ネットエイジの小池さん

ネットイヤーグループ(当時)を経営していた小池さんの存在を知ったのは、渋谷の文化村にあるカフェで、ビットバレーの決起集会が行われた時だった。

その後、ビットバレーCEO忘年会等の集まりで、何度か小池さんとは顔を合わせていたが、その「存在感」というか「オーラ」に近寄り難いものを感じていて、声をかけることはなかった。

初めて小池さんと会った(話しをした)のは、僕の「40才」の誕生日で、小池さん、西川さん、前刀さんと僕とでゴルフに行った時だった。みんなで西川さんの車で出掛けたのだが、小池さんと僕とが後部座席に乗り、挨拶をしたのが最初だった。

その時の印象は、「とても気さくな人だな」というもので、それまで抱いていたものとは全然違っていた。

ネットビジネスに関わっている人であればご存知のとおり、小池さんはニューヨーク在住時代、1998年に、ネットイヤーをMBOした。そして、翌1999年に、日本法人を創った。

ネットイヤーグループは、当時の言葉でいう「SIPS」という概念のもと、ネットビジネスの上流工程のコンサルティングからウェブサイトの企画製作と、シード&アーリーステージのネットビジネスへの投資育成をしていたが、ネットバブルの崩壊により、事業構造の再編を余儀なくされ、小池さんが率いてたネットイヤーキャピタルパートナーズをネットエイジと統合させ、現在に至っている。

小池さんは一時期、マスコミに叩かれていたこともあり、ある意味で「栄光」と「苦境」の両方を経験されている方だ。そして、今年8月、ネットエイジグループとして、満を持して東証マザーズに上場した。

僕のような立場の人間が申し上げるのはそれこそ不遜なことだと思うが、小池さんの生き方には共感を覚えるところがあり、親近感のようなものを感じている。

また、小池さんは、起業家であり且つ投資家でもあるという非常にユニークな個性とキャリアの持ち主であり、僕がドリームビジョンとして描いている構想とも重なるところがあり、その生き方に憧れを持っている。

その小池さんが、1/24(水)、法政大学と共催のオープン講座にいらしてくれることになった。

ネットイヤー時代の苦境の頃、上場を果たした今、そして、これからの小池さんが何を目指し、何を実現しようとしているのか?ストレートに聞いてみようと思う。