自分自身の本質

2年ぶりの宮崎(NILS)は、あいにくの天気だった。風邪をひいていたこともあり、体力的にはキツイ2泊3日だったが、2年前とは違った発見があった。

主催者から外部のウェブ等への投稿は禁止されているので内容は紹介できないが、SONYの出井さんの話とオプトの海老根さんの話は勉強になった。

ところで、今日の出社前に立ち寄った渋谷で、「THE BIG ISSUE JAPAN(ビッグイシュー日本版)」を買った。僕がこの雑誌を買ったのは、2回目である。

ご存知の方も多いと思うが、ビッグイシューはホームレスの人々の仕事をつくり、自立を支援する目的で発行されている雑誌である。60歳代と思われる優しい笑顔をした男性が、渋谷の街角でビッグイシューを売っていた。

さっそく雑誌を開くと、3ページ目に「私の分岐点」という連載コーナーがあり、俳優の三田村邦彦さんのインタビューが載っていた。

彼は1953年生まれで、僕よりもちょうど10歳年上になる。僕も三田村さんのようなステキな50代を目指したいと思う。

その三田村さんは劇団の養成所で芝居の勉強をしていた時に、映画の主役の話を「2度」も断ったことがあるそうである。

そのひとつが、結果的には出演をした「限りなく透明に近いブルー」だという。村上龍さんとは同年代らしい。

村上さんが「どこがおもしろくないんだ?」と言って、三田村さんの意向に沿うように台本を練り直してくれたにも係らず、三田村さんが出演を拒んでいたところ、劇団の先輩だった蜷川幸雄さんに、「お前、本当の馬鹿じゃないの?一生に一度あるかないかのチャンスを2度も断るなんて、コレ逃したら、お前は永遠に世に出られないぞ」とどやされたらしい。

その時、蜷川さんに、「お前みたいな頑固者は、価値観が変わるほどのショックを受けないとダメだ」という意味のことを言われたそうである。

そして、その言葉が、その後の人生でもずっと頭に残ってしまったという。

また、三田村さんは(自分では)カツラが似合わない(と思っていた)ので時代劇は断っていたらしいが、お父さんがガンで入院していた時に「お前、時代劇はやんないのか?オレ、時代劇、好きなんだけどなぁー」と言われたことがあったそうだ。

実は、その前日、時代劇の話を断ってきたばかりだったというが、お父さんの話しを聞いて翻意をし、時代劇に出たという。

そして、それから10年間ほど時代劇をやったらしいが、その時に知り合った役者さんたちは、一生つき合える友人になったそうだ。

「オヤジが、友達という財産を残していってくれたんですね」と語っている。

ところで僕は、正直に言うと、駅でベビーカーを持っている母親が階段を降りるのを手伝ったり、ホームレスの方からビッグイシューを買ったりするのを躊躇するところがある。ストレートに言えば、「仕事ができる人とはイメージが異なる」という思いがある。

でも、僕の本質は、そういうところにあるのであれば、むしろ、そのことに目を向けた方が良いのかもしれない。

足を止めて、ビッグイシューを買わなかったら、三田村さんの話を読むこともなかったし、こうして、ブログに書くこともなかったわけだから。

NILSに関しても、外的刺激や発見よりも、内的な意味での発見や価値が大きかったように思う。

ガリバーインターナショナルの羽鳥さんがプレジデントビジョンで「他人がどう思うかではない、どう生きたかだ」と言っているが、そう言い切れて、そう生きている人は強いと思う。

羽鳥さんには、そういう強さを感じる。