かもめが翔んだ日。

今日は僕の人生にとって忘れられない日になりました。

2000年の創業から今日に至るまで、インタースコープを支えて頂いた社内外の皆様に心から感謝をしています。本当にありがとうございました。

正直に申し上げて、途中下車をした人間がコメントすべきかどうか躊躇しましたが、僕の信条として、批判を恐れて何も言わないよりも、批判を受け入れてコメントするのが自分の生き方だと思っており、一言、コメントを申し上げました。

今後は、より大きな傘の下で、更なる飛躍を目指して頑張っていって欲しいと思います。

「事業計画」。

2006年3月4日にドリームビジョンを設立し、4月から活動を始めた初年度が終了し、この1月から2年目に入った(ドリームビジョンは、12月決算)。

昨日からノロウイルス?と思わせる症状になりかけたが、何とか持ち堪えて、今日は今期の事業計画を作成した。

まだ、ドラフトの段階ではあるが、自分が考えていることを「数字」に落とし込んでみることによって、実現リアリティやその数字を達成するための課題が具体的に見えてくる。

昨年度は、事業基盤を創るという意味でマーケティングの年と位置づけていたが、今年は先行投資を続けつつ、収益をあげる年(単年度黒字)にするつもりである。

インタースコープの時のような「億単位」の資金を調達してのダイナミックな事業展開はできないが、自分たちの身の丈の経営をして、一歩ずつ、基盤を固めていこうと思う。

来年を大きな飛躍の年にするためにも。

「2種類」の後悔。

先週から風邪をひいてしまい、なかなか完治せずにいたのだが、今日の昼過ぎから吐き気がしてきて、発熱してしまった。

羽根木公園に出掛ける時に「ちょっと身体が辛いな・・・」と思ったのだが、やはり、疲れが溜まっていたようだ。

「人生を楽しむ」ためにも、健康が大切である。

30代の頃とは体力的に明らかに違ってきており、よりいっそう自己管理に留意し、自分のペースを保つことが必要なようだ。

随分前の話しになるが、プロ野球の「堀内投手(200勝投手)」が、20代の頃の「槙原投手」に対して、「今の俺にお前のスピードがあったら、年間30勝できる(だけの投球術を身につけている)」と言っていたことが印象的だった。

でも、その時の堀内投手には、「槙原ばりのスピードボールを投げられる体力は既になかった」ということである。

「人生(花の命)は短い」。

ジャック・ウェルチの言葉らしいが、「2種類の後悔がある。やらなければよかったという後悔と、やればよかったという後悔である。後悔の95%は『やればよかった』という後悔である」と言ったそうだ。

「心と身体」が共に充実していることが大切である。

人生を楽しむ。

今日は、代官山にあるセラピアという整体&リフレクソロジーの店に行った。鈴木さんという方に看てもらっている。かれこれ5年ぐらい通っている。

その鈴木さんに言われたことがある。

「(ここ最近の平石さんは)身体が充実している感じがします。腰はだいぶよくなりましたね。頭はまだ凝っていますけど・・・。人間の身体は物理的に存在するので自然界と交信していますが、精神や意志は(物理的には)この世の中に存在しないものですよね。その存在しない精神や意志の力で『関節』を動かしているので、僕は関節を見るようにしているんですよ」。

なるほどな・・・と思った。

昨年12月半ばぐらいから精神的に吹っ切れて、ようやくドリームビジョンとしての構想を具体的に考えられるようになってきており、自分の中にエネルギーを感じるようになっていた。やはり、精神と身体は密接に関係しているということだろう。

鈴木さんが言うには、身体というのは、その人の「個性や人間性」を如実に物語っているらしい。

僕の場合、「こうじゃなきゃいけない」というような「頑固」なところがあり、その頑固さが「関節の動き(動かし方)」に表れているという。でも、腰の関節に関しては、その頑固さがだいぶ薄れてきたそうだ。頭は、まだ、僕の頑固さが残っているらしいけど・・・。

自分の中でも、今までの自分を支配していた「価値観」が徐々に新しいものに書き換わってきている感じがしており、鈴木さんが言う「頭(の関節)」の方も、少しずつ、ほぐれてくるのではないかと思う。

そんなこともあり、整体から帰った後は、以前から悠生を連れて行きたいと思っていた梅が丘(世田谷)の「羽根木公園」に行った。

僕の妻は、東京生まれの東京育ちだが世田谷のことはあまり知らず、羽根木公園には行ったことがなかったらしいが、気に入ってくれたようだった。羽根木公園は「梅の名所」としても知られており、来月初旬から「梅祭り」が開催される。

その頃に、また、家族3人で出掛けてみようと思う。

追伸:帰りは少し遠回りをして、世田谷通りに抜けて帰ってきた。これからの10年は、仕事と子育てとバランスを取りながら生きていこうと思う。普通の人よりも、10年遅れて人生を歩んでいるのかもしれない。健康に気をつけよう。

「OS(基幹産業)」を設計する。

今月初旬に初めて「八戸」を訪問して感じたことは、北米と中国(大連)に定期航路があり、製造業の拠点としての可能性があるということだ。事実として、三菱製紙や川崎製鉄等の重厚長大産業の工場がある。

八戸市なのか青森県なのかは忘れたが、「クリスタルバレー」と呼ばれる「液晶」関連の企業を誘致しているエリアもあり、ハイテク産業の集積地になる可能性は充分あると思う。

大谷さんや僕が1990年代の後半から「棲息」してきたネットビジネスは「機���力とスピード」はあるが、地域全体の経済力を底上げするほどの「トルク(底力)」はない。周辺産業の厚みがないと言ってもよい。

Yahoo ! Japan の2006年3月期の売上は「単独:1,540億円/連結:1,740億円」、楽天の2005年12月期の売上は「単独:336億円/連結:1,300億円」だ。日本を代表するネット企業の2社を足しても「3,000億円」である。

自動車産業や家電産業になると単位が「兆」になる。その差は大きい。尚かつ、周辺産業の裾野が広い。

因みに、日本のGDPは「約520兆円」で、製造業の比率は「3割」に留まる。残る「7割」は「サービス業」である。しかし、3割の製造業の周辺には「組込ソフト」等の産業がある。ここを見逃してはいけない。

大谷さんのブログにもあったように、先週の金曜日(昨日)、インフォプラントにて、サンブリッジのアレン・マイナーさん、石橋さん、大谷さん、平石の4人で「八戸シリコンバレー」計画について議論した。

アレン・マイナーさんからシリコンバレーがいかにして出来上がってきたかの説明を受け、大谷さんも僕もとても勉強になった。

シリコンバレー成功の要因は、スタンフォード大学とヒューレット・パッカードにあると言える。

「八戸」を日本のシリコンバレーにするには、目玉となる「産業」なり「企業」が必要不可欠である。そして、優秀な「教授陣」を擁する大学と、そこに集まる優秀な「学生」が必要である。その2つの要素が揃わない限り、30年経っても「八戸」を日本のシリコンバレーにすることは出来ないだろうと、アレン・マイナーさんに指摘された。

但し、「雪が降らない(積もらない)」のは、非常に大きな「アドバンテージ」だとも言われた。そして、現地を視察に行くと言ってくれた。

中国の大連は、10年間で地域経済の規模が「10倍(150億円→1,500億円)」になったと聞く。

すべては「志と行動」。そして、3K(謙虚、感謝、「工夫」)である。

「初めての起業」。

「初めて」のことというのは、それが何であっても独特な「高揚」がある。

1993年、初めて設立した会社(クリードエクセキュート)の3年目だったが、クレジットカード会社のポイント交換の商品提案&提供の仕事が取れた。

僕らが提案した商品は「ハンカチ」で、ハンカチメーカーとしては老舗の「川辺」という会社の商品だった。

その仕事をするにあたって、ひとつ、どうしても解決しなければいけない問題があった。

「川辺」から商品を仕入れなければいけなかった。つまり、売ってもらう必要があった。

最初の会社は資本金1,000万円で吹けば飛ぶような会社であり、大した売上もなく、大企業の「川辺」にとっては「不良債権」化するリスクがある会社だった。

僕らは超狭き門の「ポイント交換の商品提供」という商売を取ったまではよかったが、商品の「安定供給」ができなければ、その仕事はパーになる。何としてでも「川辺」に「うん」と言ってもらう必要があった。

そこで僕らは、カード会社の担当者(実際には責任者の決済)に掛け合って、僕らにその仕事を出すという「書面」を出してもらい、川辺と僕らの会社とで結ぶ契約書にそのコピーをつけて、何とか通してもらった。

その時、川辺の人達は、小西さんという部長(当時)を含めて3人で、僕らの会社を訪問(人物評価)に来た。

後から聞いた話しでは、小西さんは、僕らと取引をするつもりだったらしいが、もうひとりの方(別のラインの部長か次長の方だったと思う)が反対(心配)していて、その時の交渉の会議では、一瞬、口論になりかけた。

いつもは温厚な堀水(現在はクリードエクセキュートから分社化した会社の社長兼ドリームビジョンの監査役)が、自分が取ってきた仕事を何としても成立させたかったのだろうが、僕からみても、堀水の言い方が悪いよなと思うことを発言したことがきっかけだった。

何とか僕がその場を丸く収めて川辺の方々はお帰りになられたのだが、小西さんはその帰り道に「僕はあの人達と取引しますよ」と反対気味だった方に言ったらしい。

後日談を聞いた時、僕はとても嬉しかったが、このエントリーを書いている今は、そのことの「意味」が痛いほど分かる。

僕らのような「カネ」も「人」も「大した能力」もなく、あるのは「心意気」だけのベンチャー企業と「リスク」を取って「取引」をしようと言ってくれる大企業があってこそ、ベンチャー企業は成長できるということが、今になって初めて身を以て分かった気がする。

「夢=新しい社会的価値」の創造(実現)には、そういう理解者が必要不可欠である。

それが、エンジェル(個人投資家)であり、川辺の小西さんのような「起業家精神に溢れる大企業の方」であると思う。

小西さんとは、もう10年以上お会いしていないが、あの時のお礼方々、久方ぶりに表敬訪問をさせて頂きたいと思っている。

追伸:これも備忘録だが、僕の人生を変えたと言ってもいい人がいる。是非、彼のことも紹介したい。

「構造(法則)」を理解する。感性だけでは一流にはなれない。

グロービスの小林さんのブログを読んで、改めて考えたというか、自分に言い聞かせたことがある。それは、「すべては次のステップへの土台である」ということ。

「普通の2階建ての家を建てるのと、50階のビルの基礎は違う。 立て方も違う」。明言だと思う。

ところで、僕は中学で初めて「英語」というものに接した時、「世の中にこんなおもしろいものがあったのか!?」と思った。さすがに30年も前のことなので、その時の感覚は風化してしまったが、あの時ほど感動したことは、僕の今までの人生ではないと思う。

僕は海外生活はしたことがないが、その頃から「発音」は褒められていて、普通の日本人が苦手な「話す・聞く」は得意である。しかし、今でこそ、そこそこのビジネス英語も出来るようになったが、30代半ばまでは、まったくと言っていいほど、出来なかった。

僕が最初の会社を経営している時、伊藤忠商事の仕事で、従業員が5,000人ぐらいの米国企業のCOOに対して、英語でプレゼンをする機会を頂いた。とても貴重な経験をさせて頂いた。心から感謝をしている。

それで僕は、数週間だが英語学校にも通い、ビジネス英語を学び、苦手というよりも「嫌い」だった「文法」の習得に取り組んだ。その結果、プレゼンは大成功した。

しかし、それ以上に僕にとって「大きな収穫」だったことは、「英語の基礎」ができて、英語が自然に上達するようになったことだ。

今は殆ど英語を話す機会はないが、ヒアリング能力は自然と向上していってるし、ネイティブの人と10~20分ぐらい話しをすれば、話す方も感覚が戻ってくる。

「土台」が出来ているからだと思う。

仕事に関して言えば、10年後ぐらいを目標にして考えていることがある。今の仕事をしているのは、そこに繋がると信じているからだ。

そして、そのことを成し遂げるためには「起業家」としての自分では無理で、「経営者」としての自分になる必要がある。

僕は「経営者」としての資質は決して高くない(むしろ低い)と思っているが、何事も努力をすれば、必要最低限のレベルには達することができると思う。

「感覚」ではなく、「構造(法則)」を理解すれば、再現性がある。

インタースコープを退任してしまったので、投資先優遇制度は適用してもらえなくなってしまったが、グロービスの単品メニューに通ってみようかとも思っている。

今は焦らず、将来への種まきをする時期だと自分に言い聞かせ、地味な仕事を厭わず、良いところを活かしつつ、弱いところを底上げしていこうと思う。