リクルートの社是

あれは、僕が「自分でできるネットリサーチ(ラトルズ)」という本の原稿を執筆している最中で2003年の秋だったと思うが、渋谷マークシティのスターバックスで、リクルート創業者の江副浩正氏が書かれた「かもめが翔んだ日」という本を読んでいた。そして、江副さんの幼少時代の苦労に共感するものがあり、人目を憚らずに泣いてしまった。

インタースコープを創業する前の僕にとって、リクルートという会社は、急成長はしているらしいが、どことなく胡散臭い会社というイメージしかなく、とくに興味もなかったが、インタースコープを創業し、リクルートの方々と仕事をするようになったことで、そのイメージは跡形も無く崩れ去っていた。

リクルートが凄いと思ったのは、まず、会う人、会う人が、非常に優秀であり、議論がぶれないということだ。

どの会社にも優秀な人はいるし、凄いと思わされる人は少なからずいる。

しかし、リクルートにおいては、仮に、5点満点のレーダーチャートがあるとしたら、殆どの人が「4.5~5.0点」に位置しており、尚かつ、共通の「価値観」を有しているので、レベルの点においても、質の点においても、議論がぶれないのである。

僕がインタースコープ時代、実務をしていた頃に担当していたクライアントでは、リクルートと野村総研には非常にお世話になり、その両社の方々に育てていただいたと思っている。この場を借りて、深くお礼を申し上げたい。(野村総研に関しても、別の機会にエピソードを書きたいと思う。)

ところで、僕が大きな影響を受けたリクルートであるが、とても素晴らしい社是がある。

「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」というものだ。

先日、アバカス・ジャパンのCOOをされている横江さんという方の紹介で、元リクルートの井崎さんという方をご紹介いただき、3人で食事をしたのだが、井崎さんからいただいたメールに、リクルートの社是が書かれていた。

僕のことを「若い頃からリクルートの社是を実戦している人だと思いました」と書いていただいていたが、それは褒め過ぎだとして、確かに、機会が人を変化させるし、成長させるのは間違いないと思う。

僕の場合は、自分の意志で(自ら)機会を創ってきたというよりも、「時代の流れと僕を取り巻く環境と、僕自身の興味の方向性や【直観】を信じて【変化】を受け入れてきた」というのが実態であるが、28才で起業し、今回が3度目の起業になり、今までに6社の創業に携わってきた(内1社は上場した)プロセスにおいて、それこそ「値段が付けられない」経験をさせていただいてきたと思っている。とてもありがたいことである。

そのプロセスの中で何が最も「影響力」が大きかったかというと、やはり「お金」だったと思う。

最初に創った会社は、資本金1,000万円で、思い切った先行投資ができるわけもなく、ただひたすらに日々のお金を稼ぐことだけで精一杯で、実務家としての仕事以外、つまり、経営者としての仕事は「資金繰り」だけだったと言ってもよい。

今年7月にアップルコンピュータ日本法人の代表取締役を退任した前刀さんが、退任以前、親しい仲間内4人で食事をしていた時に、自分のことを「所詮、サラリーマン経営者だからさ。自分でやるのと比べたら楽なもんだよ。だって、資金繰りの心配をしなくていいんだから」と言っていたが、それは、元祖ライブドアを経営してた頃の苦労とは較べものにならないということを言っていたのだろう。

誤解のないように補足すると、前刀さんにしても、僕にしても、サラリーマン経営者(日本でもいわゆるプロフェッショナル経営者が出て来ていると思う)を否定しているわけではないし、事実として、素晴らしい経営者の方がいるのは周知の通りである。

しかし、ゼロからイチを創る尊さや、そのプロセスにおいて余儀なくされる苦労ということを、僕にしても、前刀さんにしても「リスペクト」しているということである。

前刀さんも同じことを言っていたが、「創業者」が好きな理由はそこにある。

ところで、インタースコープを創業してからも、最初の3年間は、資金繰りには苦労をした。

特に、創業して2年目は、会社の現金が底をつき、僕と共同創業者の山川さんがナケナシのお金を会社に貸し付けて、社員のみんなの給料を払う足しにしていたりした。1億円以上の増資をしても、先行投資で事業を拡大していた時期だったので、常に綱渡り状態だった。僕の人生の中で、最も辛い時期だったと言ってもいいかもしれない。

さて、話しを元に戻すと、「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」という点では、今はとても良い時代だと思う。

僕は学生の頃は、たいした練習も努力もしていなかったくせに「ミュージシャンになりたい」などと戯言を言っていた人間だったので、過去にベンチャーブームなるものがあったとかないとかは詳しく知らないが、インターネット出現以前の社会では、起業というと、比較的資本の要らない「飲食関係」か「旅行代理業」、僕が20代の頃は「広告代理業・販売促進・デザイン・市場調査・コンサルティング」といった選択肢ぐらいしかなかったように思う。

それに比べて、今の時代はとても多くの選択肢があるし、優秀で且つ本気でやる気がある人ならば、ベンチャーキャピタルからお金を調達することも可能だし、そういう意味で「チャレンジ」をする人にとっては、とても良い時代だと思う。

特に、何らかの形でインターネットを取り入れたビジネスであれば、起業をするにしても、転職をするにしても、業界としての「生態系(様々な意味での人脈)」が形成されているので、自分という「資産」の「流動性」も高い。つまり、実力さえ身に付けていれば、食えなくなるというリスクは無いと言ってもよい。

僕は、大企業で働くことを否定する気はないが、まだまだ「優秀な人」ほど「大企業」に行こうとする傾向が強いのは、大学生の就職人気企業ランキングを見ていても分かるし、そういう「常識」や「価値観」を少しずつでも変えていければと思っている。

まさしく、リクルートの社是のとおり、「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」である。

そして、人生は短く幸運の女神は「前髪」しかない(後ろ髪はない)のである。

もう一度、43才になった自分自身にも言い聞かせたい。

スピードスケートの清水選手

先日の日経新聞にスピードスケートの清水宏保選手の記事が載っていた。

長野五輪で金メダルを取り、ソルトレークシティでは銀メダルを取ったスピードスケートの頂点に立っていた彼が、トリノ五輪では「18位」に沈んだ。金・銀・18位という順位が示すように、彼の存在感も薄れていったのは事実だと思う。

特に、長野五輪での「デビュー」が鮮烈だったが故に、その残像を背負うことになった彼は、周囲の期待に応えるために、凡人には想像さえできないような苦悩と努力があったのだと思う。

その清水選手が、トリノ五輪では「ただこなしていた」と語っている。情熱もモチベーションも上がらず、勝ち負け以前の「限界」を見たという。

最近、最初に起業した頃のこと、鳴かず飛ばずだった頃、インタースコープを創業した頃、VCから1億以上のお金を調達したものの、本当に結果を出せるのだろうか?と思い、日々、不安で仕方が無かった頃、インタースコープがようやく軌道にのったものの、自分の役割について悩んでいた頃のことを思い出しており、清水選手の胸の内に想いを馳せた。

清水選手は、進退を思い悩んだ結果、今年3月に「現役続行」を宣言したが、その後も「迷いというか、いろいろな不安がある中、このままスケートを続けていいのかと思っていた」らしい。

吹っ切れない気持ちを抱える中で、清水選手が気づいたことがあるという。それは、「様々な経験をしているから、余分な情報が入って邪魔をする」ということだそうだ。

頭の中をリセットするには約半年かかったとも書いてある。実績抜群のベテランゆえのこだわりをぬぐうと、再び視界が開けてきた、とも。

また、8才年下の杉森選手に職人を紹介され、「靴を作ってもらいたいと思う人と出会えた」という。

そして、「今は、あそこで辞めなくてよかったという感覚がある」と語っている。

孤高の人が好き(憧れ)で単純な僕は、新聞や雑誌の記事を読むだけで、とても励まされ、勇気づけられる。

清水選手の「生き方」には、とても深いものを感じる。

未来に対して責任を持つ。

昨年の9月に初めての子供が生まれ、今年の3月にインタースコープを退任し、4月からドリームビジョンを始めたわけで、こうして改めて文字にしてみると、僕の人生において大きな変化の中にいることがわかる。

その中で何が最も大きいかというと、やはり、子供が生まれたことだろう。

子供が生まれたことにより、僕がどう変わったかは、後日、改めて書こうと思うが、ドリームビジョンのSNSメンバーでもある木村さんという方のブログで、なるほど・・・と思ったことがある。

「少し話は変わりますが、子供がいるということは、将来に対しての責任を持つことではないかということをふと感じました。自己の欲求を満たすことだけを追求する人生もどうかという話ですね」。

と彼は書いている。

法政大学のビジネススクールと共催で行っているオープン講座にオールアバウトの江幡さんが来てくれた時の彼の話を聴いて、そう思ったそうだ。

彼は子供がいないにも関わらず、視野(感受性が豊か)の広い人である。