「お手伝いさん」という「原体験」。

「お手伝いさん」という言葉を知っている人はどのぐらいいるだろうか?

僕が「中学浪人(この言葉を知っている人も、はたしてどのくらいいるだろうか?)」をしている頃に知り合った友人の家には、「お手伝いさん」がいた。

そういう友人を持ったのは、初めてのことだった。

彼の父親は「創業社長」で、しかも郡山(僕の出身地)の出身ではなく、他から移り住んできた方だった。地元の経済会では誰もが知る存在だった。

その友人から聞いた話しでは、年商25億円(当時)だったらしい。何のコネもなく、一代で築いた年商である。

今の時代でこそ、イケてるベンチャー企業であれば20億や30億の売上は当たり前かもしれないが、1979年当時の福島県郡山市では、かなりの年商だった。

ところで、僕の家は貧乏ではなかったが、決して裕福な家庭ではなかった。

その僕にとって、彼の家は「羨望の的」となった。

でも、当時の僕は、彼の父親がどれだけの苦労をして会社を築いてきたのか、そのことは理解していなかった。というようりも、そのことを考えもしなかった。

今そこにある「果実」だけを見て、自分もその「果実」を得たいと思うのは、どう考えても勘違いはなはだしい。

そのことに気づくのは、僕が起業してからだった。浅はかな人間だった。