り、妻と子供と3人で、福島県郡山市にある僕の実家に向かった。昨日(1/3)の昼まで郡山で過ごし、午後4時前に東京に帰ってきた。

昨年は子供が小さく(生後3ヶ月)、寒いところ(東京の最低気温よりも郡山の最高気温は低い)に連れていくのは止めた方がよいということで東京で過ごしたし、一昨年は友達夫婦とタヒチに行っていたので、正月を郡山で過ごすのは、久しぶりだった。

「子供が生まれた」ことと「3度目の起業」をしたことにより、ここ一年は自分自身と向き合ったせいか、特に何か大きな出来事があったわけではないが、今回の滞在(3泊4日)は僕にとっては今までとは違ったものがあった。

僕らの父親は生前、地元の総合病院で事務長をしていたが、父の部下として働いて下さっていた方が、昨年の9月に亡くなった。今となってはあまり聞かなくなったが、父は10組ほどの仲人をしており、亡くなった方は、父が仲人をした方々のひとりだった(たしか最初の方だったと思う)。

実は、僕にとって今回の帰省の目的の半分は、その方のお宅にご焼香に伺うことだった。

訃報を聞いた時、須賀川市(郡山の隣の市)まで告別式に参列しに行こうかと思ったが、今の母と弟(次男)が行くので、そこまでしなくてもいいだろういうことで、お花と弔電を送り、足を運ぶことはしなかった。

その方は、とても義理堅い方で、父が亡くなった後も「必ず」、お盆と正月には焼香に来て下さっていた。そのことが、僕の頭に残っており、喪中の正月に焼香に伺うことに抵抗も感じたが、普段は東京にいる身に免じてもらおうと思い、1月2日に焼香に伺った。奥さんと長男の方が出迎えてくれた。

奥さんは僕の突然の訪問を歓迎してくれたが、ご主人のことを思い出してか目には涙が浮かんでいた。僕は、何故、もっと早く来なかったのかと、とても申し訳ない気持ちになった。考えてみれば、その方のお宅を訪ねたのは、今回が初めてだった。

今から2~3年前だろうか、その方が病(ガン)に倒れたと聞いて、東京に住んでいる末弟とふたりで、郡山の病院にその方を見舞いに行ったことがある。医者ではないが、事務長(父が亡くなった後、父と同じポジションに就いていた)として医療に関する知識は豊富であり、当然のことながらご自分の病気のことはよく理解されており、僕らが「頑張って下さい」と声をかけたところ、郡山弁で「頑張ってみっぱい」と返事をされたことが、とても印象に残っている。

一旦は元気になったと聞いていたので、父はもちろん僕たち家族がお世話になってきたことのお礼を込めて、ご挨拶に伺おうと思っていたが、「後悔、先に立たず」とは、こういうことを言うのだろう。

奥さんが仰るには、最初に見舞いに駆けつけたのが僕ら兄弟だったそうだ。ご焼香に伺って、その話しを聞き、少しは申し訳ない気持ちが薄らいだ。

ところで、その方のお宅には、郡山で弁護士をしている弟(次男)の車で連れていってもらった。行き帰りの車中で、彼と地元の経済のことについて話しをした。

弟が郡山で弁護士事務所を開業してから10年近くになるが、「ネットバブル」も何も関係なく、その間、景気は悪化の一途を辿るのみだという。彼が扱う仕事も、倒産や廃業などに絡む、後ろ向きなものが多いらしい。

特に、小泉さんにより「行財政改革」が推進された後は、地方の経済は「公共工事」で持っていたことを物語るかの如く、どんどん景気は悪くなり、力のない土木建築業者はバタバタと倒れていっているという。

そう言えば、2005年の秋、大阪工業大学にゲスト講師としてお招き頂いた際に乗ったタクシーの運転手の方が、「(東京と違って)景気は最悪ですよ・・・」と言っていたことを思い出す。あの大坂でさえもである。

東京で仕事をし、尚かつ、インターネット関連のビジネスに携わり、言ってみれば、社会の最先端にいると、そんなことは「全く」と言っていいほど関係ない話しであり、せいぜい、新聞記事で目にする程度だ。少なくとも、僕はそうだった。

昨年の6月、マクロミルの杉本さんと会った時に、彼が「平石さん、僕は最近、政治家の人達とも会う機会がありますけど、福島とか地方は切り捨てですよ」という話しをしてくれたことがある。僕が「僕の出身地は福島県ですよ」というと、「(そうと)知っているから言っているんですよ」と言っていた。

その時は「そうなのかな・・・」というふうにしか思わなかったが、久しぶりに「地元」で仕事をして暮らしている弟と話しをして、杉本さんが言っていた意味が少し理解できた。

「小泉改革」が問題なのではなく、今まで、中央集権で「地方の産業」を振興して来なかったのが問題なのだと思う。

恥ずかしい話しで、僕は政治は不勉強で実際のことは知らないが、日本の財政を考えた時、中央集権で「税金を地方都市に配分する」というシステム自体が破綻しつつあり、そのことにメスを入れたのが小泉改革ということなのだろう。郵政民営化がはたして良かったかどうかは別として。

郡山に限らず、他の地方都市も似たり寄ったりだと思うが、車社会を反映して、郊外に大規模な商業施設ができ、市街地が寂れるという現象が起きている。

一見すると、そのこと自体に問題はないような気もするが、それに連れて住宅街も外に広がっていき、それを支えるための「上下水道や電気・ガス」などのライフラインの整備が必要となり、市としての「支出」は増えることになる。しかし、税収は増えない。

また、高齢者は、車を運転することができない人が多いので、郊外では暮らしていけず、スラム化した「中心部」に住まざるを得ない。しかし、買い物ができる商店街は寂れている。

青森県青森市では、そのような問題を直視してコンパクトな街づくりを目指し、中心部の商店街に「人を呼び戻す」ための様々な工夫をしてきているそうだ。

弟が以前、仕事の絡みで青森市を訪れ、その商店街を視察に行ったらしいが、その時の感想は「これで人が戻ってきているのか・・・」というもので、つまり、それ以前は、どれほど寂れていたのか?という様相だったらしい。

八戸を日本のシリコンバレーにする!!!」プロジェクトの大谷さんの出身地である八戸市の隣の市である。

行き帰りの僅か30分程度の話しであるが、僕はいかに「日本の実態」を知らないで生活をしてきているかを知った。

今年3月で僕は「44才」になるが、これからの10年をどのように過ごすか?を考える際して、とても意味深い「30分」だった。

追伸:新年早々、重苦しい内容で恐縮であるが、僕のブログを読んで下さっている方々にも、日本の人口の「7割」を占める地方都市の現実に関心を持ってもらえれば幸いである。